8-6
夜。
焚き火を囲んだ二人の元へと、早朝の約束通りケージを抱えたシノノメがふらりと姿を現した。
「おっ。やって来たなぁー、WUOの監視役ぅー。こんにゃろー」
「… やっぱり、戻る」
「いゃーん、ウソウソ、うそだってば。ほら、今夜も冷えるしさぁ、一緒に暖まろうぜ! ね? ね? ササキさんのために。あくまでササキさんのためにさ」
コクリ。
そんなカンナによる必死の説得の果て、静かに一度だけ頷き返すシノノメ。そして。
「タダで施しを受けるのは、ボクの流儀に反するから。ってわけじゃないけど…」
そんな言葉を枕に結びながら、継ぎ接ぎの少女は、夜露に濡れるその瞳の奥を輝かせながら静かに静かに語り出した。
「WUOの幻獣殺し、それがボクに与えられた名前。《緑の悪魔》も泣いて逃げ出す、キリングマシーン。ボクは、物心ついたころからWUOのとある施設にいた。アラヤからは、両親は呪いで死んだって聞かされてる」
「そんな…」
「でも、だからといって呪いを恨んでるわけじゃない。別に、WUOの思想にも共感なんてしてない」
時折バチバチと爆ぜる焚き火の音だけが、漆黒の闇に染まりきった均衡に抗わんとその存在証明を繰り返している。
まるで、そんな闇夜に溶け込ませるようにして、少女は尚も語り続ける。
「こんな見た目でも、誰彼から恐れられようとも。ボクはこうして生きてるし、そうやって生きてきた。だからボクは、WUOのキリングマシーンって立場もこの人生も…… 嫌じゃないし、ましてや不幸だなんて思っていない…… だからこそボクにはこういう考え方しか出来なかったし、してこなかった」
愛情の反対が憎しみではなく、無関心であると言われるように。彼女は、WUOによってキリングマシーンとして作り上げられてしまった。そして、一度作られてしまったものを再構築するという事は、最初から作るよりも遥かに難しいという事実。
「んー、そーいえばさ。ずっとWUOの施設で育ってきたんだったら、ササキさんとはいつ頃出会ったの?」
今も尚、掌の上で大事そうに、ササキさんと呼称される一匹の冬眠状態のハムスターを抱える継接ぎの少女。慈しむように目を細め件を見つめ、少しの間を置いた後、少女は呟く。
「ササキさんとは、WUOのラボで出会ったんだ。唯一、ボクを本能的に恐れなかった動物。それがササキさん」
「ラボ。ラボかぁ。それって、モルモット的な?」
「かもね」
生命という概念を、奪略の象徴としてしかみていなかった、そう仕立て上げられたシノノメにとって、そのたった一匹の実験動物の存在は紛れも無くある種のボーダーラインだった。自分と同じ存在。自分自身の写し鏡。或いは少女らしい唯一の感情、歳相応の少女として潜在的に内包する本能的な感情の表れ… 彼女がそのハムスターに対し、一体何を想い、何を見出したのか? それは、少女当人にしか知り得ないこと。
「言ったよね、タダで施しを受けるつもりは無いって。だからこれは、別に親組織を裏切るわけじゃない。ただの、ボクの気まぐれ…… 今から話すのは独り言、右から左へ聞き流してくれて構わない」
そう、彼女らしいあくまでも淡々とした前置きを置いた上で。少女は、WUOの核心の一端に迫る、そんな話を切り出し始める。
「ボクの、この歪で醜い身体を見てもらっても分かると思うけど。WUOは、ある実験を行ってる。ボクのこの身体能力も、その成果の一つ。イヤ、副産物の一つかな」
くしゃくしゃの赤髪を弄びながら、少女は激しく爆ぜる目の前の焚火を見つめながら、淡々とそう呟く。その朱く照らされし瞳の奥に、様々な思惑の片鱗を覗かせながら。
「人体実験ということですか… しかし、WUOの狙いは一体何なのでしょう。そもそも解呪を禁じ、そんな実験に手を染めてまで、WUOは何をしようとしているんですか?」
いつにも増して真剣な眼差しでそう訴えるセツリに対し、シノノメの有する反応、答え。
それは………
「知らない。言ったでしょ? 所詮ボクは汚れ仕事専門の下っ端。ただの子飼の実験動物。そんなの、直接幹部達に聞いてよね。あの人達、正真正銘呪いと解呪師が大嫌いな奴らばかりだから…… あ、でも…」
「でも? でもなんだよぉー。もったいぶってないでゲロって楽になっちゃいなよ、YOU」
三人と二匹を淡く照らし出す原始的な赤の炎と相反する、そんな漆黒に染まり切った凍空を見上げ暫し逡巡した後、少女は二人の顔をじっと見据え、言う。
「もしかしたらアラヤは… 《呪いに掛からない生物》 そんな存在を、新しい人類を、生み出したいのかもしれない」
「え!? ちょ、嘘でしょ? それって」
カンナがそう言い掛けたその刹那、正にその瞬間。周囲の茂みから大型野生動物のものと思しき低い唸り声と共に、突如として巨大な影が出現する。
――― グルゥアアアァアアアアアアァ!!!!
「ほ、ほぎゃあああああ、でたぁああああああ!? ヤミイログマだぁあああああ!!」
闇色熊。
その名の通り夜の宵闇に紛れ、彼らの生活圏へと侵入を果たした人間達を襲うとされる亜寒帯地域を中心に生息する食肉目クマ科の猛獣。その個体の平均体重は、ゆうに500キロを超えると言われる、少し紫色の混じった黒色体毛の肉食獣。その巨体に加え、鋭い牙と両掌の爪により捕食を行う同種族の中でも最上位に君臨する存在。ただし、他の種に比べ執着心が一際強く、同種同士での縄張り争いが絶えず、その個体数自体は極めて少ないとされる。
だが、何といってもその最大の特徴は、火という存在を恐れていないという点にある。
「落ち着いてくださいカンナさん。この辺出るかもって事前に話といたじゃないですか、間違っても死んだフリなんかしないでくださいよ? 火を恐れないって事は… 即ち人も恐れていないという事。人の味を知ってる可能性もある」
「あ、あわわわああわわ」
その大きさと驚きのあまり、まともに杖さえ持つ事が出来ないカンナと、冷静であるものの、戦闘力が皆無のセツリ。そして、雲泥の対格差にも関わらず、果敢にも立ち向かうベル。
だが、更にそのベルの前へと立ち上がる少女が一人。
「ドラゴン、キミは下がっているといい。ここは、ボクがやる…… 別命流剣術… 《雷音》」
そんな言葉を言い終えるか終えないか。
継接ぎだらけのその体と、紅の赤毛。そんな姿から繰り出される素早く、それでいて豪快な剣技の数々。轟音と衝撃、そして炎に反射し煌めく仕込み刀。
その様はまるで… 赤き雷のようで。
食物連鎖の上位種たる件のヤミイログマは、たった一人の百獣の少女の前にて、瞬く間に地面へと伏す事となる。
そんな圧倒的光景をぽかんとした表情で見つめる二人をよそに、件の少女はぽつりと一言漏らす。
「……… 命までは取ってない。べ、別に、考えを改めたってわけじゃないよ。ただの気まぐれ、ただのそれだけ」
そう言って少しだけ顔を赤らめて微笑む彼女の顔は、正に、歳相応の少女のソレ以外の何ものでもなくて。
互いに顔を見合わせた後、二人もまた、釣られるように声を上げて笑うのだった。
END