第10話 俺の名前を言ってみろ!
「あなたは偉大なる魔王様ですね?」
「ああ、その通りだ」
水晶玉が淡く青い光を放ち、軽快な音を『ピンポーン!』と響かせた。
過去二度とは違う反応。それを目にした瞬間、俺の口元には自然と笑みが浮かんだ。
静かに右手を水晶玉から離し、拳をギュッと握り締める。
ようやく、ようやく通った。まるで自分自身の存在を、この世界に認めさせたかのような達成感だった。
今になってみれば、単純な答えだった。
確かに『レイモンド』は俺の名前だ。
だが、その名で呼ばれていたのは1000年以上も昔の話。
正直、今その名で呼ばれたところで、即座に振り返れる自信は無い。
なにせ、その名を思い出したのは、ほんの一ヶ月前のことに過ぎない。
この一ヶ月の間はエリーの庭の店主からは『兄ちゃん』と呼ばれ、歓楽街の嬢たちからは『お兄様』や『御主人様』などと呼ばれていた。
長すぎる時の流れの中で、そんな昔の名前はとうに風化していた。
今の俺にとって、本当の名前とは『魔王』だった。敵も味方も、誰もがそう呼んだ。
だからこそ、旧型の水晶玉が嘘と判定したのも、ある意味で間違ってはいない。
それは単なる無機質な判定に留まらず、深い真実を映し出しており、その性能の高さを示していた。
しかし、旧型の水晶玉だけが俺を唯一理解してくれるとは、皮肉な話。
エリザベートにどうしようもなく会いたくて堪らない。もう一度、あの無邪気な笑顔に触れたい。
今、彼女は無事でいてくれるだろうか。あの日、初めて出会った時のように、膝を抱えて泣いてはいないだろうか。
「さて……。」
いや、感傷に浸っている暇は無い。
余計な手間に時間を取られた分、次はさくさくと行きたい。
そう思いながら、いつの間にか落としていた視線を上げると、ロビーは静まり返っていた。
辺りを見渡せば、受付嬢も、ギルド長も、ギルド職員たちも、冒険者たちも、全員が口をポカンと開けたまま完全に固まっている。
「ぷっ!? ……おい、今の聞いたか? 魔王、だってよ!」
「聞いた聞いた! しかも『偉大なる』とか、言ってたぞ!」
誰かが吹き出した。その瞬間、場の空気が一変した。
静けさは音を立てて崩れ去り、あちらこちらから笑い声が零れ出す。ロビーは大爆笑の渦に包まれた。
冒険者登録を最優先した結果がこれか。
言われるまでもなく、自分の判断が甘かったことは理解した。受け入れるしかない。
人間どもにとって、魔王とは恐怖の象徴に他ならない。
迂闊にその名を口にしただけで、処罰の対象となる国すら存在する。
未来で魔王だった俺を除けば、これまで魔王が現れたのは歴史上で六度。
その度に文明は焼かれ、人間どもは滅亡寸前にまで追い込まれてきた。
六人目が打ち倒されたのは約250年前であり、周期的に考えれば、そろそろ新たな魔王が現れても不思議ではない時期だ。
だからこそ、人間どもは日々その恐怖を見て見ぬふりをしながらも、心の奥底では震えている。
誰もがタブーとして扱い、その名を口にすることすら避けている。
一方、今の俺はどうだ。
見た目は魔術学院のローブを羽織った若造に過ぎず、ただの冒険者登録に右往左往。
どう考えても、出来の悪い冗談にしかならない。
「ギルド長、どうしましょう?
備考欄に『魔王様』って書いた方がいいでしょうか? ……ぷぷっ!?」
「こら! 真面目に……。くっ、くっくっくっ!?」
遂に受付嬢に、ギルド長までもが決壊した。
二人とも吹き出し、顔を背ける。
俺が『魔王』と名乗った時は、怪訝そうに顔を見合わせるだけだったはずなのに。
俺は肩を震わせ、俯いた。
奥歯がギリギリと軋る。喉の奥から込み上げる怒りと屈辱を必死に押し殺す。
「くっ、屈辱だっ……。」
もし、今この場でほんの少しでも感情の蓋を外せば、モテストの街はその瞬間に消え失せるだろう。
それが分かっているからこそ、ただひたすら耐え続けるしかなかった。




