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「遅くなってしまって、すみませんでした、カンナさん」
「おっそーい。遅すぎるぞーセツリ。そんなに私が嫌いか? 嫌いなのかよぅ!」
「だから先に謝ったじゃないですか。それに嫌いだなんて一言も言ってないですよ、僕」
カンナは頬をふくらませ、セツリの姿を上から下まで見渡した後、大きなため息を一つ。
「セツリー、君、またやったでしょ?」
彼は一瞬だけその表情を滲ませたものの、何事も無かったかのように平然と答えた。
「… はい。カンナさんは相変わらず鋭いです。いつも不思議に思うんですが、どうして僕が解呪をしたって一目見ただけで分かるんですか? それも何かの魔法?」
「ちっちっち。君とは何年の付き合いだと思っているのだね。私くらいのセツリウォッチャーになるとこれくらい簡単簡単、余裕のゆーちゃんだよぅ」
エッヘンと自慢げにその平たい丘を張ってみせるカンナ。
その様子に、少しだけいたたまれなくなったセツリは思わず目を逸らす。
「でもね、セツリ。君の持つ力はまだまだ未知数なところも多いんだよ? それに、代償だって大きい。そうやすやすと力を使っちゃだめだよ?」
「はい、分かってます。でも、僕にはこれしかないから…」
「はぁー、ちっとも分かってないじゃない。んーまぁいいわ、とにかく今日の実験始めるよ?」
「いつもすみません。僕のこの力、いえ、呪いのために」
「べ、べつにあんたのためなんかじゃないんだからね…… とか言ってほしい? セツリ」
「鳥肌が立ちます」
セツリは数コンマの間も無く、反射的且つ至って真顔でそう答えた。
「うぉーーい、こんな美人魔法使いに向かって、鳥肌が立つとか言うなよぉ! 酷っ、酷過ぎる、おねーさんショック!」
全然ショックを受けた様な顔には見えないんですけど、と言うセリフが喉元まで出かかったものの、セツリは何とかその衝動を飲み下し答えた。
「すみません。でも僕の体質や呪いを調べるためこうして研究して下さっているカンナさんには、本当に感謝しているんです」
「にゅふふ、もっと褒めていいんだぜぃ? まぁ、半分私の趣味みたいなものだから、そう畏まらなくてもいいけどね」
「はい… そうだ、先ほどミーシャの呪いを解いた際に御両親に頂いたものなのですが…… 僕には使い道が無いですし、良かったらカンナさん使ってください」
そう言ってセツリは金貨の入った革袋をカンナへと手渡した。革袋はずしりと重い。
「きゃーーーっ。だからセツリって大好きなんだー。うししししし、これでまた暫くは飲み放題!」
「カンナさん。せめて、本人の前くらいでは嘘でも研究費用に使うって言ってくださいよ」
にやけ顔のカンナが右手にチョークを手にしながら答える。
「うんうん。分かってるってー。ゴホン、それじゃ今日の実験始めよっか?」
◆
「君の中の時間が、見慣れたその14歳の姿で止まっちゃってから何年経ったかな?」
セツリを椅子に座らせ、自身はその椅子の周りに魔方陣を書きつつカンナが尋ねた。
「4年ですよ、カンナさん。僕が初めて誰かの呪いを解いてから4年が経ちました」
「うん。そっか、4年かぁ。通りで私ばっかり年取ると思ったわ。私たち、幼馴染のはずなのに今じゃどう見ても姉弟だもんねぇ。事実私のほうが一つ年上だから、おねーさんってのは実際間違ってないけど、何か参っちゃうよね」
「……」
カンナの言葉に反応することなく、セツリは魔法陣の中心で黙って目を瞑っている。
そんな様子を気にすることもなく、カンナは独り言のようなその呟きを続ける。
「あの時はびっくりしたなぁ。丁度今日みたいに村人の一人が呪いにかかっちゃって、神父様がそれを解くって話だったのにさ、たまたまついていった君が、何の術式も魔法も使わずにただ左手をかざしただけで、その呪いを解いちゃうんだもん」
セツリの周囲に描かれた魔方陣は、既にその半分が書き上げられていた。
手にしたチョーク1本で描かれたその魔方陣は、繊細で美しく、不可思議な模様が幾つも並んでいて、さながら一つの芸術作品のような装いを呈していた。
「まぁ、私が本当にびっくりしたのはその後だけどね。だって君、その日から何も食べない、何も飲まなくてもへーきな体になっちゃったんだもん。まったくどこの聖人だよ! って感じ」
「不思議とお腹がすかなかったんですよ、今もですけど」
「それからもびっくり続きだったよ。眠らないし、身長も伸びなければ、髪の毛も爪も伸びない。あの日あの瞬間、君の時間は完全に止まってしまった。そう、成長が止まったと言うより、君の中の時間が止まっているんだよね」
魔方陣を書き上げたカンナは、チョークを床に放り投げ正面からセツリの姿を見据えた。
「きっと君は、この先寿命で死ぬ事さえないんだろうね」
少し寂しげに、どこか憐みを含んだ表情でカンナがそう呟いた。
「… 今日のカンナさんはやけに心配性ですね? これ以上心配されても、今日はもう何も出ませんよ?」
「おいおい失敬だな君は。私はたかり屋かよっての… さて、おしゃべりはここまでだぜぃ。準備はいい? セツリ」
「いつでもどうぞ」
その言葉を合図に、カンナは杖を片手に呪文を詠唱し始める。
それに呼応するように、描かれた魔方陣は徐々に光を放ち始め、次第にその光はセツリを包み込んでいく。
カンナが最後の詠唱を終えた瞬間、魔方陣は一際強い光を放ち…… やがて、大きな音を立てて爆発した。
「げほっ、げほ、げほっ」
「にゃははは、ざ~んねん。こりゃ今回も失敗だぜぃ」
未知の呪いを解くというのは、新しい呪文を習得するよりよほど難しい。
元々、ただでさえ方向性が異なる分野。解呪師ではなく、魔法使いであるカンナにとって、彼に掛かった未知の呪いを解くという路は、殊更困難な路と言える。
セツリは全身から黒い煙を立ててはいるものの、全く落胆する事も無く、飄々と答えた。
「げほっ。そうですか、やはり一筋縄ではいきませんね」
「そう、その通り。簡単にはいかんのだよ、これが」
「僕が言うのもなんですが、カンナさんならきっと解決できますよ… よぼよぼ婆さんになる前くらいには、きっと」
「嫌味か? 嫌味なのか? セツリちゃーん。そこはもっと普通に応援してくれてもいいんだぞぅ? おねーさん、君をそんなひねくれた子に育てた覚えはありません」
「安心してください、僕もカンナさんに育てられた覚えは1ミクロンもありませんから」
少年は、これが僕の性格ですからと言わんばかりに、にやりとその口元を歪めた。
少女もまた、そんな彼の笑みに答えるように、声を上げて笑うのだった。
少年は異形の力と大きな代償を抱えていた。
しかしそれは、「ただ単に抱えているだけ」にすぎなかった。
その異能は自ら望んだわけでも、ましてや努力の結果として手に入れたわけでもない。
しかし、解呪師としてはこの上ない力。
だが、その解呪師にもなりきれない半端モノ。
半端モノにさえなれないただの見習い。
そもそも彼は、聖職者たる理念も理想も思想さえも持ち合わせてはいなかった。
従って、その力を使ってより多くの人を呪いから解放したいと思う事も、自身に掛かった時間停止の呪いに絶望することさえも無かった。
時折、その力を使って村人を助けることもあるものの、それはあくまで自分の手の届く範囲で、自分の役割をこなしたにすぎなかった。そこには多少の義務感や責任感はあったものの、正義感は無かった。
自らに課せられたその呪いと能力の意味を考える事にも飽き飽きしていたし、考えても答えは出ないと悟っていた。
ただ流れるように過ぎ去る日々。
だが、そんな日々は音も無く突然崩壊する。セツリを巡る運命の歯車は、確実に動き出していた。
END