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「先ほどからずっと疑問に思っていたのですが。ここは牢獄というより、さながら部屋、ですね。最低限度人間が生きていくのに必要なものが一箇所に揃っている」
「アァ、ここですかい。人間という生き物が生きていくのに絶対必要なモノ、なんてのは実は殆どありゃしないんですよ。広義じゃ人間も動物ですぜ、ダンナ。自然に身を任せたって、それで充分生きていける。自分はそう思っているんですがね? この牢の中にあるベッドやテーブル、イス、書物の数々はあのお方が気を利かせてわざわざ用意してくださったもの。ならば、人の厚意を無下にするのもまた無粋。違いますかい?」
「あのお方… カイドウさんが? ふむ。けれど、僕が何より気になったのは、物質的な部分よりも、あなたのその身体的自由さです。幾ら牢の中とはいえ、あなたが何の枷もされていないのは大きな矛盾だ。こんな人気の無い所にひっそりと建てられた牢獄。あなたは、そこにたった一人幽閉されている囚人。とてもじゃありませんが、ただの囚人とは僕には思えない。例えば、何か大罪を犯した極悪人か、もしくは… その存在すら表ざたに出来ないような、その犯罪史や歴史に名を残すことすら許されない何かをした、何かに関わった人物。ですが、そんな人物が枷も無く身体的拘束をされていないというのは、明らかに可笑しい」
ぱちぱちぱち。
松明の灯りだけが照らし出す無機質な石の牢獄内に、囚人の両手から放たれる乾いた拍手。そんな音だけが無尽に響き渡り、二人の静寂を統べる。
「なかなか良い目の付け所ですぜ、ダンナ。ならば、自分はもう少し聞き手に甘んじるとしやしょう。アァ、続けてもらっても構いやせんぜ」
「ではお言葉に甘えて。僕が思うに、レンギさんの抱える呪いも… もしかするとその辺りに関係してくるのではないかと思っています。他の外的要因があるからこその偽りの自由とでも言えばいいのか」
セツリは、片手の黒革の手袋を外し、そちらの手に松明を持ち替えながらそう告げた。
「…… 中々どうして。流石はあのお方のお弟子さんだ。この短時間で、攻めるべきある程度の方向性と土台が決まった」
「ええ。少しずつですが、レンギさんという人間像が浮き彫りになってきましたね。ですが、僕ばかりが一方的に話しているのも公平ではありません。もしもレンギさんからも何か質問があれば受け付けますよ。ちなみにですが、僕の場合は、いきなり王を狙ってもらっても構いませんから」
セツリは、持ち前のポーカーフェイスを崩すことなくそう答える。その内面に幾許かの思惑を潜ませながら。
「ヒャッハッハ、こいつは耳が痛い。だが、自分も解呪師のダンナについては興味がある、聞きたいこともありやしょう。此処は一つ、お言葉に甘えさせていただきやすぜ」
「勿論です」
牢越しに続く会話のラリー。
互いが互いの内面を覗き視んとする腹の探りあい。突き刺さる静寂。時折爆ぜる松明の炎だけが、この場に置いてその存在を強く主張していた。
そして、レンギは躊躇うことなく、彼にあるワードを投げかける。そう、彼のその疑惑の掌を凝視しながら。
「ダンナ… その右手。場合によっちゃ自分なんぞよりよほど《ワケアリ》なんじゃないですかい?」
セツリの右手を注視しながら、件の囚人は極めて落ち着いた抑揚の無い声色でそう尋ねた。
「滅相も無い。僕は見てくれ通りのただの見習い解呪師ですよ。ただし、少しだけ人より良くも悪くも変わることの無い身体をしているだけ。それだけです」
「牢獄。成る程、自分とダンナはどこか似ているかもしれやせんね。最も、ダンナのソレの方がよほど性質が悪そうですが」
再び、黒革の手袋を右手に装着したセツリが、静かな語り口で言う。
「先ほどの質問。やはり思った通り、レンギさんは《解呪師》ですね? 或いはそれに付随する解呪に関しての充分な知識を持っている」
「その根拠は?」
その質問に対し、明らかに先ほどまでとは雰囲気を変えるレンギ。
監獄内が一気に目に見えぬプレッシャーによって包まれる。
「レンギさんは呪いを抱えているにも関わらず、あまりに態度が落ち着きすぎている。以前、呪いを呼び寄せてしまう剣を持った女性と出会った事があります。その方もやはり、呪いが日常生活の一部分に成り果てていた。その時の態度と今のあなたの態度は良く似ている。それに、普通、こんな年端もいかぬ人間が解呪師だなんて言ったところで俄かには信じられないでしょう? それに僕は、まだあなたに銅のロザリオを提示すらしていないんですよ? にも拘らず、あなたはその事にもまして、まず始めに僕のこの片手の白い不幸の星に関して尋ねてきた。つまり、レンギさんは解呪師に年齢は関係ないこと、自らの呪いに対する正しい知識を持っていること、そして僕の掌のコレが、常識外の代物であると理解できる知識があるという事になる。違いますか?」
レンギはその場ですっと立ち上がり、小さく溜息をつきセツリと同じように牢獄内のイスへと腰を下ろした。
「やれやれ。罠、でしたか。そんな見え透いたエサに喰らいついちまうとは、我ながら情けねぇ。これだから解呪師って人種はいけねぇ… 仰る通り、自分は元々解呪師でした。と言っても、名のあるような解呪師とは程遠い、単なる三流解呪師でしたがね」
「やはり、そうでしたか… レンギさんもご存知の通り、解呪師とてただの人。この世に生きる限り、時には自分自身が呪いに犯される事もある。ですが、《自分の身に降りかかった呪いは自分自身で解呪出来ない、というルールはありません》。もしも解呪師であるレンギさんが本当に呪いに犯されているのだとすれば、その気になれば、自分で解呪を行う事も出来た筈。問題は、それを《しない》のか《出来ない》のか。どちらなのか、という点です」
その場で再び目を閉じたレンギは、何も言わず、何も答えず、ただただ成り行きに身を任せる。
「出来ない場合考えられる要因は、その呪いが高レベルであるというパターン。つまり、災害レベルの呪い。ですが場合によっては国が滅びるようなそんな代物を、わざわざ解呪を行わず幽閉するなんてあまりに危険すぎる。それに、こうして話していても、レンギさんにもそのような高レベルの呪いの兆候は見られない。そこで、もう一つ、考えられるとすれば」
セツリはレンギの反応を窺いつつも、一人、真理への路を模索する。
「呪いは、自然現象です。この世に生きる限り、遍く存在がその驚異に曝される可能性がある。いつ、どこで、誰が、どんな呪いに掛かっても可笑しくは無い。呪いに掛からない、そんな条件はありません。ただし… 僅かではありますが、呪いの種類の中には、条件やルールを引き金に降り掛かるタイプの呪いも存在している。そして、その類の呪いには特殊なものが多い。今回のケース、レンギさんがもしもそういった類の特殊な呪いに掛かっているとしたら、色々と合点がいくし納得出来る」
「そうですかい。それがダンナの推理ですかい」
そう呟きながら、おもむろにイスから立ち上がったレンギはその場で片足を上げる。
「そこから見えますかい、ダンナ。恐らくですが… これが、今回ダンナがここに呼ばれた理由の一つ、だと思いやすぜ」
レンギの足の裏。そこにあったもの、それは…
呪いの証である黒ではなく、セツリの掌に宿るソレと同じく《白》の色を纏った不幸の星であった。
END