1-5
人から人へ。家から家へ。男の呪を発端として広がった炎が、村全土を覆うのにそう時間はかからなかった。
セツリとカンナが村に到着した時点で、村の8割ほどが炎に覆われ、辺りには灰が散乱していた。そう、灰である。
「酷い、こんなの酷過ぎるよ! 私達がいない間に、一体どんな不幸が起こればこんな事になるっているの!」
涙を浮かべたカンナが泣き声とも怒声ともとれる叫び声をあげる。
彼女自身、この現実に対して、悲しむべきなのかそれとも怒るべきなのか、怒るとして何に対してこの怒りをぶつければいいのか、分からないでいた。
唯一つ、もう何もかもが手遅れでどうする事も出来ないという現実だけが、彼女の胸を締め付けていた。
そんな彼女とは対照的に、黙って村の惨状を見つめていたセツリがぽつりと呟いた。
「この炎は恐らく災害レベルの呪いによるものです。この炎そのものが呪い。だからカンナさんの魔法でも消すことは出来ないでしょう。
それに、一度焼かれたら死体はおろか、ああやって灰になるまで勢いは衰えない。もう、僕らが出来ることなんて何もない…」
そう言い残したセツリは、両腕の黒皮の手袋を外し、両指の指先にそれぞれ白の不幸の星を浮かび上がらせ、解呪能力の準備を済ませると、青色の炎をに覆われた村の中へと足を踏み入れていった。
「待ってよ、セツリ。さっき自分で言ったじゃない、もう私達に出来る事は何もないって! それなのに、どうして炎の中に入ろうとするの?行っちゃだめだよセツリ」
カンナの顔は、涙と炎の熱による汗と鼻水ででぐちゃぐちゃだった。それでもその目だけはしっかりと、セツリを見据えていた。
今にも崩れてしまいそうな表情の彼女に対して、持ち前のいつもの表情を崩し、一瞬だけ申し訳なさそうな顔をしたセツリが言う。
「ごめんカンナさん。それでも、僕は行かなきゃ駄目だと思うんだ」
「何でだよ、何でセツリがそこまでしなきゃいけないんだ! これは災害なんだよ? 村を好き勝手に焼いて、後は沈静化するだけじゃない!」
災害レベルといえど呪いは呪い。
村を焼き尽くし、本体の男が完全に呪いに呑まれ、死に至ればこの地獄も終わる。
「それに、幾ら君のの解呪能力が凄くっても災害レベルの呪いなんて、これまでやったことないじゃない! 君が何もしなくても、この災害はもうすぐ終わるんだよ? それに、もし解けたとしても、セツリ自身がどうなっちゃうか分からないじゃないか!」
「… ごめん。ありがとうカンナさん… 今日は楽しかった」
叫び声を上げるカンナを振り返ることもなく、それだけ告げたセツリは、やがて炎の中へと消えていった。
「ばか、ばかばかばかばか。どうして、どうして君は、いっつもそうなんだよぅ」
カンナのその嘆きも、炎の轟音に掻き消され、セツリに届く事は無かった。
炎、灰、炎。
セツリの眼に映るのは、そんな変わり果ててしまった村の姿。
込み上げてくる胸の痛みと、息苦しいほどの高温高熱に耐えながら、セツリは教会へと、神父の元へと走った。
セツリの眼にミーシャの家が映る。他の家同様、蒼の炎に覆われ、今にも崩れ落ちそうな状態。中のミーシャ達がどうなってしまったか、想像するのは簡単だった。
今にして思えば、午前中のミーシャの呪いは、この事が起きる前触れだったのかもしれない。そもそも低レベルの呪いすらまともに現れないようなこんな辺境の村で、星二つとはいえ、呪いが顕現したこと自体が異常事態だったのだ。そんなことにも気がつかず、ただただ何も考えず、いや、ただ一つの想いに囚われ、目の前の呪いを解呪することしか出来なかった僕の、何て浅はかなことか。
セツリは唇を噛みしめ、ただひたすらに炎に覆われた村を走った。
ミーシャの家は丁度村の中心部に位置している。対して教会は村の外れ。村の正面から入ったセツリ達からすれば正反対の場所に位置していた。つまり教会にたどり着くためには、後半分、この村の惨状を目にしながらひたすら走らなければならないという事になる。
ああ、きっとこれは、この事態に気がつく事が出来なかった僕への罰なのだろう。
それはセツリが今まで受けてきたどんな罰よりも、どんな呪いよりも、重く、苦しいものだった。
教会は他の民家同様、蒼の炎に覆われていた。
ドアが、椅子が、鐘が、ステンドグラスが燃えている、崩れている。
セツリは震える左手を抑えつつ、内部へと侵入していった。
激しく炎を吹き上げる内部にあって、一際強い炎を発する場所、二人の人物はそこに横たわっていた。
「神父様! そんな… 嘘だ、嘘だこんなの」
神父の体は既に炎に覆われ、半分が灰と化し崩れ落ちていた。
この呪いは感染が末端に行けばいくほど、発症のスピードが速くなる。逆を言えば、男の次にこの呪いに感染した神父の体は、炎が立ち昇っては消え立ち昇って消えを繰り返し、全身を徐々に焼き尽くされながら、その姿を少しずつ灰へと変えていたのだった。
「その声は、セツリか? セツリなのか?」
まだかろうじて意識のあった神父が、しわがれ消え入りそうな声で喋る。
「はい。セツリです。神父様どうして、何があったんです? 村にも火が回っていて皆、灰に、灰になって消えてしまいました」
「すまない。私というものがありながら、どうすることも出来なかった。災害をくい止める事が出来なかった。村人一人避難させることが出来なかった。すまないセツリ。本当にすまない」
うわ言のように謝罪を繰り返す神父の姿に、無意識に涙を流すセツリ。
その炎が神父の全身を焼き尽くし、灰に変えるのも時間の問題。もはや神父を助ける事は、誰にも不可能だった。
それでもなお、神父はその口を開き続ける。
「セツリ。お前に最後の願いがある。私の最後の願いだ、聞いてくれるか?」
「何言ってるんですか、最後だなんて言わないでください! 僕が、必ず僕が何とかしますから」
「お前にも分かる通り、私も、この旅の御仁も、もはや助からない」
そう言って同じく隣に横たわる男を指さす神父。
男も神父同様蒼の炎に焼かれ、体の半分が灰と化しながらもまだ生き永らえていた。
通常では生きているのがありえないような状態。最後の最後まで苦しみぬいてから死ぬ、それが呪いを受けたものの末路だった。
「私は、彼を救ってやることが出来なかった。だが、セツリお前なら。お前ならきっと彼の呪いを解いてやることが出来るはずだ」
神父同様、セツリも災害レベルの呪いなど到底解呪したことは無かった。ましてや、彼が能力を使って解呪した呪いの最高レベルは3。彼の能力が果たして災害と呼ばれる呪いに対しても通用するのか? 例え通用したとして、その後彼に何が待ち受けているのか?
「呪いを抱えたまま死んだものは、天国にも地獄にも逝く事が出来ないという。頼む、セツリ。彼に安らかな死を与えてやってくれないか? それが、私の、最後の願いだ」
神父の四肢のうち、両足と左手を含め、その7割が灰へと変わっていた。全身を焼かれる痛みに耐えながらも、徐々に灰へと変わりゆく神父。
セツリの答えは既に決まっていた。自身に与えられた能力の意味も、呪いの意味も、役割も、後に待ちうける事体も、彼の脳内からは排除され、今、彼を占めるもの、それは育ての親への最後の恩返しだけだった。
「神父様。僕は、僕はあなたのおかげでここまで生きていくことが出来ました。本当は信仰も、自分に与えられた能力も呪いも、どうでもよかったんです。僕はただ、あなたに褒められたかった、見ていてほしかった、恩返しがしたかった。ただ、ただそれだけが僕の生きる意味だった」
セツリは神父の元から離れ、隣の男の元へと向かう。
「だから、そこで見ていてください。これは、僕の最初で最後のあなたへの恩返しです」
セツリは自身の泣き顔を隠すように、神父に背中を向けつつ男の解呪にとりかかった。
神父はそんな彼の小さな後姿を見て大きく安堵し、呟く。
「大きくなったなセツリ。お前なら、きっと答えを見つけられる。多くの救いをもたらすことが出来る。この先も、きっと………」
音もたてず、神父はその全身を灰へと変えた。
END