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第十戒「戒め。虹色の掌≠灰色の救済」
「それでは行って参りまっす!」
「君は、我らアカデミーの希望だ。くれぐれも、くれぐれも… その体、大切にするんだぞ」
「はいっ!」
旅立ち。新たなる門出。
少女は大きく手を振り何度も何度も振り返りながら、とある目的を胸に秘め、今日、旅立ちを遂げる。
一握の希望を胸にし、我武者羅に前へと突き進む人間の姿は、いつの時代も美しい。
それが、絶望と紙一重の脆く淡く儚い希望であれば、特に。
◆
「……… そろそろ喋ってもいーですよ、ホーラク師匠」
真新しい修道服に身を包んだ銀髪の少女が、その斜め後ろを数歩遅れて歩く《灰色の猫》に語りかける。
「ははーん、その顔。まーた、碌でもない事考えてたんじゃないですかー? 師匠ってば、結構顔に出るタイプですよ」
少女は続けざまに、彼女の隣を四足歩行でてくてくと気怠そうに歩く灰色猫に向かって語る。
一見どこか微笑ましさすら感じるその光景。一歩間違うとあらぬ誤解を生み出しそうなそんな光景。
だがしかし、そしてしかし。
幸か不幸か。偶然か必然か。はたまた神様の悪戯か悪ふざけか。
件の灰色猫は、彼女を見上げ小さく溜息をついた後、彼女の問いかけに応えるようにしてその小さな口を開く。
「… にゃんにゃん。そんなの知らんがにゃ。少なくとも、ニャニャイロにそれを言われたくはにゃい」
「あはっ。師匠ってば、一緒に旅に出たからってあんまりはしゃがないでくださいねー。喋る猫だなんて、場合によってはそれこそ正に幻獣なんですから。でもでも、喋らなければどーってことありません! 喋らない猫はただの猫です。つまり、師匠なんてただの汚いノラ猫です!」
「言い過ぎにゃ。相変らず態度だけはえらそうなやっちゃにゃー。だいだい、一人じゃ寂しいから一緒に来てくれーとか、涙と鼻水交じりのそれはもうひっどい顔で何度も何度も頼み込んで来たのは… 確か、ニャニャイロのほうだった筈にゃ」
ニャニャイロ。
一匹の灰色の猫からそう呼称された件の少女は、その顔をくしゃくしゃにし満面の笑みを浮かべ明後日の方角を見つめる。
「やー、師匠。今日もいい天気で良かったですねー。明日も、明後日も。ずっとずっとこんな良いお天気なら良いですよねー。あはははは」
「いや、出発前は土砂降りだったからにゃ? 露骨にごまかすにゃよ… 不器用なくせに」
「それを言うなら師匠こそ。尻尾、七本になってますよ。それって浮かれてる証拠じゃないですかー、やだー」
七又に別れた長短バラバラのその尻尾を、再び一本へと収束させながら、件の灰色猫が毒づく。
「うっさいにゃ! これまでずっと馬鹿弟子の面倒みてきたんだにゃ、にゃーだってたまには息抜きが必要にゃんだもん」
「まぁまぁ師匠。旅はまだまだこれから長いんですから、仲良く元気に行きましょう! ねっ? … そ・れ・に。ナナの名前はニャニャイロじゃなくて、ナナイロですから。ナナイロ=エコーですっ。もー、何遍も言わせないでくださいよー」
《変わってしまったこの世界》を旅する二人が見るもの。救うもの。変えるもの。
長く降り続いた雨もやがては終息し、その痕には旅立ちを祝う虹が立ち昇る。
「あっ! あーーーっ!!! 見て、見てください師匠。ホーラク師匠っ! ほら、あそこ、あれ、《虹》ですよね? 虹ですよ、虹!」
些か興奮気味に手足をばたつかせながらそう叫ぶ少女。そして、面倒そうにちらりと上を見上げる彼女の四足歩行の相棒。
「にゃー…… はいはい。見えてるにゃ。確かに虹にゃ。そんなに騒がにゃくともきちんと見えてるのにゃ」
「ホーラク師匠! 不肖、このナナ。早速ですが、何だかとっても燃えてきちゃいました! とってもとってもコーフンしてきちゃいましたよっ!」
「暑苦しいにゃー。仮にもシスターにゃんだからさぁ、あからさまに興奮したとか言うにゃよ。はしたにゃい。聖職者たるもの、もっと優雅にクールに振る舞うべきにゃ。思慮深さと落ち着きが大切なのにゃ」
「そんな事より師匠、お腹空きませんか? 今日のお昼は何にしましょうか~」
「はにゃし聞けよ!!」
虹色の修道女と灰色の猫。
… そんな一人と一匹の旅が、今、幕を開ける。
END