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I kill  作者: じゃがいも畑
8/20

第8話:面談

翌朝、10時。


人事の佐伯から指定された会議室は、会議室Bよりもさらに奥にあった。普段は使わないエリア。つまり“表に出したくない話”をする場所だ。ガラス張りではない。外から中が見えない。壁が厚い。声が漏れない。誰も通らない。


会議室の前に立つと、ドアの向こうから低い声が聞こえた。


倉田の声だ。


もういる。しかも先にいる。そういうことをする。先に人事に“ストーリー”を入れて、後から来る相手が何を言っても「言い訳」に見えるようにする。倉田はそれが得意だ。


俺はノックをして、入った。


会議室の中には、三人いた。


倉田課長。人事の佐伯。もう一人は、産業医面談の窓口担当らしい外部委託の女性――名札に「EAP」とだけ書かれていた。相談員、というやつだろう。


倉田は俺を見るなり、わざとらしくため息をついた。


「ほらな、顔色。白いだろ?」


佐伯は、いかにも人事らしい中立の笑顔で頷いた。


「相良さん、おはようございます。急にすみませんね。体調面も含めて、一度状況を確認したくて」


確認。便利な言葉だ。確認と言いながら、実際は“判断”をする。配置換え、休職、注意喚起、評価の下方修正。人事はそういう判断を、穏やかな顔でやる。


俺は椅子に座り、PCを開かずに言った。


「状況確認、承知しました。事実ベースで話します」


倉田が鼻で笑う。


「事実ベースねぇ。最近そればっかだな、お前」


佐伯が手元のメモを見た。


「倉田課長からは、相良さんが最近、チーム運営に対して独断で動いているように見える、という相談が来ています。議事録の共有や、体制の話で、顧客前でも発言が増えたと」


独断。独断という言葉は強い。独断=危険人物=統制が必要、という流れが作れる。


俺は頷いた。


「議事録は共有しました。独断ではなく、運用として必要だと判断しました。決定事項が口頭だけだと、顧客対応で齟齬が出ます。実際、顧客から議事録共有の要望も出ています」


倉田が口を挟む。


「だからさ、そういうのは俺に相談しろって話だろ。順番があるだろ。社会人なんだから」


順番。社会人。そう言って“空気”を正当化する。


俺は佐伯を見て、淡々と続けた。


「相談は、記録が残る形で行いたいです。口頭だと、後から言った言わないになります」


倉田の表情が歪む。言った言わないが困るのは、倉田の側だからだ。


佐伯は少しだけ眉を動かした。人事は“言った言わない”を嫌う。労務リスクになるからだ。


「なるほど……。相良さん、体調面はどうですか? 倉田課長から、顔色が悪い、睡眠も取れていないのでは、という話も」


倉田が頷きすぎるほど頷く。


「そうそう。最近さ、冷たいんだよ。人の話聞かないし。急にキレたりはしないけど、逆に無反応。怖いよな? こういうの」


怖い。倉田は“怖い”という言葉で俺を異物化する。異物なら排除できる。排除の正当化だ。


俺は自分の手を見た。確かに白い。血の気がない。だが、それを“体調不良”に結びつけられると面倒になる。


俺は言った。


「睡眠は取ってます」


嘘ではない。眠気がないだけで、横になる時間はある。


「食事は?」


佐伯が聞いた。


「食べています」


厳密には食べたいわけではないが、生活として口に入れている。完全な嘘ではない。面談で超常の話をするつもりはない。


相談員の女性が柔らかい声で言った。


「最近、気分の落ち込みや、不安感はありますか?」


不安感。ない。


落ち込み。ない。


だが、ないと答えると“逆に危ない”扱いされることがある。人は、苦しんでいるなら苦しいと言うはずだと信じている。苦しくないなら正常だと信じている。苦しくないのに周囲と摩擦が起きているなら、それは“本人の問題”だと解釈されやすい。


俺は言った。


「不安は少ないです。むしろ、業務は前より整理できています」


倉田が即座に言った。


「ほら。普通、不安がないとか言う? こいつ、どっか壊れてんじゃないの?」


壊れている。倉田は俺を病人にしたい。


佐伯は一度、倉田を手で制した。


「倉田課長、少し落ち着きましょう。相良さんの話も聞きたいので」


中立のふり。だが、倉田の言葉はすでに佐伯の頭に入っている。ストーリーは入った。あとは事実で上書きするしかない。


俺は、ここで初めて用意していたものを出した。


「資料を持ってきています」


佐伯が「資料?」と首を傾げる。


俺は鞄から一枚の紙を出した。紙と言っても、ただの目次だ。


「時系列の整理です。会議・チャット・成果物の履歴。議事録共有の経緯。顧客からの要望。篠崎の稼働状況。全部、日時付きで整理しています」


倉田が顔をしかめた。


「お前、なにそれ。気持ち悪いな」


気持ち悪い。出た。だが佐伯の目は、紙に向いた。人事は紙が好きだ。紙は責任を分散できる。紙は“やった感”を作れる。


佐伯が言った。


「……見せてもらえますか」


俺は頷いた。


「ただし、個人攻撃が目的ではありません。目的は“業務継続と安全確保”です」


この言い方は、倉田の嫌いな言葉だが、人事の好きな言葉だ。


佐伯は紙をめくりながら、目を走らせた。相談員の女性も覗き込む。


倉田は苛立ったように足を揺らす。


「相良さん。これは……」


佐伯が一箇所で止まった。倉田が篠崎に送ったチャットの抜粋。人格否定に近い文言のログ。日時。頻度。


佐伯の眉がわずかに寄った。


「このチャットは……」


倉田が即座に言った。


「指導です。現場は甘くないんでね。今の若いのは、言わないと分かんないから」


指導。現場。いつもの免罪符。


俺は佐伯にだけ向けて言った。


「指導の範囲かどうかは判断に任せます。ただ、篠崎は体調を崩しかけています。既読強要と夜間連絡が続いていて、睡眠にも影響が出ています」


相談員の女性が静かに言った。


「篠崎さんは今、受診されているんですか?」


「まだです。ですが、兆候はあります」


倉田が強く言った。


「だからさ、そういうのも含めて俺が面倒見てんだよ。あいつ、放っておくと勝手に潰れるから。鍛えてんの」


鍛える。潰れる。言葉が矛盾している。だが倉田の頭の中では矛盾していない。支配の論理だからだ。


佐伯は視線を上げて倉田を見た。


「倉田課長。夜間の連絡は、業務上必要だったんですか?」


倉田の顔が一瞬固まった。


「必要……必要でしたよ。客が……」


「毎日ですか?」


「毎日ってわけじゃ……」


「“既読がつかないと電話”というのは?」


倉田が口を開けたまま止まった。言葉が出ない。


倉田は、空気で戦う。記録で戦うと負ける。


俺は追撃しない。追撃すると“戦争”になる。今は人事の判断に任せるのが最短だ。


佐伯は紙を置いた。


「相良さん。あなたがやっている議事録と履歴の整理自体は、業務上有用だと思います。顧客要望もあるなら尚更。ただ――」


ただし、が来る。人事の“中立”は、必ず両論併記になる。


「チーム内の合意形成のプロセスは大事です。倉田課長の懸念も、完全に無視できない。やり方の摩擦が大きくなっているのは事実なので」


倉田が息を吹き返したように頷く。


「そうそう! こいつ、やり方が雑なんだよ! 俺を飛ばすんだよ! 組織ってのは――」


佐伯が倉田を制した。


「ただし、篠崎さんの件は別です。夜間連絡や人格否定が事実なら、これは労務リスクになります」


倉田の表情がぴくりと動いた。労務リスク。倉田が嫌いな単語だ。


佐伯は続けた。


「まず、篠崎さんの状況確認をします。産業医面談の案内もします。それと、倉田課長、夜間連絡は控えてください。指導の仕方も、文面で残る形は特に注意を」


倉田が笑った。


「いやいや、俺が悪いみたいに言うなよ。現場のためだって」


佐伯は笑わなかった。


「現場のために、会社が訴えられては意味がありません」


言い切った。人事がここまで言うのは珍しい。倉田の“ストーリー”より、俺の“事実”が少し勝った瞬間だった。


倉田は黙った。黙ったが、目が怒っている。


佐伯は俺に向き直った。


「相良さん。あなた自身の体調についても念のため確認したいです。もし無理をしている自覚がないなら、それはそれでリスクです。産業医面談、受けてもらえますか?」


受けない理由はなかった。むしろ、記録が増える。


「受けます」


相談員の女性が微笑んだ。


「ありがとうございます。相良さん、あなたは今、かなりストレスフルな状況に見えます。感情が薄いというのは、防衛反応である場合もあります」


防衛反応。言い方は優しいが、要は“異常の可能性”の示唆だ。


俺は頷いた。


「そうかもしれません」


嘘ではない。俺は異常だ。だがその異常をここで説明するつもりはない。


面談は終わった。


会議室を出る直前、倉田が俺の耳元で小さく言った。


「お前、やったな」


やったな。怒り。だが声を上げない。上げると人事の前で負けるから。


俺は倉田を見た。


「手順通りです」


倉田の目が細くなる。


「……お前、いつか痛い目見るぞ」


脅し。だが、脅しは恐怖がないと効かない。


俺は頷いた。


「分かりました」


倉田は舌打ちをして去っていった。


廊下に出ると、スマホが震えた。篠崎からだ。


【篠崎】先輩、人事面談どうでしたか

【篠崎】俺、呼ばれますか


俺は返信した。


【相良】呼ばれる可能性はある。

【相良】怖がらなくていい。事実だけ。

【相良】今日は定時で帰って、病院の予約も検討して。


数秒後、返事が来た。


【篠崎】……はい

【篠崎】ありがとうございます


俺はスマホをしまい、窓のない廊下を歩いた。


自分の肌が白いことよりも、今は別のことが気になっていた。


倉田が黙って引き下がるはずがない。


空気で殴れないなら、別の手で来る。評価、配置、プロジェクトからの排除。あるいは、顧客に対する俺の信用を落とす。どれも、倉田ならやる。


そしてもう一つ。


人事が介入したことで、篠崎を“守る線”は太くなった。だが同時に、篠崎は「会社に知られた」状態になる。知られた瞬間、人は萎縮する。余計に黙ることもある。


救いは、簡単じゃない。


俺は自席に戻り、顧客向け議事録を整形し始めた。


社内の議事録とは別の形式。顧客に見せるための丁寧な言葉。決定事項の明文化。次回アクションの明確化。担当者の明記――ここだけは譲らない。担当者を消すと、また横取りが成立する。


俺は“担当者:相良/篠崎”と書いた。


篠崎の名前を、顧客の前に戻す。


それが、いま俺にできる最も静かな殺しだった。


送信ボタンを押す直前、社用スマホが震えた。


【倉田】相良、今から顧客に電話する。議事録の件、余計なこと言うなよ。


余計なこと。


倉田はまだ、空気に戻ろうとしている。


俺はスマホを見ながら、静かに理解した。


次は、顧客の前での戦いになる。

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