7-6
「診療所手伝い三日目、お疲れぃ」
そう言って、各々グラスを片手に乾杯をする三人。
診療所の休憩所内は、何時になくアルコールの匂いと喧噪に満たされていた。
「どうなることかと思っていたが。なかなかどうして板についてきたじゃねーかよ、二人とも」
「にゃっはっはぁ! やっぱり姐さんもそう思うかい? こーゆー地に足の着いた、直接的に皆の役に立てる仕事ってのも悪くないよねー」
「調子に乗んなコラぁ。ある意味医者とは真逆の存在、魔法使いなんてやってる奴が吐くようなセリフじゃねーっての」
アルコール片手にわいわい騒がしい二人に対し、一方で、ベルの眠る寝台を一人離れたところでじぃっと見つめるセツリ。
「おう、セツリ。ドラゴンが心配か? アタシの見立てだと、恐らくだが今夜から明日朝辺りが勝負だろうな。奴の脱皮も最終段階まで来ている。後一歩だ。だがな、こういうことは総じて最後の最後が肝心なのさ。百里を行く者は九十里を半ばとす。終わりよければ何とやらってな」
ドラゴンの体は爬虫類のそれと同じく、体の表面がバラバラに剥がれ落ちる形で脱皮が行われる。そんな幼竜の姿を一心に見つめつつも、黙って彼女のセリフに耳を傾けるセツリ。
そして、そんな横顔を尻目にグウネが呟く。
「セツリ。てめー、アタシよりよっぽど医者に向いてるよ。まぁ、体力がなさ過ぎるってのが大問題だが。医者ってやつはな、体力がなきゃやってられねー職業なのさ」
「体力、ですか。成程、そればっかりはどうにもなりませんね。やはり医者の仕事は僕には難しいようです」
この数日間一緒に働いたことで、改めてグウネ=スカイブルーという人物の人となりを知ったセツリは、自らの力のこと、呪いの事を包み隠さず話していた。
「呪いと病気ってのはな、似ているようでその実対極にある存在だ。医学的に診れば、セツリ、お前のその体はこうやって生きている事でさえあり得ない位の、そんな不可思議レベルの代物なのさ。確かにあたしも解呪師の端くれだが、所詮は三流。情けないが、てめーの抱える呪いに関しては何も言えない」
「そんじゃーさ、どうして姐さんは医者と解呪師っていう二束の草鞋を掃いてるわけなんですかい?」
酒瓶片手にほろ酔い加減のカンナがそんなセリフを伴い、二人の元へやってくる。
「… あー、それか。別に、大した理由があるわけじゃねーよ。聞いたって面白くもなんとも無い話さ」
「それ、僕も気になってました。是非聞きたいです、グウネせんせい」
「わざわざ聞くかぁ? このタイミングでそれを。はぁ… てめーらの事情を聞いちまった以上、アタシも答えざるを得ない。てめーらには、その資格って奴があるからな」
セツリとカンナ。その両方から送られる期待の視線。
小さく溜息を吐いたグウネは、手にしたグラスを一気に飲み干し、諦めたかのように覚悟を決めてその重い口を開く。
「夢なんだ、アタシの」
「夢?」
尚も興味の視線を注ぐ二人に対し、グウネは淡々と答えていく。
「アタシはな、ここで数多くの生と死を視てきたよ。自分の手に負える患者は助けてきたし、手に負えない患者にも最善を尽くしてきた。けど、限界はある。病気も怪我も、本人の注意や体質改善、予防策などの手段を講じる事で限りなくそのリスクってやつを減らす事が出来る。薬の処方や手術、それらを治癒する方法は様々だ。だが、呪いは違う。呪いは自然の摂理だ。相手は自然の驚異そのものなんだ。当然、呪い自体を完全に淘汰する事は出来ない…… 《この世界から、決して呪いはなくならない》」
そう一旦言葉を切ったグウネは、グラスでは無くカンナが手にしてた酒瓶ごと一気にアルコール煽る。
「だからこそ、アタシは思うんだ。解呪はもっと普遍的な行為であるべきだと。つまりな? アタシが何を言いてーのかって言うと… 病気と同じく、呪いも薬によって解決できねーかってこと。つまり、術式を行わない投薬による解呪だ。アタシは、そういう方向でのアプローチを夢見てんのさ… 笑うなよ?」
「姐さん! 誰が笑うもんですかい! 私、ちょっと感動しちゃったよ」
「凄く興味深い話ですね、それは。でも、実際そんな事が可能なのでしょうか? どう言った技術を応用すれば辿りつけるプロセスなのか」
「いいんだよ、細かいことはな。治ればそれでいいんだ。遍く存在を、アタシは治してやりてーんだよ… アタシが思うに、この世で一番幸せな事は《治る事》だからな。アタシが治したいのは、病気でも怪我でも呪いでもなく、患者なんだよ。大切なのは、そいつの心と体の平穏だ」
その顔が火照って見えるのは、果たしてアルコールによる効能のせいか。或いは別の要因からか。
「だってよぉ。治るって、すんげー気持ち良いからな。だろ?」
ドクターグウネは、飛び切りの笑顔を浮かべながら、そう言い切った。
「実際、その研究は進んでるんだ。ちょっとずつだけどな。それに、カンナの話の少女。確か、《ニア》だったか」
セツリと同じく、カンナも自身が抱える課題であり命題。ニアについての話をグウネに相談していた。
「ナイトメアの呪い。呪い自体は解呪が行われたにも関わらず目を醒まさない少女。そうだな?」
「うん… そうだよ、姐さん」
「実際この目で診たわけじゃねーからな。確実な事は言えねーが… もしかすると救う手段があるかもしれない」
「ほ、本当!?」
「ああ。さっき言った解呪に対する薬品化の試みの一つ、その中の一つにその子の症状に応用出来そうな研究がある。ただし、あくまでもまだ実現してる話じゃない。あんまり期待すんなよ? 今はまだ可能性の一つ、一握りの僅かな可能性くらいに捉えておいてくれ」
「大好き、姐さん!」
そう言って涙目になりながらグウネに抱きつくカンナ。
「おいおい勘弁してくれ。アタシにそっちの趣味はないっつーの」
「にゅふ、にゅふふ。にゅっふっふぅ。姐さんってばぁ、にゅふふふ、そぉー堅いこと言わぁ………… オロロロロロロロロロロロロロッ」
「ば、な、なにしてくれちゃってんだよテメー! 抱きつきながら吐くやつがあるか!」
「… 言い忘れていましたが。カンナさんは、それはもう色々と酒癖が悪いんですよ。最低最悪に。だから気をつけてくださいね、せんせい」
「てめーセツリ! おせーんだよ、教えるのが! さてはわざと隠してただろ? そうだろ!? そうなんだろ!!?」
そんな、騒がしくも暖かい、診療所での最後の夜が更けていく。
END