第7話:体制見直し
定例は、火曜の15時からだった。
本社の会議室とTeamsを繋いだ、いつもの“偉い人もいるっぽい顔をする会議”。議題は「案件状況」「リスク」「体制」。言葉は整っているが、実態は別だ。倉田課長にとって定例は、顧客に向けた報告の場であると同時に、社内に向けた“自分の正当性”の発表会でもある。
会議室の席順がすでに空気を語っていた。
倉田が中央。営業の田辺が倉田の隣。俺は端。篠崎は入れない。倉田が“体制見直し”を言い出すなら、篠崎を最初から見えない場所に置くのが合理的だからだ。
開始5分前、田辺が俺に小さく目配せしてきた。
「相良さん、今日、倉田さんちょっとピリついてるんで……」
ピリついてる。つまり、火の粉が飛ぶということだ。
「承知してます」
田辺は安心したように笑った。営業は、“波風が立たない相手”が好きだ。俺は波風が立たない。俺が立てる風は、空気じゃなく記録だから。
定例が始まる。
倉田は、いつもより丁寧な声で話した。顧客の前では“上司の顔”をする。笑いを取り、安心させ、問題を小さく見せる。だが、その丁寧さは薄い膜みたいなもので、その下にある苛立ちは隠しきれない。
「A社の追加要望については、こちらで一次回答済みで、今、前提整理に入ってます。リスクはこの通りです」
倉田はそう言って、資料を共有した。
画面に映ったスライドは、見覚えがあった。俺が作った箇条書きが、そのまま整形されている。言い回しも、リスクの並べ方も、俺の癖のままだ。
作成者の名前は、どこにもない。
倉田は言った。
「この辺は、私の方で整理しておりまして」
俺は何も感じなかった。怒りも、屈辱も。昔なら、ここで胸の奥が熱くなっただろう。飲み込んで、笑って、心の中だけで自分を殴っていた。
今は、ただ確認するだけだ。
――横取りは続いている。形を変えて。
議事録が刃になるのは、ここからだ。
倉田が次のスライドに移る。
「で、次に体制の話なんですが……」
来た。
倉田は一瞬だけ、顧客の表情を確認した。田辺が頷く。許可が出た、という顔。
「最近、弊社側の稼働が少し偏っていまして。体制を見直して、より安定稼働できるようにしたいと思っています」
体制見直し。言葉は美しい。要は「人を入れ替えたい」だ。
倉田は続けた。
「篠崎がですね、少し体調を崩しておりまして」
篠崎の名が顧客の前で出る。だが篠崎はこの場にいない。反論できない場で、本人の“弱さ”だけが共有される。倉田はそういうことを平気でする。
俺の中で、ひとつのスイッチが入った。
怒りではない。手順だ。
倉田が言う。
「なので、篠崎のタスクを一旦整理して、相良を中心に――」
俺は口を挟んだ。
「補足します」
倉田が一瞬止まる。顧客も止まる。田辺の顔が引きつる。
俺は淡々と続けた。
「篠崎は“体調不良”というより、業務負荷とコミュニケーション負荷が原因です。すでにタスク再配分と運用の見直しを進めています。安定稼働のために、手順と記録を整備しています」
会議室の空気が、わずかに変わった。
顧客側の担当者が、少しだけ身を乗り出した。顧客は“安定稼働”という言葉に敏感だ。炎上が怖いからだ。炎上は誰のせいにもできない。だから、誰も炎上したくない。
倉田が、笑顔を作った。
「相良は真面目なんでね。過剰に守りに入るところがあるんですけど」
過剰。守り。そうやって俺を“面倒なやつ”にする。ストーリーの上書きを始めた。
俺は続けた。
「過剰ではないです。ログがないと、炎上時に説明できません。作業の属人化も進みます。現時点で、決定事項と保留事項は議事録で共有しています」
倉田の目が細くなる。議事録という単語は、倉田の喉に刺さる骨だ。
顧客担当が言った。
「議事録、共有いただけるんですか?」
田辺が慌てて頷く。
「はい!もちろんです!こちらで整理して共有します!」
田辺は必死だ。営業は顧客の望む言葉を即座に返す。だが、その“こちら”に、誰が含まれるかは曖昧だ。
俺は言った。
「共有できます。すでに社内には共有済みです。顧客向けに整形したものを、今日中に出します」
倉田の笑顔が固まった。
顧客が安心した顔をするのが見える。倉田にとって、ここが最悪だった。顧客が「相良が正しい」と判断してしまうと、倉田の支配が崩れる。倉田の価値は“空気の支配”に寄っている。顧客の前で空気が割れるのは、痛い。
倉田は、場を取り戻そうとした。
「ただ、相良は最近体調がね。顔色も白いし。倒れられると困るので、体制としては――」
来た。俺を“体調不良”にするストーリー。相良は危ない。だから配置換えが必要。だから、俺から議事録を奪う。
俺は言った。
「体調は問題ありません」
倉田は顧客の前で俺を否定しにくい。だから、笑って誤魔化す。
「いやいや、本人が言うやつね、それ。無理しちゃうタイプだから」
田辺が笑う。顧客も薄く笑う。笑いの空気が、倉田の救命具になる。
俺は、その救命具を切るつもりはない。今切ると、顧客の前で戦争になる。顧客を巻き込むのは目的ではない。
目的は、篠崎を救うこと。構造を殺すこと。
だから俺は、最後の一言だけを残した。
「安定稼働のために、記録と手順を優先します。それが最短です」
定例はそのまま終わった。顧客がログアウトし、会議室の画面が暗くなると、倉田の声も暗くなった。
「相良。お前さ」
倉田は低い声で言った。
「顧客の前で、俺の話に被せるな」
「被せたつもりはありません。必要な補足です」
「必要かどうか決めるのは俺だ」
そこだ。倉田は“決める”ことで支配する。決める権利が揺らぐと、彼は狂う。
俺は言った。
「決めるのは、事実です」
田辺が会議室を出ようとして、足を止めた。巻き込まれたくない顔。でも耳は立っている。
倉田が机を叩いた。
「お前、ほんと……! お前さ、最近マジでおかしいぞ」
おかしい。異物化。排除の前段。
倉田は、次のカードを切った。
「明日、人事呼ぶわ。お前、メンタルやられてんじゃねぇの? 産業医行け」
産業医。普通なら救いの言葉だ。だが倉田の口から出ると、“矯正”の言葉になる。相手を病人にする。病人なら言うことは信用されない。病人なら配置換えができる。病人なら議事録を止められる。
俺は頷いた。
「いいです」
倉田が止まった。
「……は?」
「人事でも産業医でも。記録を整理して説明します」
倉田の目が泳いだ。予想外だったのだろう。普通の人間は嫌がる。怯える。逃げる。俺は嫌がらない。怯えない。逃げない。
倉田は笑うしかなかった。
「……へぇ。言うね」
俺は淡々と席を立った。
会議室を出ると、廊下の端で田辺が追いかけてきた。小声で。
「相良さん、あの……今の、危ないですよ。倉田さん、ほんとに人事動かすと思います」
「動かしてもらって構いません」
田辺は困った顔をした。
「いや……そういう話じゃなくて……あの人、ストーリー作るの上手いんで。相良さんが悪者にされますよ」
ストーリー。分かっている。だから、事実を積む。
「田辺さん。顧客向け議事録、今日中に出します。宛先に田辺さんも入れます」
「……え、あ、はい」
田辺は頷いた。営業は“顧客の安心”が何より大事だ。顧客が安心するなら、誰の味方でもできる。
俺は自席に戻る途中で、篠崎にチャットを送った。
【相良】定例で体制見直しの話が出た。
【相良】倉田は人事・産業医カードを切る可能性がある。
【相良】動揺しなくていい。事実だけ持っておいて。
数秒後、篠崎から返事が来た。
【篠崎】……先輩、大丈夫ですか
【篠崎】俺のせいで……
俺は即答した。
【相良】違う。構造のせい。
【相良】篠崎は自分を守る手順を続けて。
送信して、俺は“Logs”フォルダを開いた。
Minutes。Deliverables。Chats。Incidents。
その中に、新しいサブフォルダを作る。
「HR」
人事に説明するための箱だ。
そして、今日の定例の内容を、議事録に追記した。
体制見直し案が提示された(提案者:倉田)
篠崎の体調について顧客の前で言及あり
相良の体調について顧客の前で言及あり
顧客より議事録共有の要望あり
次回アクション:顧客向け議事録整形・共有(担当:相良)
記録する。それだけで、世界は少しずつ変わる。
だが、その夜――予想より早く“次の手”が来た。
帰宅途中、社用スマホが震える。
【人事・佐伯】相良さん
【人事・佐伯】明日10:00、面談可能でしょうか。倉田課長から相談が来ています。
面談。
俺は画面を見て、静かに理解した。
倉田は、俺を“止める”気だ。




