15-6
「一つ目の解。程度という話ならば、あくまでこの旅を最後まで続けられるようにする程度の救済だ。正確に言えば、わらわ達の力をもってしてもそれが限界。ぬしも分かっているだろう? あの娘が抱えるものが…… 決して一筋縄ではないと言う事くらいは」
「ん、勿論。それで十分にゃ。それに関しては、もう神頼みはしないと決めたからにゃ」
「それは何より。では二つ目の解。良く聞け、一度しか言わぬぞ。具体的には………」
風が、強く吹いている。
まるで会話の内容を示唆しているかのような、そんな突発的な暴風がごうごうと不気味に音を立て、不穏で不可思議な猫達による秘密の会合を囃し立てる。
そして。風はやがて通り過ぎる。跡には何一つ残さず、風は駆け抜けるかのように通り過ぎる。
「…それは。また、にゃんとも。とんだアクロバットじゃにゃいか」
「お気に召してもらえた?」
「いや、でも。だとすれば…。思いもよらにゃかったけど、実際、ニャニャイロにとってはそれが最も適したやり方にゃのかも。となると…」
「ふふん。存分に考えなさい。存分に悩みなさい。それがぬしに課せられた役割と言うもの。与えられた使命と言うもの。そして… ぬしに与えられたその使命はとことん重いのよ、ホーラク」
「にゃんだかな。全く、酷い猫もいたもんにゃ。それに、こうなってくると君の立ち位置ってやつも無視できにゃい」
琥珀色の尻尾を左右に揺らしながら、イスカが歌うように告げる。
「少なくとも戦争なんて望んでいない事は確か、わらわは風のように自由に生きたいだけ。ひとひらの自由が欲しいだけ。今まで通り、これからもずっとね。それにこれは、わらわ一人の考えではない。託された遺志でもある」
遺志。
その言葉には思うところがあったものの、今は口を閉ざし彼女の囁きに耳を傾ける事に集中する灰色猫。
「《あの子》は少々優しすぎる。だからこそ… 時には誰かが手を差し伸べてやらねばならないの。それこそ、おんぶに抱っこでね」
「………… 分かった。この話、引き受けるにゃ」
猫達による惑星月夜の下の闇色の密談もいよいよ大詰めに差し掛かろうという今。
「その言葉を待っていたよ」
そう呟いた琥珀色の猫が静かに目を瞑り、恭しくも、尻尾を一振り。
「はい、終わり。これでぬしの愛する修道女の娘には、旅を続けられるだけの精霊の加護が施された」
「え? ええっ!? これで終わり? そんにゃ簡単に?」
「不満か? だが、契約は成立したわ。そしてこれは風の理との魂の契約。ぬしには例え死んでも約束を履行してもらうから、そのつもりでな」
「後悔なんてにゃいよ。勿論、イスカには感謝しているにゃ。其方の立場にとってどんなメリットがあるにせよ、助けられたのは事実。にゃー達にとっては正に渡りに船、勿怪の幸いだったのにゃ。イスカに貰ったこのチャンス。希望はニャニャイロが、リスクはにゃーが全部背負ってでも、必ず活かしきってみせるよ」
そう力強く宣言する灰色猫のその姿は、さながら、自分自身に言い聞かせるようで、自分自身への戒めのようで。
琥珀色の猫は、その様子を物珍しげにただただじぃーっと見つていた。
そして…
「……… いや、待て、ホーラク。やはり、少しだけ気が変わった」
「はぁ?」
「もう一つ条件を追加する」
「はぁああ? どうして今頃にゃんだよ! にゃーをからかっているのか?」
「言ったであろうが、わらわの気が変わったと。猫とは元来気まぐれなもの。ぬしも猫の末席に身を置く者ならば憶えておけ」
「それは気まぐれっていうより単なる我侭にゃ! 立場と状況を弁えるにゃ!」
「立場? 状況? …… ならば問うが、ぬしは、今も人間に戻る方法を探し続けているのか? 今も尚、人間に戻りたいと思っているのか?」
「それは…。って、そんな事今はカンケー無い筈にゃ! にゃーの過去をほじくり返してもにゃんの得もないのにゃ!」
そこに一体どんな思惑が隠されているのか。突如として突きつけられた、イスカによる条件追加。
加えて、灰色猫自身に向けられたのは過去を抉る言葉の刃。対する灰色猫は、答えを出せず、その口を閉ざすのみ。
「風は何でも知っている。当然、ぬしが何故その姿に成り果てたのかもな。もう一度問おう、ぬしは、今でも人間に戻りたいと思っているのか?」
「…にゃーは、わからにゃい」
「ホーラク、それは贖罪のつもりか?」
「違う!! にゃーが今もこの姿で居る事も、ニャニャイロの事も! 中途半端にゃ覚悟なんかじゃにゃい!!!」
「ならば問題ないな」
交渉における基本であると言うならば、恐らくこれも琥珀色の猫による術中。古傷を抉られ、冷静さを欠き、まんまと本音を引き出される灰色猫。
灰色猫の過去にどんな出来事があったのか? それを知るのは、この場においてたった二匹のみである。
「待て、待て待て待て、待つのにゃ! 一体にゃんの話にゃ? それ。にゃーに何を言わせたいのにゃ?」
「なに、話は簡単だ。すぐにすむ。ん、ごほん……………… ホーラクよ、ぬし、わらわの伴侶になれ」
風が、ぴたりと止んだ。
あれだけ強く吹き続け、様々な音色を魅せていた風が、突如として止まった。
凪は、件の答えを待っているかのように、痛いほどの沈黙を持ってそこに座す。
「にゃ~んだ、そんなことかぁ…… え? いや、ゴメン。は? いや、にゃんだって? どうやら、今日の風は随分騒がしいらしいにゃ」
「夫になれ、と言ったのよ。それに風はもう止んでいる、勝手に騒いでいるのはぬしだけだ。伴侶と言っても、勿論、総ての事が終わってからで良い。だがその時は、わらわと共にこの世界の星霜を歩んで欲しい」
至って真剣に、心底真面目にそう言い放つ琥珀色の猫。先ほどまでと唯一違うところがあるとすればたった一つ。その琥珀色の顔に、少しだけ赤みが差して見えるところ。勿論、その顔は未だ表情一つ動かしては居ないのだが。
「え、ちょ、ちょっと待って。何で突然そういう話ににゃるの? 真面目な話どこいったの? この世界の未来とか、ニャニャイロの運命とか、そーゆー話は風に飛ばされちゃったの? にゃ、にゃにゃにゃ、一先ず待つにゃ。落ち着くにゃ」
「ぬしがな。それに、突然じゃないわ。言ったでしょう? 風は何でも知っている。わらわも、そろそろ人生の伴侶というやつが欲しかったところなのだ。とはいえ、こう見えてわらわも風の理を司る存在。そんじょそこらの雄猫とは一緒になれぬ運命」
「イスカのお婿さん探し事情にゃんて知らにゃいよ!? 知りたくもにゃいよ!!? ってか、にゃーは元々人間だっての!!」
「知ってる。それも、ただの人間じゃない。禁忌を犯した大馬鹿者。いや…… 大馬鹿《魔法使い》 でしょう?」
バタバタと一人騒ぎ廻っていた灰色猫に、さらに追い討ちをかけるようにして放たれた言葉の弾丸に、灰色猫は、完膚なきまでに打ちのめされる。
「お、おおおぉ。にゃ、にゃんで知ってるんだよぉおぉ… 本当。君は、怖いくらいににゃんでも知ってるんだにゃ、イスカぁ」
「何でも知ってるわけじゃない。わらわが知っているのは、風が教えてくれる事だけ」
もう聞き慣れた。ある種の諦めにも似た溜息をゆっくりと吐き出しながら、灰色猫が呟く様にして吐き棄てる。
「やれやれ。この世界に、もはやにゃーの過去を知るものにゃんて殆どいにゃいと思っていたけど、とんだ伏兵もあったものにゃ」
「わらわ、ただの馬鹿は嫌いだけれど、大馬鹿ものは嫌いじゃないわ。それも、かつて《惑星魔法》の使い手でありながら、その力を自ら手放した程の大馬鹿なら、尚更ね」
「ふん。君ににゃにが分かる? それとも、その風ってやつは人の心の奥底まで教えてくれるのか?」
先ほどと同じく。探られたくない腹を探られ、瞬時に沸点まで到達してしまう灰色猫。
とはいえ、流石に同じ鉄は踏めないと、すぐさま持ち前の冷静さを取り戻す。
「いや、取り乱してすまにゃかったにゃ…。確かにイスカにはニャニャイロを助けてもらう契約を結んだけど、無茶を言い出したのはそっちが先にゃ。それに、誰にだって探られたくにゃい過去はある。猫にだって、ね」
「だが、わらわの前で隠し事は出来ぬぞ? わらわを誰だと思っている。ただの野良猫ではない事を忘れるな」
「ああ、そうだったにゃ。あまりに驚きの連続だったからにゃ。にゃーとしたことが少々冷静さを失念していたよ」
今夜一番の大きな大きな溜息をついた灰色猫は、覚悟を決めたかのようにぽつりぽつりと語り始める。
「まっ、知ってるとは思うけど。惑星魔法の使い手は、この世界に現世に一度に一人だけしか存在してはならない。それが星々の不文律でありバランス。元々、惑星魔法にゃんて、にゃーにとっては正に猫に小判だった。にゃーには分不相応な力。にゃーは、その力を自分より相応しい人物に託したかっただけ。チャンスを譲りたかっただけ。それだけにゃ。そのチャンスが、今現在誰の手に渡ったのか、どの魔法使いの手に渡ったのか、ましてや、どんな風に使うかなんて、知りようの無い事」
「そうはいかないな。考えようによっては今のこの現状は、ひとえにぬしのせいでもあるとも言える」
言わずもがな。そのチャンスを手にし、現在唯一の惑星魔法使いの座となったのが《カンナ》である。
稀代の魔女、戦争売りなどと揶揄される彼女と、灰色猫ホーラクのとの間に隠された意外な関係性。互いに面識はないとは言え、切っても切れない魔力による絆。様々な要素が、様々な人物の思いが思惑が複雑に絡み合い、互いを引き寄せて行く。
だからこそ。イスカはナナイロの前ではなく、灰色猫の前に現れた。
「だが、それはせん無きこと。わらわにとってはあくまで建前。それよりなにより……」
「何より? ってか、それが夫となる事とどう関係しているのにゃ!」
再び、琥珀色の猫の雰囲気が変わった。
何だかとてつもなく嫌な予感がする。
全身に悪寒を感じながら、灰色猫が静かに続きを待つ。裁判長の判決は、すぐそこまで迫っている。
「だって。その、おひげが… とってもセクシー♪ だったから」
「あぁ、糞……………… 最悪にゃ。本当に一ミリも嬉しくない… こんなにも嬉しくない褒め言葉は生まれて初めてにゃ…。結構毛だらけ猫灰だらけ、にゃ」
「大丈夫、猫としては最高よ」
「この姿になって、魔法使いとしてのほぼ総ての力を失った時より、ずっとずっと最悪な気分にゃ」
「大丈夫、わらわが養ってあげるから」
「……… イスカさぁ、きみ、全部全部、本気で言ってる?」
その琥珀色の尻尾を振って肯定を示してみせるイスカ。
「不束者ですが、どうぞ宜しく。ねっ? だーりん♪」
そう顔を赤らめ、おずおずと近づいた琥珀色の猫が、そっとその尻尾を灰色猫のそれへと絡める。
風の猫による、正真正銘の、魂の契り。
おめでとう。そしておめでとう、灰色の猫。
「NOOOOOOOOOOOぉおおおおお!!!?」
顔面蒼白、白眼を剥いて思わず意識を失いかけその場に倒れこみながらも、灰色猫が残された力を精一杯掻き集め、呻く。
「ま、まさか。さいしょ、から、これが、いちばんの、もくてき?」
言葉は要らない。
灰色猫の問いかけに対し、今夜初めてとなる、この惑星月夜に勝るとも劣らない満面の笑顔を持って、その答えとするイスカ。
「君は、本当に卑怯者だにゃ卑怯猫だにゃ。そんな顔されたら…… もう、にゃんにも言えないよ」
何とか起き上がり。そんな琥珀色の猫、風のイスカをじぃっと見つめる。
風が、二匹を包み込み、祝福するかのようにして優しく駆け抜けていく。
END(笑