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本多先生が入院して一ヶ月が過ぎた日曜日――。
私は倖と永沢先生と一緒に本多先生のお見舞いに行った。
本多先生の怪我は順調に回復していて、左半身の打撲と肋骨の骨折もようやく治り、
後は右腕と右足の骨折らしい。
……コン、コン……、
永沢先生が病室のドアをノックするとすぐに本多先生の声が聞こえた。
「どうぞー」
「おぃっすー」
「こんにちはー」
「こ、こんにちは……」
永沢先生と倖の後に続いて病室に入ると本多先生は読んでいた本から目を離し、
私の姿が視界に入ると少し驚いた表情になった。
「あれ? みゆきは? 今日は来てないのか?」
永沢先生は病室の中を軽く見回した。
「あ? あぁ……、右半身の打撲も治ってだいたいの事は一人で出来るようになったし、
みゆきは花嫁修行が忙しいから」
「なんだその“花嫁修業”って?」
「例の付き合ってた会社社長と結婚が決まったんだよ。だけど、それには
いろいろ準備があるんだと。
華道とか茶道とか行儀作法とか……要するに社長夫人になる為の修行」
「あー、なるほどねー」
(みゆきさん、結婚するんだ?)
「それでおまえの元気がないのかー」
永沢先生は悪戯っぽい顔で言った。
「元気がないように見えるのは別の理由……」
すると、本多先生はげんなりした顔で溜め息を吐いた。
「「「?」」」
その様子に私達が首を捻っていると、病室のドアをノックする音が聞こえた――。
「どうぞ」
本多先生の声の後「こんにちは」と病室に入ってきたのは、
四十代半ばくらいの女性と二十代前半の女性だった。
「蒼空くん、御加減はいかが?」
「今日は何の用ですか?」
四十代半ばの女性がにこにこと笑いながらベッドに近づいて来ると、
さっきまで穏やかな表情だった本多先生が眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな顔になった。
「もうー、そんな怖い顔しないでよ? 今日はね、この間言ってた麗子を連れて来たのよ」
四十代半ばの女性は苦笑いをし、すぐ後ろにいた二十代の女性にちらりと視線をやった。
「長女の麗子よ」
“麗子”と紹介された女性はベッドに近づくと少しだけ笑みを浮かべて
本多先生におじぎをした。
「……」
しかし、本多先生は無言のまま表情を崩さない。
そして軽く溜め息を吐くように息を吐き出すと、
「叔母さん、この間の話ならハッキリお断りしたはずですよ?」
と言い放った。
本多先生に“叔母さん”と呼ばれた女性はそれでも
「まぁ、そう言わずに。明日から毎日、麗子を蒼空くんの世話に来させるから」
と笑顔を崩す事無く言った。
「いえ、結構です」
本多先生はすぐさま断った。
「どうして? まだ一人じゃ出来ない事もあるでしょう?」
「いえ、もうだいぶ一人で何でも出来るようになりましたから」
「でも……」
「とにかくっ、そういうの迷惑だって言ってるんです!」
「そんな迷惑って……」
イラついた先生が声を荒げるとさすがに先生の叔母さんから笑顔が消えた。
傍で様子を見ている永沢先生も眉根を寄せ、病室の中に凍りついた空気が流れた。
こんな先生を見るのは初めてだ。
「そ、それじゃ、私は帰るわね。麗子、蒼空くんのお世話しっかりね」
本多先生の叔母さんはそう言うと麗子さんを残し、逃げるように病室を後にした。
「あなたも帰ってください」
しばらくして本多先生はベッドの傍に立ったままの麗子さんに冷たく言い放った。
「いえ、私は……」
しかし、麗子さんはそこから動こうとしない。
「……」
すると本多先生は何も言わず無言で病室を出て行った。
そして病室には私達と麗子さんだけが残された――。