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第七解 「空蝉。碧空の診療所」
それは、良く晴れたとある日の出来事。
「た、大変ですカンナさん!」
「ん? どったのセツリ。そんな血相変えて」
持ち前のポーカーフェイスを悉く崩し、珍しくも慌てた様子を見せつつセツリが言う。
「… ベルがどこにも見当たりません。どうやら、逸れてしまったようです」
「ナ、ナンダッテーーーー!!?」
天使や竜の一匹や二匹飛んでいたとしても可笑しくない、そんな良く晴れた満天の青空。その早朝の出来事だった。
◆ ◆ ◆
『せーーーんせーーーーーーい!!! グウネせんせーーーーい!!!』
セツリ達の現在地である野営ポイントから、程なく離れた場所にある小さな田舎町、《ハイネスト》
周りを険しい山脈や湖に囲まれたこの町の、更にその外れの小高い丘に居を構える。ここはとある小さな診療所。
「あー、もう! うっせーーーんだよ。こんな朝っぱらからいちいち大声を出すんじゃねーっつーの」
診療所。そう呼ぶには聊か精彩に欠ける小さな山小屋。
そんな診療所の扉の前で《グウネ》という人物の名を呼ぶ数人の少年少女達。そして、その呼びかけに応えるようにして、中からぬーっと姿を現す白衣の女性。
「んで? 今日は何なんだよてめーら。また誰か怪我でもしたか? それともペットの病気? 言っておくが、遊びの誘いなら乗らねーぞコラぁ。アタシはてめーらガキ共と違って暇じゃねーんだ」
年の頃20代後半。女性にしては高めの身長、特徴的な空色のロングヘア、飾り気のない黒ブチメガネ。そして、それらを台無しにする明らかに寝起きだと分かる腑抜け切った表情と、よれよれ白衣のズボラな格好。
少年少女達に《せんせい》と呼称されるその人物は、一先ず彼らを診療所内へと招きいれる。
だがしかし、そしてしかし。
彼らが抱きかかえる《あるもの》が目に入った瞬間、彼女の意識は一気に覚醒しその表情も一変する。
「!!? う、嘘だろ? お、おいコラてめーら、ソレ…… どうした」
「うん。せんせいに診てもらおうと思って。おれ達の秘密基地に落ちてたんだ。な?」
「そー」
「そうなの。ねぇ、グウネせんせい。この仔、何の動物かなぁ? 全然動かないけど。病気かなぁ?」
尚も一人の少年が抱える《あるもの》を見つめたままその体をフリーズさせている彼女を意に介さず、少年少女達はきゃいきゃいと診療所内を走り回る。
「… いいかコラぁ、良く聞けガキ共。コイツの事はあたしに任せて良い。望み通り、医者の端くれとしてコイツの事を診てやる。だが、それにはちょいと時間が掛かりそうなんだ。だから、暫くあたしを一人にして集中させてくれねーか。何か分かったら必ず知らせてやる。だから今はソイツを置いて帰れ。今すぐ家に帰れ。いいな? 今すぐだ。後、あんま秘密基地に入り浸ってんじゃねーぞ。あれ、町の外にあんだろ? あんま危ねーことに首突っ込むじゃねーぞ。分かったな?」
素直さは子供達の持ちうる美徳の一つであるように。少年少女達は、元気の良い返事を残し、言われた通り診療所を後にする。
だがその素直さと純真さ故、時として、子供たちは知らず知らずのうちに自らを危険の淵へと追いやってしまうのもまた事実。そう、図らずも未知との遭遇を果たしてしまった今回のケースのように。
嵐のように突如としてやってきて、嵐のように飛び切り重い置き土産を残して去っていく。
再び診療所が平穏に包まれた事に、或いは早々に子供達の手から引き取る事の出来た事に対しての安堵感。一方で、何故こんなド田舎の町に《こんな生物》が居るんだという疑問。子供達の身に万が一の事があったらという恐怖。事実あったかもしれないという戦慄。彼女の脳内に様々な思惑の波が押し寄せる。
だが、今の彼女にとって一番率直な意見、それは。
「流石のアタシも、実物ってやつをこの目で見るのは初めてだ… 本物の《ドラゴン》って奴を診るのは、初めての経験だ。なんつーか、見た目はあんま凶暴そうに見えねーな… まぁ、あくまで見た目だけは、だが」
そんな素直な感想を口にした彼女は、若干の興奮と緊張と恐怖感を押し殺し、すぐさま気持ちを切り替え触診を開始する。
「白竜。しかも幼竜だ。こんなの、一生に一度お目に掛かれるかどうか… いや、出来ればお目に掛からない人生ってやつの方がマシなんだろうな」
有翼種。星の子供達。幻獣ドラゴン。
そもそも人間とは互いに不可侵の関係である彼らが、こんな風に極々当たり前のように、人々の生活圏に姿を現している。その事自体が既に異常事態だという現実。
「意識レベルが低いな。反応も芳しくない。だが、不幸の星があるわけでもない、か。もしかすると呪いの類なのかとも思ったが… どーやら感が外れたらしい」
グウネがハイネストの郊外にこの診療所を構えたのが数年前。
それ以来、彼女は医者として、獣医として。時には、解呪師として。住人達の様々な症状を診て、治療を行い解呪を行ってきた。辺境の町のひねくれ医師として住人たちに親しまれてきた、そんな彼女にとってもドラゴンを診察するのは当然ながら初の試み。知識としてそれがドラゴンであると一目で理解はしたものの、どう扱っていいものか甚だ決めかねる。だが、医者である以上、その本文として衰弱した患者をこのまま見過ごせるわけも無く。
「この手の事は、獣医っつーより魔法使いの奴らの領分だろ。チッ、何分知識も資料も足りてねーからな、ドラゴンに関しては。しかし、ドラゴン、ドラゴンねぇ。爬虫類やらと同じ… なわけねぇよなぁ」
だが、自ら独り言或いは愚痴のように漏らしたそのワードは、後々、彼女自身を解へと導く一助となるのであった。
END