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I kill  作者: じゃがいも畑
9/20

第9話:電話

倉田課長が「今から顧客に電話する」と言った時点で、目的は二つに絞れた。


一つは、俺が送ろうとしている議事録を止めること。

もう一つは、顧客の頭の中に“ストーリー”を入れること。


相良は最近不安定。相良は独断が多い。相良は体調が悪い。だから相良から来る資料は鵜呑みにしない方がいい。そういう空気を、顧客の中に仕込む。


顧客は、内部事情に興味がない。ただ“燃えない体制”が欲しい。だから、燃えそうな匂いがした瞬間、誰かの言葉に寄りかかる。寄りかかり先が倉田なら、倉田はそれを利用する。


俺は議事録ファイルを閉じずに、送信ボタンの上でカーソルを止めた。


止めても意味がない。倉田が電話するなら、こちらも動くべきだ。動くのは感情じゃなく、手順だ。


俺は田辺にチャットした。


【相良】倉田さんが今からA社に電話するとのこと。

【相良】顧客向け議事録、今送って問題ないですか?(宛先:A社+田辺さん)

【相良】内容は決定事項と次回アクションのみ。担当者名は明記します。


既読がつくのが遅かった。田辺はたぶん倉田の近くにいる。倉田が電話の準備をしている。田辺はそこで返しに迷っているはずだ。営業は板挟みが仕事だ。


数秒後、田辺から返事が来た。


【田辺】ちょっと待ってください。倉田さん確認します!


確認します。つまり、止めている。


倉田は電話で先に“空気”を作るつもりだ。空気ができた後に議事録を送れば、議事録は「相良の独断」に見える。逆に、議事録を先に送れば、倉田は電話でそれを否定しにくい。否定すると、顧客の前で混乱が起きるからだ。


混乱は顧客が嫌う。


だから、先に送るのが最短だ。


俺は送信ボタンを押した。


宛先:A社担当・山岸、A社PL・加藤、営業・田辺、倉田、篠崎、CC:安藤

件名:A社 定例メモ(議事録)_YYYYMMDD

本文:決定事項/保留事項/次回アクション/担当者


担当者欄に、俺はこう書いた。


要望整理・前提整理:篠崎


一次回答・顧客調整:相良


承認・最終判断:倉田(必要時)


顧客調整(契約・稟議):田辺


送り終えた瞬間、社用スマホが震えた。


倉田からの着信。


俺は出た。


「はい、相良です」


倉田の声は低かった。顧客の前の声ではない。社内用の声だ。


『お前、送ったな』


「送りました。顧客の要望があったので」


『確認しろって言ったよな?』


「確認は記録の残る形で依頼しました。返答を待つと遅れるので、最低限の内容で出しました」


『最低限? お前、担当者名入れたよな? 余計なことすんなって言ったよな?』


余計。倉田の嫌いな言葉の反対は、記録だ。


「余計じゃないです。担当者が曖昧だと、後で炎上します」


倉田は短く笑った。笑いというより、歯で息を吐いた音だった。


『今、電話中だ。お前のせいで話がややこしくなる』


「ややこしくならないように送っています」


『黙れ。今から顧客に「相良が勝手に送った」って言うぞ』


言うぞ。脅し。だが、その言葉の裏に焦りがある。顧客に言った瞬間、顧客は不安になる。不安になれば、倉田の価値も揺らぐ。だから本当は言いたくない。だが言うと脅して、俺を止めたい。


俺は言った。


「顧客の前で内部統制の混乱を出すのは、得策じゃないと思います」


倉田が沈黙した。


沈黙の向こうで、別の声が聞こえた。顧客の声だ。倉田は今、本当に顧客と繋いでいる。


倉田は小声で言った。


『……お前、まじでムカつく』


「承知しました」


『あとで覚えとけよ』


電話が切れた。


数秒後、田辺からチャットが来た。


【田辺】相良さん……送っちゃいました?

【田辺】倉田さん、今ちょっと怒ってます


怒っている。倉田は怒っているだろう。だがそれで顧客が安心したなら、こちらの勝ちだ。


俺は田辺に返信した。


【相良】顧客に不安を出さないためです。

【相良】田辺さん、もし倉田さんが「相良が勝手に」と言い出したら止めてください。

【相良】顧客の前で混乱を出す方がリスクです。


田辺は既読をつけたまま、返事をしなかった。


営業は、自分の責任になる言葉を返せない。だが既読がついたことで、田辺は俺のメッセージを“見た”事実になる。見た事実は、後で効く。


俺はそのまま、篠崎にチャットした。


【相良】顧客向け議事録送った。担当者に篠崎の名前入れた。

【相良】倉田が何か言っても、事実だけ。

【相良】不安なら今夜、10分だけ話そう。


数十秒後、篠崎から返事が来た。


【篠崎】……見ました

【篠崎】俺の名前、久しぶりに顧客メールで見ました

【篠崎】怖いけど……ちょっと、嬉しいです


嬉しい、という言葉に、俺の中の薄い膜がまた沈んだ。


嬉しいは、篠崎の感情だ。篠崎がまだ生きている証拠だ。生きている、という言い方は変かもしれないが、少なくとも彼の中には“欲”がまだある。評価されたい。認められたい。怖い。嬉しい。そういうものがある。


俺には薄い。


だからこそ、彼を救うべきだと思った。


俺が代わりになれないものを、彼は持っている。


午後、A社から返信が来た。


【A社 山岸】議事録ありがとうございます。決定事項が明確で助かります。

【A社 山岸】体制も整理されていて安心しました。次回アクションの担当もこの通りで進めます。


“安心しました。”


この一文が決定打だった。


顧客が安心すると、倉田はその安心を奪えない。奪うと不安を作ることになる。顧客の前で不安を作るのは、倉田の価値を傷つける。


倉田は、ここで一旦引くしかない。


だが引いたふりをして、影で殴るのが倉田だ。


夕方、倉田が俺の席に来た。声は大きくない。周りに聞こえない距離で言う。


「お前さ」


「はい」


「顧客向けメール、勝手に出すのやめろ。営業の仕事奪うな。お前、組織分かってる?」


組織。倉田は“組織”も武器にする。組織を盾にすれば、個人の正しさは潰せるからだ。


俺は言った。


「営業の仕事は奪ってません。顧客要望への対応です。宛先に田辺さんも入れてます」


倉田は小さく舌打ちした。


「……お前、マジで言うこと聞かねぇな」


「必要なことだけやります」


倉田の目が、少しだけ笑った。笑ったというより、何かを決めた目だった。


「じゃあさ。お前、明日から別案件入れ。こっちは俺が見る。篠崎は俺に戻す」


来た。


配置換え。プロジェクトからの排除。議事録を止める。篠崎を再び握る。


俺は倉田を見た。


「それは、篠崎の安全確保に反します」


倉田が笑った。


「安全確保安全確保ってさ、お前うざいんだよ。篠崎は俺の部下。お前は関係ねぇ」


関係ねぇ。そう言い切ることで、俺の行動を“越権”にする。越権なら処分できる。


俺は静かに言った。


「関係あります。業務継続と顧客対応に関係します。人事も把握しています」


倉田の顔が僅かに引きつった。


「……チクったな」


「事実を共有しただけです」


倉田は小さく笑い、耳元で囁いた。


「じゃあ、もっと面倒にしてやるよ」


その言葉は、脅しだった。だが俺の中で、それは“予告”になった。


倉田は次に、どこを殴る?


俺か。篠崎か。顧客か。田辺か。


殴りやすいところを殴るなら、篠崎だ。だが篠崎は人事が見ている。殴りにくい。次に殴りやすいのは、俺だ。俺を悪者にして、排除する。そうすれば篠崎は“救われたように見える”。それで構造は残る。


倉田は構造を残すために、俺を殺す。


喉の奥で冷たく鳴った。


その夜、篠崎と会議室で10分話した。


「先輩、俺……明日からどうなりますか」


「分からない。でも、準備はできる」


俺は篠崎に、紙を一枚渡した。


“逃げ道リスト”だった。産業医、人事、EAP、労基、転職エージェント、社内異動窓口。電話番号と、連絡の順番。必要な証拠。いつ何を言うか。


篠崎は紙を握りしめた。


「……俺、逃げてもいいんですか」


「逃げていい」


篠崎の目に、ほんの少しだけ涙が浮かんだ。彼はまだ泣ける。


俺は泣けない。だから、彼が泣けることが、羨ましかった。


帰宅して、俺は自分の顔を鏡で見た。


白い。昨日より白い気がする。目の奥が暗い。息が白くならない。心臓の音がしない。


それでも俺は動いている。


ただ、何かが少しずつ減っている気がした。


体力じゃない。生命力でもない。


“時間”だ。


俺の残り時間は、たぶん長くない。


だから、急ぐ。


倉田が次の手を打つ前に。篠崎が折れる前に。俺が止まる前に。


明日、倉田は俺を排除しに来る。


その前に、俺がやるべきことがある。

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