4-3
「よし、呑もう。セツリ」
「… イヤです」
「今夜はとことん呑もう。セツリ」
「だからイヤですってば」
「なーんでだよーー。のもーよーー」
あれから数時間。
二人と一匹のパーティーは、次なる到達地ザイン村へと辿りついた。辺りはすっかり闇色のカーテンに覆われ、天球には青白い星々が一斉にその顔を覗かせている。
はっきりと疲労の色が見てとれるセツリとは対照的に、いつもならば早々に宿場へと向かおうとするはずのカンナが、今日に限って酒場の前で幼子さながらの自己主張を繰り返していた。
「このところ連日野宿続きでしたし、カンナさんだって疲れている筈でしょう?」
「そりゃ疲れてるけどさー。こんな日は呑むしかないジャン! ね? ね? いいでしょ?」
「ダーメ、です」
頬を膨らませ、手足をばたつかせながら駄々をこねるカンナと、セツリの肩の上ですやすやと寝息を立てるベル。
彼女の酒につき合わされるとはどういう事なのか、カンナの酒癖の悪さを身をもって何度も体験しているセツリにとってそれは、逃れようのない災厄の一つに違いなかった。
それでもセツリは、結局のところ首を縦に振ってしまう。
それは、ただ単にこうなった彼女には何を言っても無意味だろうという諦めにも似た境地だったのか?
或いは、ある種の予感めいた《セツリの感》によるものだったのか。
「よっしゃー! 今夜はとことん呑もうぜぇー、セツリ~♪」
「全く… 仕方の無い人ですね。一杯だけですよカンナさん。それと、僕は付き合いませんからね」
時刻は日付が変わる少し手前。
酒呑み達にとってはまだまだ宵の口。お世辞にも広いとは言いがたい店内は、多くのうわばみ達による賑いをみせていた。
「うっはー、やっぱり混んでるねぇ。うんうん。皆考える事は一緒ってわけだ、テンション上がっちゃうね!」
「上げないでください。それ以上テンション上げたら、カンナさん放置して一人で宿に向かいますから」
「にゃっはっはー。相変らずだにゃー、セッツリ君は。あっ、ほらほら、あそこのカウンター隅が空いてるっぽいよ。それにしてもきったない酒場だねー」
場の雰囲気に感化され、アルコールの入る前から既に気分が高揚状態にあるカンナは、目ざとく二人分の席を確保し滑り込むようにして座る。
「へいへいマスター! 一番強いのちょーだい!」
「それと、僕はミルクを。カンナさん、くどい様ですが一杯だけですからね?」
「分かってるよぉ。一杯だけでしょ? 一杯、一杯、一杯? 十杯♪ いっぱい!」
「駄目だこれは… 早く何とかしないと」
一度寝むってしまうと、どれだけ周り騒がしかろうとも起きないベルを、特性の寝台もといバスケットへと放り込んだカンナは、嬉々としてアルコールという名の自傷性物質を摂取していく。
勿論、セツリの小言など既に聞こえてはいない。
何度も何度も聞いた話に、何度も何度も相槌を打つ。どこに行こうと、何年経とうと決して代わらない、代わりようの無いそんな二人の関係性。
「にゃーっはっはっは。せっつん、せっつん。なんならぉ、わたし、ぐるぐるまわってりゅ☆」
「酔っ払い。はぁ… 弱い癖に酒好きってのは一番厄介なパターンですよ。毎回毎回。少しは自覚してるんですか?」
―それはまるで嵐のように。
ひとしきり暴風を振りまいて、あっという間に過ぎ去ってしまう。残されたものの事など、露ほど気にする事も無く。
「やれやれ。一杯だけって言ったのに」
酒ビンを懐に抱きかかえ、セツリの膝で涎をたらしつつ幸せそうな寝息を立てるカンナ。眠る事の無いセツリにとって、夜は長くどこまでも地続きで繋がっている。
あたりを見渡すと、既に客足もまばらとなっていた。
そろそろ潮時だろう。
セツリがそう思い立ちカウンター席から立ち上がろうとした瞬間、ふと向こう端のカウンター席に座る人物が視界に入った。
既視感。
宵の闇に映える純白の長髪、黒の外套に包まれたその姿は、昼間の女剣士のそれだった。
ここで会ったのも何かの縁だ、一言だけ挨拶をして帰ろう。そう思い至ったセツリは、カウンターの端まで向かいその頭を下げる。
「あの時は、僕の連れの者が失礼しました。いや、謝るのは違いますね… どうもありがとうございました、助けていただいて」
相変らず返答は無い。
カンナならば、昼のとき同様その闘争心を剥き出しにするシーンではあるものの、セツリは軽く会釈した後その場を後に…… しなかった。
違和感。
目の前に並べられた料理の皿と満たされたままのグラス。何よりも、それらを恨みがましい血走った眼でみつめる鬼のような形相。
セツリは、小声で店主に問いかける。
「マスター。この方、いつからここに?」
「あぁ、確かお前さんらが来るちょいと前だったかな。まさか、目開けたまま寝ちまってんじゃねーよな」
確証は無い。むしろ身勝手で勘違いも甚だしい、そんな邪推かもしれない。それでも、セツリの身体は既に動いていた。
そっと、彼女の座る席の真後ろへと移動したセツリは、静かにそして大きく息を吸い込み。
「わっ!!!!!!!!!」
突如として深夜の店内に響いたセツリの大声も、女流剣士には届かない。つまりこれは。
「恐らく… 《サイレント》」
サイレント。その者から音を奪う呪い。つまり、この呪いに掛かると何も聞こえなくなり、自らも音を発する事が出来なくなる… しかし何より厄介なのは、その副産物的作用にある。
セツリは、片手の黒革の手袋を外し、未だにじぃーっと目の前の料理を一心不乱に見つめる彼女の肩をトントンと二度ほど叩く。
いかにも機嫌の悪そうな、そんな百鬼の表情を携えながら、その何か言いたげな半開きの口とともにくるりと身体を向ける女剣士。
「失礼。女性にこんな仕打をするのもどうかとは思いますが。本当に、本当にどうかとは思うんですが…」
そう言い終えると同時に、セツリは、彼女の口に自らの手をあてがい… その舌を引っ張り出した。
「うわーぉ… セツリってば… だ、だ、大胆。は、ははは、は。セツリが、私の、私のセツリが……」
いつの間にやら、セツリの傍らに立っていたカンナがその光景に思わずフリーズする。
そして、その舌先にあったのは、紛れも無く黒の星であり、間違いなく不幸の星だった。
END