第2話 忘却の魔王と狂宴
「偉大なる魔王様、おはようございます!」
「うむ」
648年と257日前の出来事。
どこから仕入れてきたのかは知らないが、我が娘『エリザベート』に『朝の散歩は健康に良いのじゃ! 父上も一緒にやってみぬか?』と誘われて以来、日課となった朝の散歩。
だが、私がリッチなら、彼女が吸血鬼。
共にアンデッドであり、生物としてはとっくに死んでいる身。本来、健康など考える必要はない。
ましてや、朝とは太陽が姿を現す時間帯。
陽光はアンデッドにとって大きな弱点であり、健康を考えれば避けるべき存在である。
それでも、父として娘の期待に応えたい。
その思いは今も変わらず続いており、エリザベートが城を留守にしている期間も同様だった。
「おい」
ただ、エリザベートが不在だと城内の秩序は乱れがちで少々煩わしい。
歩を止め、中庭で人間たちを弄ぶゴブリンたちを一瞥する。
すぐさま付き従うサキュバスのメイドが駆けてゆき、人間も、ゴブリンも区別なく短刀を振るい斬りつけていく。
この城にいる以上、ゴブリンたちは配下だろうが、心は微動だにしない。
どうせ『一匹いれば三十匹いる』と言われる種族だ。替えはいくらでも効く。
強いて言えば、不要なゴミを処分した気分だ。
数多の断末魔が響き渡り、静寂が満ちた中庭をサキュバスのメイドたちが掃除している様子を横目に、再び歩みを進める。
どちらかと言えば、私は静寂を好む。
だから、普段は城の奥に籠もっているのだが、散歩の際は音を立てぬようエリザベートが配下に厳命している。
しかし、ゴブリンに限らず、モンスターは実力が低い者ほど頭も鈍い傾向が強い。
エリザベートの留守が続くと、愚か者が現れ始めるのだ。
その留守が一ヶ月続いた今日、先ほどのゴブリンたちで三件目の騒動。
散歩の順路をまだ三割も回っていないのに、この有り様だ。
「ブヒヒ! こいつは笑えるぜ!」
「ブヒヒ! 全くだ! 散々、俺たちをブタ呼ばわりしていた癖によ!」
「ブヒヒ! おら、メス豚! もっと鳴いてみろよ!」
そんなことを考えていた矢先、また狂乱の声が聞こえてきた。
曲がり角を曲がり、その光景を一瞥した後、立ち止まり、思わず二度見した。
狂乱の宴の中心にいる全裸の女に、見覚えがあった。
記憶の奥底を掘り返せば、すぐに誰だか分かった。
なんと、一ヶ月ほど前に対峙した、あの勇者一行の女騎士だった。
これほどの衝撃を受けたのは、何十年ぶりだろうか。
かつての凛々しさは跡形もなく消え失せていた。
視線の先の女は、だらしなく緩みきった恍惚の表情を浮かべている。
自身の胸を乱暴に揉みしだきながら、寝そべったオークの上で懸命に舞っていた。
あの時、私と対峙したときの鋭い眼差しも、勇者一行の中で一人生き残った自分を殺せと訴えてきた気丈さも、今は見る影もない。
ちなみに、オークの顔など興味がない。
見分けるつもりも、覚える価値も感じていない。
だが、今この狂乱を演じている三匹の腕に例の赤いバンダナは見当たらない。
あれは我が軍の四天王の証。あのバンダナを巻いていたオークとは別の個体だという頃になる。
恐らく、飽きたのだろう。
女騎士を弄ぶことに満足し、興味を失い、部下に譲り渡した。
そんなところか。獣にはよくある実に単純な思考と行動であり、それ以上の価値を見出そうとする方が間違いなのかもしれない。
「待て」
走り出そうとしたメイドの気配を感じ取り、声をかけて静止させた。
忠実であることは美徳だ。
主人の意を先回りして動こうとするその姿勢は、賞賛に値する。
だが、今この場に限っては誤りだ。
行動を許せば、奇妙な光景の行方を知る機会を失ってしまう。
興味は抑えきれないほどに芽吹いていた。
私は立ち止まり、腕を組みながら狂乱を観察する。
「ブヒヒ! そろそろ、お前たちも混ざれよ!」
「ブヒヒ! お前の汚えものなんて見たくねえが仕方ねえか!」
「ブヒヒ! だったら、俺はこっちだ!」
傍で酒を飲んでいた二匹も加わり、狂乱の宴はより深く、より醜く、奈落の底へと堕ちていく。
最早、その中心にいる女は意思を持つ生き物には見えなかった。口を塞がれて呼吸がままならないにも関わらず、表情の恍惚さはより増して、焦点が合っていない虚ろな目からは嬉し涙を流し、垂れ放題の鼻水で風船を膨らませている。
あの女がこうも様変わりした理由。
それは考えるまでもなく明白だ。肉の悦びを知ったからに他ならない。
「褒美をやろう」
「えっ!?」
思わず口をついて出たその言葉にメイドの瞳が揺れる。
好奇心が命じるままに背後へ向き直り、澄まし顔の中に微かな戸惑いを混ぜるメイドの胸に右手を伸ばす。
人差し指をメイド服の首元に引っ掛けて、それを胸まで下ろせば、メイド服と共に下着が容易く切り裂かれて、そこに収まっていた豊満な胸がぷるるんと揺れながらたちまち飛び出した。
「い、偉大なる魔王様が私の胸をっ!?」
驚愕に固まったメイドを構わず、両手で一揉み、二揉み。
三揉み目に趣向を変えて、両の胸のぽっちを強く摘んだ次の瞬間。
「あへえええええっ!?」
メイドが嬌声を叫ぶように響かせた。
背を弓なりに反らしながら腰をこちらへ大きく突き出して跳ねた後、脱力。尻餅をつくと、そのまま背中から倒れた。
目を剥き、開け放った口から舌を放り出す彼女の意識は完全に無い。
しかし、腰はまだ細かく痙攣を繰り返し、ふと水音が辺りに響く。何かと思えば、彼女の腰を中心に大きな水溜りがじわりと広がっていく。
思わず後ずさろうとしたところで、潜んでいたメイドたちが静かに現れた。
気絶したメイドを先ほど通ってきた曲がり角の先へと素早く運び去り、廊下をてきぱきと掃除する彼女たちの姿を無感動に見つめる。
100年以上ぶりに湧き上がった好奇心に駆られての行為だったが、その結果は変わらなかった。
メイドも、あの女騎士も、嬌声をあげるほどの肉の悦びを感じているはずだが、それは私には一切伝わらず、私の心は微動だにしなかった。
確かにメイドの胸は柔らかかったが、それだけだった。
心が動かない理由は明白。この身が『リッチ』であるからだ。
種族特性として、生物の三大欲求、食欲、睡眠欲、性欲を克服しており、それ等に囚われることはない。とうの昔に承知しきっていたはずだったのだが。
「ふっ……。」
たまらず自分の愚かさに自嘲する。
気を取り直して、散歩を再会させようとした時、ふと注がれている視線に気づく。
「お情けを……。お情けを下さい」
「メイド長だけずるいです」
「ご褒美、欲しいです」
「お掃除、私たちも頑張っていますよ?」
失神したメイドが片付けられた曲がり角から、メイドたちが目を潤ませて、物欲しそうな顔半分を出して縦に並んでいた。
彼女たちは全員がサキュバス。他者の性的興奮を糧とするモンスターであり、失神したメイドの痴態に居ても立ってもいられなくなったのだろう。
本来なら、私に直接話しかけることは許されず、要求などもってのほかだ。
無視して構わないどころか、命を奪っても差し支えなかった。
だが、これも100年以上ぶりに味わった気まぐれのせいかと、私は再び自嘲する。
「よかろう……。順番だ。並べ」
「「「「ありがとうございます!」」」」
別の者ならもっと違う反応を感じられるかも知れない。
そんな淡い期待を抱きつつ許可を出すと、メイドたちは満面の笑みを浮かべた。
早い者勝ちと言わんばかりに、メイド服をいそいそと脱ぎ捨て、下着も脱ぎ捨てた者たちが、順番に私の前に並んだ。




