5-7
「この呪いの最大の特徴は、先ほど述べた《ある特定の条件》に大きく左右されるという点です。その条件を満たす事がキーとなり、呪いが発動する。逆に言えば、例えこの呪いに感染しようとも、その条件さえ満たさなければ発動しない… 故に、ステルス型と呼ばれているんです」
ライセンスを持つプロの解呪師でさえ、判断する事が難しいとされるこのステルス型の呪い。発動するまでは不幸の星さえ顕現することはなく、一見しただけでの判別は非常に困難とされる。
「ちょ、ちょっと待ってよセツリ。それって、その条件って…… 《私》なの? 私がここに来たから、ニアの呪いが発動して、私も、彼女の呪いに閉じ込められたってこと?」
セツリは、沈黙を持ってその答えの代わりとする。
遠くから聞こえてくる子供達の、その無邪気な笑い声だけが、二人の間に流れる重い沈黙をかき消してくれる。
「ね、ねぇ、セツリ。そういえば、どうしてニアは眼を覚まさないの? 彼女の呪い、解呪してくれたんだよね? そうでしょ? そーだよね?」
「ごめん、カンナさん… すみません」
「どうして、なんでセツリが謝るんだよぉ…」
再び、その大きな瞳に大粒の涙を溜めるカンナ。ニアを握るその手に、自然と力が篭っていく。
「レベル自体は4の呪いです。確かに解呪しましたし、こうやってカンナさんの意識をニアちゃんの夢世界から引っ張ってくることも出来た。ですが、一度作り上げてしまった夢世界を支配しているのはあくまで彼女。そこから帰ってこれるかどうかは、彼女次第… なんです」
「そんな、でも」
「出口への道筋は、確かに標しました。ただ、彼女が現実世界より夢世界を選んでしまったとしたら、その限りではない」
夢世界の大きさは一定ではない。
長年思い続けてきた想いが強ければ強いほど、その世界も比例して大きく強固なものとなっていく。
そんなセツリの返答を聞き、ベッドに横たわるニアに顔をうずめ、わんわんと泣き続けるカンナ。
「うわーーーん、私のせいだぁ。絶対私のせいだぁあああ。私が、私がこの教会に来なければ、ここに泊まろうなんて言い出さなきゃ、ニアの呪いも発動しなかったんだぁああああ」
たったの一宿一飯の間柄。
それでも、先日のカンナとニアは、まるで本当の姉妹のように、中睦まじく見えた。少なくともセツリには、確かにそう思えた。だからこそセツリは、ある覚悟を持って次の言葉を紡いでいく。
「カンナさん。先ほど僕が言った《ある特定の条件》って言葉、覚えていますか?」
「ふぇ? えっと、うん。ニアの呪いが発動する条件でしょ? 私のことでしょ?」
「いえ。本来、ナイトメアの呪いの発動に関する条件は… 《人》ではなく《事象》なんですよ。この意味、分かります?」
「全然」
「ええ、まぁそうでしょうね。良いですかカンナさん。大切なのは、何故カンナさんだったのか? という事です」
「何故、私だったのか?」
発動までの条件が細かく指定されている分、その効力が強くなるタイプの呪い。だからこそ、その条件の中身は必ず意味を持つ事になる。
「一般的に、その条件の多くは… 《血縁、もしくは記憶、経験の共有》だと言われています。何分、症例の少ない呪いなので情報が少ない。ただ、その事実をどう受け止めるかは、カンナさん次第です」
あったかもしれない未来。だが、決して手の届かない未来。
前述通り。カンナには、物心つく前の記憶も、自身に関する記録さえも存在していない。
十年前、とある地方で起こったとされる《災害》級を超える過去最大級の呪い。星をも砕く、天の呪い― 《星の天砕》
そんな規格外の呪いで悉く壊滅した地域の、ほんの一握りにも満たない、数少ない生き残り。天砕孤児。奇跡の生き残り。神の御目溢し。
彼女の過去に関する記録の一切が消失してしまった以上、それが、カンナに残された最古の公式の記録である。
その後、様々な施設や人手を渡り歩き、最終的にヤクモ神父の庇護下へと辿りつき、同じく《とある理由》によりヤクモ神父の下へと預けられていたセツリと共に育てられた。そのヤクモ神父亡き今、カンナについての記録は、その残滓さえ完全に消え去ってしまった。
だからこそ、セツリのその言葉は、この現実は、幸か不幸かカンナの過去の一部分を照らし出す結果となった。カンナが、それを望む望まざるに関わらず、である。
ニアを助けるすべがあるとしたら、それは彼女達の過去や、関係性であるという事実を示唆しながら。
「ってことは、ニアが本当に妹… かもしれないってこと? もしくは、同じ記憶や体験を共有してる。つまり、天砕孤児?」
「…… その可能性は、ありえるかもしれませんわ」
20台半ば。カンナより年上の、教会の主であるシスターが二人の側にそっと近づいてきた。
「ニアのご両親は、元々あの地方出身であったと聞き及んでおります。そして、彼女もまた主の御手により導かれた神の子。カンナ様とニアとの出会いには、必ずや意味がある筈です」
「シスターさん。私、私、どーすれば?」
厳かな法衣に身を包んだ金髪のシスターは、その場で手を合わせ、祈りの所作を執り行う。
「残念ながら、わたくしには解呪についての知識がありません。その答えを導くのは、主でもわたくしでもなく、あなた自身なのですよ」
解呪師の見地からでも、聖職者の見地からでもなく。
そんなシスターの言葉に対し、カンナは…
「… ねぇ、セツリ。私、この旅を通じて自分の過去を探してみるよ。私にとって、セツリに着いて行きたい一身で始まったこの旅だったけど。例え本当の妹だとしても、そうじゃなくってもね、彼女を、ニアを助けたいんだ! その、セツリも、手伝ってくれる?」
「何を当たり前の事言っているんですか。カンナさんの願いは、僕の願いです。つまり、当・然です!」
そう言って、少しだけそのポーカーフェイスを崩して微笑みを見せるセツリは、こう締めくくる。
「それじゃ、行きましょうかカンナさん。子供達のおもちゃになってるベルをそろそろ助けてあげないと… 本当に捕食しかねない雰囲気ですし」
「やっぱり食べるんだ!? って、それよりシスターさん、私達、必ずここに戻ってきますからっ。戻って、ニアを必ず助け出します。だから、それまでニアのこと、妹の事… どうかお願いしまっす」
ベッドの上で、規則的に寝息を立てる少女。
その表情が、どこか安らかなものに見えたのが、二人にとってせめてもの救いであり、愁いを断ち切る要因となった。
例え異質な解呪師見習いであろうと、天才魔法使いであろうと、人一人が出来る事には限界がある。
だからこそ、悲しみに暮れている暇は無い。
彼らは後顧の憂いを断ち、尚も旅を続ける。それだけが、今は前に進むことだけが、彼女を救うための唯一の方法だと信じて。
「― 神は天に居まし、世は事も無し。あなた方に、神のお導きがあらん事を願います」
こうして、二人と一匹の旅はまだまだ続いていく。
彼らは、旅の目的に新たなる目標を加え、再びその路を歩み始める。
この先二人に待ちうけているもの、それはまだ闇の中。
彼らの進路は、まだ解かれない。
第五解《了》