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「おう、カンナ。今日は遅れなかったみてーだな。とっとと準備しな。お客さん来ちまうぜ」
「失礼だにゃ。私、遅刻したことないっつーの。おやっさんこそ、今日の焼き上がりはどーなのさ」
おやっさんと呼ばれた人物が、石釜から焼きたてのパンを取り出していく。
立ち昇る湯気と焼きたてパンの香り。質素で狭い店内が、そんな幸せな香りで満たされていく。
「ん~。さいっこう! 良いよねー、この匂い。私、大好きなんだーこの焼きたてのパンの匂いって」
「ああ、そうかよ。そいつは何よりだ。それより、そっちの準備はもう済んだのか?」
シンプルな黒のエプロンを身に纏ったカンナが、満面の笑みで答える。
「もちのろんだよ、おやっさん。なんてったって私は、村で唯一のパン屋さんの看・板・娘! なんですからねっ(ドヤァ」
「はん。娘って歳かよ。ニアならまだしも」
「失敬だな! 失敬だな! このロリコーン! ってか、私だってニアとは一回りも年離れてないんだぞぅ」
手足をばたつかせて猛抗議をするカンナ。そんな彼女をまともに相手にする事もなく、一方の店主はもくもくと開店準備を続ける。
「ったく、暴れんじゃねーよ。埃が立っちまうじゃねーかぁ。仕方ねぇ、今日も年増の看板娘で我慢してやるか… ウチも何かと人手不足だからな。この際文句は言えねーぜ」
先ほどまでの調子が嘘のように。カンナが、しおらしくおずおずと尋ねる。
「おかみさんの体調… どう?」
「ん? ああ、いいぜ。頗る良好だ。もうすぐ産まれるんじゃねーかな」
「本当!? やったじゃん! いやー、でもおやっさんが人の親になるのかぁ。もう感動を通り越して犯罪の域だよねぇ、それってさ」
「てめぇ、そんなにクビになりてーのか? 馬鹿言ってねぇで、とっとと焼きあがったパン並べやがれ」
「ほんのじょーだんなのにぃ。あいあい、りょーかいですよーだ」
明るくてちょっとずぼらなお調子者。とある小さな村のとある小さなパン屋の、そんな極々普通の看板娘。
それがカンナの仕事であり、カンナと言う人物を構成する要素の一つだった。
「あっ、おばちゃんおばちゃん。コレ、新メニューなんだけどどう? 人柱になってみない?」
「いやー、今日も良い天気だねー。こんな良い日は食欲1.5倍増しでついつい余計に食べたくなっちゃうんだよねー。えっ? 関係ない?」
「いいよいいよ、おやっさんには内緒ね。いつも買ってくれるからさ、オマケってやつだ。ふっ、惚れるなよ?」
そんな性格もあり。カンナにとってこの仕事は、彼女にとっての適正職の一つであると言えた。
「おい、カンナ。客足も落ち着いたし、休憩に入ってくれていいぜ。ちと遅くなったが家戻って昼飯でも食ってこい」
「ほーい。りょーかい」
黒のエプロンを外し、スキップと鼻歌まじりで一旦家路へとつくカンナ。妹の待つ、二人の家へと。
◆
「あっ。待ってたよ、おねーちゃん」
「ごめんごめんニア、待った? 相変らずおやっさんたら人使い荒くてさぁ。まいっちゃうよね~」
「それだけおねーちゃんが頼りにされてるってことだよ。それじゃ、冷めないうちに食べよ?」
小さなテーブルに小さなイスが二脚。
朝食時とさほど変わらない質素なメニューに加え、午前中に売れ残り店主に持たされたパンを幾つか。
それらを口に運びながらの何気ない会話。
姉妹の時間。掛け替えの無い、二人だけの時間。
「ニア、午前中も良い子にしてたかい? おねーちゃんがいなくて寂しくなかったかい?」
「もう! おねーちゃんってば、そうやってすぐ子供扱いするんだから。お掃除にお洗濯、ご飯作り。我が家の家事は誰がやってるんだっけ?」
「えーっと。私の自慢の妹、ニアちゃんです」
「えへへ。ねぇ、おねーちゃん。お仕事終わったらお勉強見てくれる? ちょっと分からないところがあるの」
「… 私の妹が、こんなに良い子のわけがない。妹が可愛すぎて、生きているのが辛い」
「なーに、それ? 変なおねーちゃん」
あっという間にお昼を食べ尽くしたカンナは、午後の仕事の為、再び店主の待つパン屋へと向かう。
時刻は、太陽が最も高く昇る時間帯。
「おやっさん、午後の分の焼き加減はどんな感じ? って、この匂いなら、聞くまでもないよね」
「へっ。分かってきたじゃねーか。まだまだ午後は長いぜ、気合入れてくれよ」
「ぃよっしゃー! まかせとけぃ」
何気ない平穏な一日。ありきたりで退屈な日常。セピア色に包まれた世界。
けれども現実は残酷で。
昇りきった太陽が辿る運命は、たった一つしか用意されていなかったとしても。時間は止まらない。
秒針は刻一刻と駆け足で過ぎ去っていく。
END