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「セツリくぅーん。君ってば、まーた私の目の届かないところで無茶したんだね? 後悔しないねー、君も」
「反省はしても後悔はしない主義なので。と言いますか、それを言うならカンナさんだって、今回は普通に宿で寝てただけなんですからね」
「テヘペロ♪」
「やめて下さい腹の底から怒りが込み上げてきます」
「ひどっ!!」
そんないつものやりとりを傍から見ていたカエデが、その強気な態度からは考えられない程控えめに言う。
「あのっ… ちょっとよろしいかしら?」
ここは宿場の二人の部屋。
セツリはそのベッドの上、カンナとカエデはその近くの椅子に彼を囲むようにして座っている。
「あっ、別にカエデさんが気に病む事はありませんよ? これ、何時もの事ですから。むしろ、ここまで運んでいただいたり、僕みたいな部外者が勝手に介入しちゃったり。良い迷惑… でしたよね?」
「そんな事は、その、無いけど…」
カエデは、その白髪をくしゃくしゃとかきあげながら、黙って俯いてしまう。
「別にさぁー、誰も悪くないんじゃないの? 今回の事って。だってぇ、誰も間違った事したわけじゃないし。セツリにはセツリの、あんたにはあんたのやり方があった。それだけでしょ?」
カンナが、いつも通りの軽い口調でそう投げ掛ける。そして、そんな言葉を受けカエデが、その目に光を宿し再び顔を上げる。
「… 誰も悪くない、か。流石は年増ちゃん。うん。その通りだわ」
「と、ととと、年増ぁあああああああ!? あんたねぇ、私よりちょっと、ほんのちょーーーーっとだけ若いからって、いい気になんなよぅ!!」
涙目になりその眉間に大量の青筋を立てながら、カンナが声を荒らげる。
だが、そんなことは全く意に介さず、カエデは独り言のようにぽつりと呟く。
「そうね。そうだわ。そうに決まってる! ここまでしてもらった以上、あなた達にはカエデちゃんの話を聞く義務があるわ。いえ、カエデちゃんの話、聞いてくれるわよね? ね?」
その真剣な眼差しに圧倒され、セツリは元より、件のカンナさえ黙って頷き、しばしカエデの話に耳を傾ける。
「カエデちゃんの生まれた村にはね、まともな解呪師って奴がいないの。むしろ、解呪師という存在を嫌ってさえいたわ。けど、それでも村は結構平穏に廻っていたの。何故だが分かる?」
いつもなら見当違いな横槍を入れる筈のカンナさえ、今は沈黙を貫く。
「呪いの中には伝染性を持った呪いも存在する。そうでしょ? 解呪師ちゃん」
「ええ、確かに。高レベル呪いの中には、生物から生物へ伝染しその輪を広げようとするタイプも存在します」
二人にとって総ての始まりである、レベル6の呪い、災害《炎風邪》がそうであったように。
そして、そのタイプの呪いは常に村の街の壊滅という危険性を持っているといっても過言ではない。
「村の《しきたり》なの。レベル3以上の呪いに掛かった野生動物を見かけたら、その場で… 殺すというのが」
その考え方自体は、別段カエデの村だけが持つような、そんな特別なものではない。
まともな解呪師のいない辺境の村などでに伝わる、種の存続の為の方法の一つ。自己防衛のための手段。
そして、解呪師という存在もまた、《様々な理由》から全ての人間から受け入れられている存在ではない、という事実も確か。
だからこそ、別段二人は驚きも悲しみのリアクションさえとる事は無く、黙って彼女の話に耳を傾け続ける。
「そしてもう一つ。むしろ、こちらの方が重要であり原因」
カエデは、昨日酒場でそうしたように、再び二人の目の前に彼女の愛刀《under7》を置いた。昨日と何一つ変わらず、黒刀は漆黒の闇を纏っている。
「カエデちゃんの村では、この剣を御神体にして、村の人間達からある程度呪いを遠ざけるという独自の《すべ》を持っていたの。言い方は悪いけど、毒をもって毒を制すってやつね。うん」
「初めて聞いた… そんな事が可能なのですか?」
「出来るわ。《巫女》が、そのすべてを、生涯を捧げてこの剣をコントロールする事で、ね。けれど、そんな危ない橋を渡るような綱渡りは、長続きしなかった」
カエデは、まるで遠くを見つめるような物憂げな目で愛刀を見つめる。
ここにあって、ここにない、そんな黒の妖刀を。
「何故かは未だに分かっていないの。年々、巫女の適正を持つ村人が減り続け、最後はたった二人になってしまった。つまり、最後の現役巫女とその後継たる適正者が一人」
「うっ。ここまで聞いちゃったら、流石の私でも分かってきたかも。それって、もしかしなくても」
「あら、流石に年増ちゃんでも理解出来たかしら。最後の適正者って言うのが、何を隠そうこのカエデちゃん。因みに最後の現役巫女は、カエデちゃんのマミーね。まっ、最後の適正者なんて肩書きは凄いけど、巫女としては実際何も出来なかったわ。だって、ある日突然、マミーは、その姿を消してしまったから」
巫女の何たるかを、その引継ぎを何も出来ない程度には、突然に。
その生死も、目的も行方すらもわからない程度には、突然に。
ぽつりとそう漏らしたカエデの目が赤く腫れ上がっていたのは、彼女の瞳が元から赤い為だけでは、決して無かったはず。
「巫女というより、単なる生贄ですね。それは」
「ええ。その通りよ。それに、単なる希望的観測かもしれないけど… もしかしたら、マミーはあえてカエデちゃんに何も残さなかったのかもしれない… こんな下らないしきたりを根絶するために」
ベッドから立ち上がったセツリは、窓を全開に開ける。
1日の中でも太陽が一番高く昇る時間帯。気持ちの良い風が、部屋の中を一瞬で通り抜けていく。彼女の、カエデの純白の長髪が風にたなびき美しく揺れた。
「でも、当然それで終わりじゃなかった。巫女を失った剣は、今度は村に多くの呪いをもたらすようになったの。誰かが何とかしなきゃならない。その誰かの矛先がこのカエデちゃんに向かう事は、そうね、時間の問題だったわ」
窓辺に立ち、その平穏で穏やかな景色に視線を移してたセツリが静かに言う。
「あなたと僕は、少しだけその立場が似ている。だからこそ、とても他人事とは思えない」
「ばっ、な、なによ急に! こ、この変態ちゃん!」
ころころと表情を変えるカエデとは逆に、普段の彼女からして考えられないくらい静かに、そして真剣に彼女の話に一心に聞き入るカンナ。
「… 見事なまでの《反転》だね、その話って」
ぽつりとそう呟くとともに、カンナは、心の奥底で、これまで感じた事の無いほどの《何か》を感じていた。
なぜなら、そのカエデの話が、カンナにとってもとても他人事には聞こえなかったから。極々身近に、もしかすると同じような危険性と危うさを持ち合わせた、彼女にとって誰よりも大切な人物の姿を、脳裏に思い浮かべてしまったから。想起せずにはいられなかったから。
「そうね。所詮毒は毒。いつかは牙を剥くものよね。うん。在るべき物は、在るべき処へ。だからこそカエデちゃんは、文字通りこの剣を元の鞘に収める為、振りまく呪いから村を護る為。村の記録にあった鞘を捜して旅してるの。幸い、常に移動を続けていれば、この剣が振りまく呪いは低レベルのもので、その対象になるのは、その所持者だけということが分かったし」
「昼間の姿を見た時も、夜の酒場でも、呪いに掛かった人間にしては随分と落ち着いて見えたのはそのためだったんですね。道中、あなたはこれまで幾つもの呪いをその身に受けてきた。でも不思議なんですよね、その剣からは呪いそのものの痕跡は見られない。ということはやはり、鞘に何かしらの秘密があるんでしょうね」
ふむ。と、長考したセツリは、まっすぐにカエデの目を見据えながら言う。
「これは、あくまで聞きかじった程度の、それくらいの精度の不確定な情報なのですが… この世界には《生きている鞘》なんてものが存在しているとか。あくまで噂ですけどね」
「ちょ、ちょっとそれ本当!? もっと早く詳しく教えなさいよ、このお馬鹿ちゃん!」
「いや、だから僕も噂を耳にした程度なんですってば」
そんな言葉を受けたカエデは、再び俯いてしまう。何とか話題を変えようとしたセツリは、ふとそよ風でたなびく彼女の純白の長髪が目に入った。
「もしかして、その髪も過去に受けた呪いの影響ですか?」
「そうよ。一人旅をしていると、どうしても解呪が間に合わないシーンも出てきてしまう。むしろそちらの方が多いのかしら」
呪いを吐き出す剣と、その呪いを一身に受ける少女。
鞘と、自らの母を探し旅を続ける少女。
そんな黒の外套を纏う白の少女。
「でも、いいの。これはカエデちゃんの決意の印、だから。それに綺麗な純白でしょ? カエデちゃんは気に入っているの。それにほら」
彼女は、自慢げにその長髪をかきあげながら言う。
「この紅い眼と併せて《カエデ=ホワイトラビット》の名に恥じない美しさでしょ? 名は体を現すとは良く言ったものよね。うん」
そんな彼女に対し、セツリが真顔で語る。
「ええ。確かに美しいですね。雪のように天使のように白く気高い。ずっと見ていたい気分になる」
「そ、そうでしょうとも。へ、変態ちゃんの癖して、わ、分かってるじゃないの。自慢の髪を褒められるのは、そうね、悪い気分はしないわ… ふ、ふん! このお馬鹿ちゃん!」
セツリのそんなセリフに対し、自身の純白の髪と同じく、陶磁器のように白いその肌にそっと赤みが指すカエデ。
「あ、あなたも、変態解呪師ちゃんの割には、その、見どころもちょっとはあると思うわよ? うん。うん」
もはや、今のカエデには誰のセリフも耳には入らない。
そして、そんな二人のやりとりを受け、茫然自失状態な人物が一人。
当然、カンナである。
「…………… はぁあああああああ!? えっ? 何この雰囲気? せ、セセセセツリ、それって…」
「はい? 何の話でしたっけ。すみません、途中からよく聞いていなかったもので。でもほら、この仔の毛並み。凄く美しいですよね。天使の毛並みってのは、やはりこうでなくちゃなりません。ずっと見ていたい気分になりません? 本当、呪いが解けて良かったな、お前」
そう言って、彼が解呪を執り行った件の野生動物の仔である《ウサギ》の頭を優しく撫でるセツリ。
「にゃ、にゃはははは。本物のウサちゃんの話ね。あーもぅ、びっくりしたぁ… うーむ、でもこれは危険だ。何だか危険な香りがするよっ、セツリ。それはもう、色々とねっ」
カンナは、その目を妖しく光らせニヤリと微笑む。
END