第7話 1000年ぶりの自由時間
「さて……。これで問題は無いな?」
人間になってから、早くも一ヶ月が過ぎようとしていた。
この一ヶ月、俺が何をしていたかと言えば、ほとんど何もしていない。
モテストの街を気ままにぶらつき、眠くなったら魔術学院の寄宿舎で寝ることを繰り返す毎日だ。
そして今日、その寄宿舎の更新日が訪れた。
つまり家賃の支払い日だが、俺に延長の意思などさらさら無い。部屋を引き払う手続きを行うため、魔術学院の事務局を訪れていた。
ちなみに、一人称は『私』から『俺』に変えた。
この一ヶ月で色々な奴から『似合わない』とか、『背伸びしているみたいで逆に可愛い』といった有り難くない助言を山ほど聞かされたからだ。
確かに魔王の重責から解き放たれた今、必要以上に構える意味もない。
だったら、『私』なんて仰々しい言葉より『俺』の方がよっぽど気楽だ。
「はい……。えっ!? こちらも提出でよろしいのでしょうか?」
カウンターの向こうにいた事務局の女性は、俺の差し出した書類に目を通すや否や、驚きで目を見開いた。
退寮届の下に重ねてあったもう一枚の紙を見てのことだ。
当然だろう。
その紙は魔術学院の退学届。入学日にはちょうど一ヶ月前の日付が記されていた。
入学して、たった一ヶ月での退学。
事務局の女性が目を丸くするのも無理はない。
モテストの魔術学院は、魔術を志す者全てに門戸を開いている。
入学試験はなく、身元証明と推薦人の名前さえあれば、誰でも受け入れられる仕組みだ。
受講料は安価な部類だが、入学金はかなり高額。
貴族でさえも軽々とは払えない金額であり、ここで入学者の本気度が試される。
だからこそ、この学院の生徒達は基本的に真面目で、学びに熱心な者が多い。
もちろん、何事にも才能の優劣はある。
魔術の才に乏しいと後から分かり、基礎だけを学んで応用には及ばない薬学部などへ転籍する者もいるが、退学する者はそうそういない。
特に貴族はそうだ。
魔術学院に在籍していたという『箔』は、その後の人生で大いに役立つため、落伍者であろうと数年は籍を置くのが常識とされている。
「どうしたの? ええっ!?」
「嘘っ!? 一ヶ月で辞めるなんて聞いたことないよ!」
それ故、一ヶ月での退学など前代未聞。
女性の同僚たちも席を立ち上がり、驚きと困惑の表情を浮かべながら彼女の肩越しに書類を覗き込む。
だが、俺は元魔王である。
この世全ての叡智を極めた存在にとって、こんな学院に未練など微塵も無い。
学院の図書館へ一度だけ足を運んだが、そこにある蔵書は退屈なものばかり。
授業もまた児戯に等しい内容で、五分も経てば飽きてしまい、馬鹿馬鹿しくなって席を立った。
「では、頼んだぞ」
「えっ!? ……あっ!? ちょ、ちょっとっ!? ほ、本当によろしいんですか?」
退寮届と退学届を提出した今、もうここには用が無い。
女性が慌てて呼び止めるが、俺は振り返らずそのまま歩を進める。
金が無い。原因は歓楽街通い。
この一ヶ月、貴族御用達の高級店から冒険者御用達の安価な店まで、ありとあらゆる女の元を訪れていた。
一晩に選ぶ店は変えないが、相手は二人、三人と。
毎晩朝帰りし、昼まで寝て、夕方に『エリーの庭』で食事をとり、また歓楽街へと繰り出す。
当然、金の減りは尋常ではない。
一ヶ月前は金貨や銀貨が詰まっていた革袋も、今では今日のパン代を残すのみとなっていた。
余談だが、俺『レイモンド』はアルビオン帝国の皇族。
その金は皇位継承権と引き換えに受け取った『手切れ金』であり、魔術学院の寄宿舎で慎ましく暮らしていれば三年は十分に保つ金だった。
だが、今は1000年ぶりのボーナスタイム。
神秘を解き明かすための勉強代だ。後悔など、これっぽっちもない。
しかし、今夜の神秘を解き明かすための準備金が無いのは辛い。
パンだけの食事も御免被る。早急に大金を稼がなければならなかった。
「ふぅ……。こうして、太陽の下をまた歩ける日が来るとはな」
外へ出ると、秋晴れの空に太陽が輝いていた。
手を翳して空を見上げると、思わず笑みが零れた。




