第15話 臆病な勇者を追いかけて
「さて、全員に行き渡ったかぁ~~?」
担任がいつも通りの気だるい口調で言う。
今日も誰とも話さず、お昼のお弁当を校舎裏で一人食べて、もう終業のショートホームルームの時間だった。
「何度も言っているが、高校生活も半分が過ぎて、もうすぐ二年の秋だ。
そろそろ進路を本格的に決めなきゃいかん。
……というわけで、だ。今週、親御さんとしっかり話し合って、週末までに提出しろよ~」
配られた進路調査の用紙を手に取りながら、私は小さく息を吐いた。
塾には通っていない。でも、成績は悪くない。
有名大学は厳しくても、地元の国立大学くらいなら狙える。
そういう意味では恵まれている方なのかもしれない。親に金銭的な負担をかけずに済むだろうし。
しかし、それでも悩みは消えなかった。
大学に行って、何になるのか、何を学びたいのか、自分が将来どうなりたいのか。そういうビジョンがまるで浮かばない。
たったひとつだけ、確信していることがある。
きっと大学に進学しても、私は今と何も変わらない。
友達ができず、誰とも話さず、一人ぼっち。大学の四年間をただ時間を消費していくだけ。
周囲が華やかに青春を謳歌する中、自分だけが色のない場所に取り残される。そんな未来しか想像できなかった。
『大望を抱いて、それを実らせて欲しい』
小学生の頃、父が私の名前の意味を教えてくれた。
『葵』という名には、そういう願いが込められているのだと。
でも、私はそんな立派な人間にはなれそうにない。
進路の話が出る度、父に申し訳なさを感じて、胸が重くなる。
決まって、こうして小さく溜息をついてしまう。
結婚だって、無理に違いない。
自分の性格くらい、自分が一番良く分かっている。
もし奇跡が重なって結婚できたとしても、それはきっと周囲に勧められて流された『お見合い』で、恋愛結婚なんて到底望めないだろう。
中学生の頃、恋愛小説を読んで胸をときめかせた時期もあった。
『いつかは素敵な人と出会って、恋をするんだろうな』なんて夢を見ていた。
だが、今の自分を見たら、現実が解る。私には絶対に無理だ。
「植木さん、また明日ね!」
「……は、はい。ま、また明日」
なにせ、会話を交わす唯一の異性ですら、この様だ。
終業のショートホームルームが終われば、私は帰宅部。
放課後に寄るような場所もない。
誰かと寄り道をすることもなければ、そんな相手もいない。
だから、毎日決まって家へまっすぐ帰るだけ。
だけど、そんな私の姿を見つけて、上野君はいつも決まって友人たちとの談笑を中断し、後方扉の前で私が通るのを待っていてくれる。
そして、廊下を通りかかる私に、ふわりと優しい笑顔を浮かべながら手を振ってくれるのだ。
それを上野君は朝の挨拶同様に毎日欠かさず続けている。
私は彼にちゃんと顔を向けることすらできず、顔を真っ赤に染めて俯いたまま。小さな声で挨拶を返して、歩調を早めるのがやっとだった。
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「ねぇ、今からゲーセン行かね?」
「帰りに駅前寄ってこーよ? 例のカフェできたらしいし!」
「先生、まだ職員室いたよ?」
普段なら、廊下の角を曲がったあたりで歩調を緩めるのに、今日の私は違った。
階段を足早のまま駆け下り、下駄箱で慌ただしく靴を履き替える。
校門を抜けた瞬間、小走りに切り替えた。まるで何かに追われているかのように。
「チャリの鍵、どこいった!? マジでヤバい!」
「そうそう、ゆっくりしてこーぜ」
「腹減ったーー……。コンビニ、寄ってかね?」
私が住んでいるこの市は、人口が十五万人を超えているけど、やたらと面積が広い。
栄えているのは、市役所と幾つかの学校と市役所が集まっている、学校最寄りの駅周辺くらい。
それ以外の駅前は静まり返っていて、開いている店の方が珍しい。
シャッターが閉まったままの商店が並び、歩いている人は数えるほどしかいない。
大きな国道沿いには、大型店が並ぶに賑やかな場所もあるけれど、そこから道一本を入れば、静かな住宅地が広がり、あとは見渡す限りの田んぼと畑が続いている。
公共交通機関は便利とは言えない。
電車の本数も少なくて、通勤や通学の時間帯でだいたい20分置きくらい。
昼間になると1時間に1本が当たり前で、もし乗り遅れたら次の電車が来るまでひたすら待つしかない。
そして、放課後すぐに出る電車は、ホームを出るまでたったの11分しかない。
学校から駅まで、普通に歩けば15分はかかる。そこに教室を出てから校門を抜けるまでの時間は含んでいない。
「電車、あと3分で来るって! ダッシュ、ダッシュ!」
「見て、見て! めっちゃ汗だく! ウケるー!」
「間に合った! セーーーフ!」
今日、私がこんなにも急いでいるのには、ちゃんと理由があった。
普段なら、ゆっくり歩いて帰って駅前の本屋に立ち寄るのが、ささやかな楽しみのひとつ。
放課後の最速電車も、その次の電車も、逃したところで大きな問題はない。
母が帰宅するのはいつも夕方過ぎ。
私の方が早く家に着くのが、いつもの流れだ。
だけど、今日は違う。
汗をたらして、息を切らしてでも、放課後の最速電車に乗らなければいけない。それくらい切実な理由があった。
「まもなく、上り電車がまいります。黄色い線の内側でお待ちください」
「あれ? お前、文化祭の実行委員じゃなかったっけ? 会議は?」
「しーーっ! サボりに決まっているだろ。言わせんなよ」
その理由とは、一昨日の土曜日、市立図書館で借りたある本だった。
正確には、一冊ではなく、七冊からなるシリーズもの。
古びた装丁の、どれも厚みのあるハードカバー。
偶然手に取った一冊目に夢中になり、その場で全巻まとめて借りてしまった。
この街で唯一と言って良い私にとっての救い。それが市営図書館だった。
建物は広く、蔵書数は驚くほど豊富。希望の本がなければリクエスト投票で取り寄せてくれるし、話題作も、マイナー作も網羅している。
例えば、あの豹頭の戦士が登場する長編戦記。正伝も、外伝もなんと3セットも揃っているほどだ。
読書が趣味なのは、小学校の頃から。
児童文学から始まり、中学生の中頃までは少女向け恋愛小説ばかり読んでいたけれど、父から市立図書館の存在を教えてもらってからは、ジャンルを問わず手に取るようになった。
最近のブームはファンタジー。
今年の夏休みはライトノベルから翻訳古典まで、片っ端から読み漁っていた。
そんな中、先週末に出会ったのが『臆病な勇者』という全七冊からなる翻訳ファンタジー作品だった。
「この前の模試、まじで赤点ギリだったわ」
「虹っ!? ……頼む! すり抜け来るなよ!」
「明日、体育あるっけ? 最悪だよ! ジャージ、学校に置いてきた!」
一巻目の副題は非力な戦士。
肝心の『臆病な勇者』はまだ登場しない。
二巻目は愚かな賢者、三巻目は笑えない道化師。やっぱり『臆病な勇者』は登場しない。
各巻ごとに主人公が変わり、それぞれが相反する特徴を持つキャラクター達。
三巻まで読んで、ようやく気づいた。『臆病な勇者』は七巻目に登場するのだと。
どの巻も最終的には『魔王』と呼ばれる存在と対峙するという共通点がある。
きっと『臆病な勇者』は、その名の通り臆病なだけに、歴代の勇者たちの助けを借りながら、魔王を討ち果たすシリーズものだろうと予想が出来た。
そのユニークな構成と、言葉にしがたい世界観の深さに、私はすっかり夢中になった。
土曜、日曜の二日間、ページをめくる手が止まらず、四巻目の忠誠なき騎士を、五巻目の正義の悪役令嬢を、六巻目の乞食の王様を読み終え、七冊目に手を伸ばしたその瞬間。
部屋のドアが開き、母が『もう11時よ! 早くお風呂に入って、寝なさい!』と叱りに来た。
読みたくて仕方がない。
でも、仮病を使ってまで学校を休む勇気なんて、私にはない。
授業中にうっかりと居眠りなんてしたら、それはそれで変な噂になりそうで、それも嫌だった。
学校で読むには、見た目は地味でも、存在感がやたらと目立つ大きなハードカバー。
鞄に入れたら、教科書もノートも入らなくなってしまうため、諦めざるを得なかった。
「お降りの方はお忘れ物のないよう……」
「また明日~!」
「バイバーイ! あとでラインするね!」
だから、私は今走っている。
帰宅したら、すぐ続きを読みたい。
物語の結末を、この目で見届けたい。
七巻目の主人公だろう『臆病な勇者』が、どんな旅をして、どうやって魔王に立ち向かうのかを知りたい。
スカートの裾を風にひるがえしながら、私は横断橋を一段飛ばしで駆け上がる。
息は上がり、足は重いが、止まるわけにはいかなかった。
「あら、なんかあったんかねぇ?」
「あの子は……。植木さんのところの娘さんだったかのぉ?」
普段の私からは想像もできないような姿。
私の事を知っている人は多くないけれど、もし見ていたら、きっと驚いたに違いない。




