9-3
すっかり陽が落ち、辺りを闇のベールがすっぽりと包み込む時刻。
そんな宵闇よりもさらに深淵。セツリは松明の灯りだけを頼りに、不安定な螺旋階段を下っていく。
この先に一体何が待ち受けているのか? 道中、それを考えるのに充分すぎるほど深く掘られた地下路。
だがしかし、そしてしかし。
止まない雨が無いように、明けない夜が無いように。どれだけ長い道のりであろうと、やがて終点はやってくる。神羅万象、その総てにおいて、終わりは必ずやって来る。
松明の灯りによって照らし出されたそれは、さながら石で出来た小さな部屋のようで。その光景は、セツリの脳裏を更なる混迷へと誘うのに充分過ぎる程だった。
「牢獄。確かに牢には違いない。けれどこれは…」
そんなセツリの独り言とも取れるセリフに対し、すかさず反応を返す人物が一人。
それは…
「ヒャッハッハ。意外、でしたかい?」
薄暗い石牢の隅。一人の男が、正座で彼を待ち受けていた。
「我が家へようこそ。お待ちしておりやしたぜ、解呪師のダンナ」
無精ひげに窪んだ瞳、その下の深い影のような隈。乱雑に切られた短髪とボロボロの服装。だが、その手首にも、足首にも、肝心の囚人の囚人たる戒めである《枷》が見当たらない。
「… アァ。いや、こいつぁ驚いた。むしろ意外ってのはこっちのセリフだったらしい。ダンナ、と呼ぶには少々お若過ぎるお方だったようだ。アァ、こんな風情のねぇ牢ごしの挨拶で失礼しやす」
ふらふらと立ち上がった囚人は、そんなおぼつかない足取りで檻の出入り口へと近づいていく。勿論、そのカギ自体はセツリが手にしているとは言え、今は完全なる施錠状態。二人を隔てるようにして、堅牢なる石の檻が確かにそこに存在している。
「いえ、呼び方に関してはどうぞお好きになさってください。僕の名はセツリ=ブラックハート、旅の解呪師です。師であるカイドウ=フォルスターの依頼により参上しました」
「アァ、あぁ。こいつはぁご丁寧に恐れいりやす。申し遅れやした、自分の名は《レンギ》。まぁ名前何ぞ、名乗る程には重要ではありやせんがね」
そう言って不敵に微笑んだレンギは、セツリの顔を正面から見据えたまま、その場で腰を下ろし再び正座を組む。
「こう見えても一応囚人の身でしてね、過度なお持て成しは期待しないでくだせぇよ。まぁ、解呪師のダンナもその辺りに転がってる来客用のイスを勝手に使ってもらって構いやせんぜ。此処は一つ、セルフサービスって奴でお願いしやす」
多少困惑しつつも。言われた通り、階段近くに転がっていた来客用らしきイスを手繰り寄せ、牢の前へと置きそこに静かに座るセツリ。
「実のところ、こうしてあなたと対面した今でも、僕は混乱しています。一体何から手をつけるべきなのか、むしろ僕は何をするべきなのか?」
対して、尚もその闇色の瞳だけをぎらつかせ、件の囚人は座して来客の様子を興味深げに観察する。好奇心、或いはまるで値踏みをするようにして。
「へぇ? そうですかい。そもそもたった一人でこんなくんだりまでやってくる辺り、その見た目に比べて肝ってやつが座っているように思えますがね」
「ひとり。確かに僕は今一人ですが、独りではありませんからね。それに、カイドウさんの依頼内容は、《とある人物の抱える呪いを診て欲しい》というものでした。そして、ここにはあなたしか居ない。つまり、そのとある人物とはレンギさんの事で間違いありませんね?」
「アァ、そいつに関しては間違いありやせんね。いかにも自分の事でしょう。あのお方も確かそんな事を仰っていた… ヒャッハッハ、解呪師のダンナ。まぁそう気負わずに、此処は一つ自分の喋り相手にでもなってくだせぇよ。何分、長い間独りで居る事が多かったもんで、暇を持て余しちまってるって次第でさぁ」
手枷の無い囚人は、相変らず正座でセツリを一心に見据える。果たして、その瞳の奥にどんな真意を抱いているのか。その顔はその表情は、闇のように仄暗く、ただただ変わらぬ薄ら笑いを浮かべている。
呪いを解く以前の問題として。殆ど事前情報を持たないまま敵地へと踏み込んでしまった以上、まずは相手から出来るだけ情報を引き出し、それらの精度によってこれからの方針を決定しくべきだろうと踏んだセツリは、レンギからのそんな申し出をにべも無く受ける事にした。
「望む所です、僕もあなたに聞きたい事がたくさんありますから。例えばそうですね… 解呪師として僕が最初に尋ねるべき事は… レンギさんは、呪いを抱えている。それは間違いありませんか?」
カイドウからの依頼が呪いを《解呪して欲しい》ではなく《診て欲しい》だったという事は、とどのつまり解呪を行うか否かの最終判断権は自分にあるという事に他ならない。だが、相手は仮にも囚人である。しかも明らかにただの囚人とは異なるような何かがある。一、解呪師である以上、例え相手が囚人であったとしても解呪を行う相手を選ばないとする彼ではあったが、今回のこの依頼の最大のポイントは、正にそこに隠されているのではないか? 渡された牢の鍵も、そこに関係してくる筈。そう考えたセツリがまず始めに件の呪いについての詳細を求めたのは、解呪師としても、ある意味必然の行為だと言える。
だがしかし、そんなセツリの思いとは裏腹に、件の囚人は尚も不敵に笑い続ける。
「ヒャッハッハ。そいつぁいけませんぜ、お若いダンナ。物事には必ず順序や手順ってものがある。いきなり王を取ろうとするなんざ、無粋以外のなにものでもない。違いますかい?」
敵もさるもの。これは一筋縄でいく相手ではない。そして、相手が対象の人物で間違いない以上、同時に呪いを抱えていることもほぼ間違い無い筈。だが、問題はその呪いだ。カイドウがわざわざ依頼と称し彼と対面させたという事は、普通の解呪師では解呪を行えないような高レベルの呪い、もしくはセツリの能力をあてにせざるを得ない何かしらの理由がある。そう確信したセツリは、一度だけ大きく深呼吸をした後、改めて質問の角度を変えて行くことにした。
END