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I kill  作者: じゃがいも畑
19/20

第19話:決着

会議室Cを出たあと、篠崎は泣いていた。

泣きながらも、歩けていた。


俺は「今日は帰れ」とだけ言って、席に戻った。

戻った途端に社用スマホが震えた。人事の佐伯からだ。


【人事・佐伯】相良さん

【人事・佐伯】至急。17:30 会議室D。

【人事・佐伯】コンプラ(委託先)同席。倉田課長も参加。

【人事・佐伯】篠崎さんは来なくて大丈夫です。


篠崎は来なくていい。

それは守りでもあり、決着の合図でもあった。


その後、A社の山岸に送るメールを整えた。


大げさな資料は要らない。顧客が欲しいのは“安心できる体制”だ。

だから言葉は短く、決めるところだけ決める。


決定事項の置き場は一本。

ToDoは一覧に落として担当と期限。

緊急の連絡経路は一本にして、個人の深夜対応に寄せない。

定例後は差分だけ――増えたToDo、閉じたToDo、保留の期限。


社内で昔からあった、当たり前のやつ。

倉田が“空気”で潰して、属人化させていたやつ。


件名は簡素にした。


「A社様 今後の進め方について」


送信ボタンを押した瞬間、背中に視線が刺さった気がした。

振り向かなくても分かる。倉田だ。


数分後、山岸から返事が来た。


「助かります。これなら社内説明ができます」

「次回定例後の差分共有もお願いします」

「倉田課長にも同報しておいてください」


同報。

顧客側から“見える化”を要求された。倉田はもう、部屋の空気で握れない。


俺は倉田と田辺をCCに入れ、返信した。


17:30。会議室D。


人事側の部屋だ。壁が薄い。外の目がある。

倉田が暴れにくい場所。


佐伯が先に座っていた。隣に八木。コンプラ窓口の委託先担当。

机の上には紙が数枚。印刷されたログ。時系列。決定事項。

“会議体”の匂いがした。


倉田は少し遅れて入ってきた。いつもの余裕の遅刻。

だが今日は、余裕が薄い。目が落ち着かない。笑いが硬い。


佐伯が淡々と始める。


「本日は、コンプライアンスのヒアリング結果と証跡を踏まえ、是正措置を決定します。

目的は、関係者の安全確保と、業務継続です」


倉田が笑った。


「また大げさな。安全確保って。俺、誰も殴ってないし」


八木が言う。


「暴力の有無だけが論点ではありません。

夜間連絡の常態化、既読強要、人格否定と受け取れる表現、公開の場での侮辱。

さらに通報後の“報復を示唆する発言”が確認されています。複合して労務リスクです」


倉田は肩をすくめた。


「指導だろ。現場は甘くないんだよ」


佐伯が言った。


「“現場は甘くない”は免罪符になりません。会社として許容できる範囲を超えています」


倉田の笑顔が少しだけ消えた。


八木は机の上の紙を一枚、指で押した。


「A社への電話について確認します。昨夜、倉田課長は顧客に『相良さんは体調不良』『篠崎さんはメンタルが弱い』という趣旨を伝えていますね」


倉田が即答する。


「事実だろ? 体調悪そうだったし、篠崎は弱い。顧客には正直に言っただけ」


八木が変えずに返す。


「顧客への内部事情の流布です。

相手の不安を煽り、体制を自分に寄せる目的が疑われます。会社として重大です」


倉田が鼻で笑う。


「疑われるって言うなら証拠出せよ」


佐伯が言った。


「田辺さんの通話メモ、A社担当者の証言、直後の顧客クレーム、そして今朝のメール同報要求。十分です」


倉田の目が一瞬だけ泳いだ。


佐伯は続ける。


「次に、篠崎さんへの個別チャット。『どこにチクった』という文言が複数回。報復の疑いが強い」


倉田が言う。


「確認しただけだろ」


八木が淡々と言う。


「“確認”の言葉ではありません。圧力です。通報を妨げる意図が疑われます」


倉田の口角が引きつった。


佐伯が紙を一枚めくった。


「そして、三者面談で決定した“夜間連絡禁止”のルール違反。ログが残っています」


倉田は机に指を打ち付けた。


「ルールルールって、お前ら現場知らないだろ。夜に対応しなきゃいけないことだって――」


八木が遮らず、淡々と返す。


「夜に必要なら当番制にする。個人への圧力で回さない。前回の面談で決めた通りです」


倉田は言い返せず、鼻で笑った。

笑ったが、声は出ない。出せば負けるからだ。


佐伯の声が変わった。決める声。


「会社としての是正措置を決定します」


倉田が背筋を伸ばす。“ここからが本番”だと分かっている。


佐伯は読み上げた。


「1) 倉田課長は、A社案件から即日外れます。

2) 当面、部下への指揮命令を停止します(職務権限の一部停止)。

3) ハラスメントに関する正式調査を開始します。調査期間中、倉田課長は在宅勤務扱いとし、関係者への接触を禁止します。

4) 顧客への説明は営業(田辺)が窓口となり、内部事情の流布を禁止します。

5) 篠崎さんには就業配慮を適用し、指揮系統から倉田課長を外します。

6) 相良さんへの不利益取扱いを禁止します。評価と配置は人事同席で再確認します」


倉田の顔から、血の気が引いた。


「……は?」


佐伯は淡々と繰り返す。


「接触禁止です。今日からです」


倉田が声を荒げた。


「ふざけんなよ! 俺が何したってんだよ!」


八木が即座に言った。


「今の発言も含め、記録します」


“記録”。


倉田の怒りが、そこで一瞬だけ固まる。

記録は、空気を殺す。


倉田は俺を見た。

目の奥が燃えている。


「相良、お前……」


佐伯が言った。


「相良さんに接触することも禁止です。以降、必要事項は人事を通してください」


倉田は口を開けたまま、閉じた。


ここで怒鳴れば、懲戒が濃くなる。

ここで暴れれば、言い訳ができなくなる。


倉田は言葉で抵抗するしかない。


「俺は……現場を守ってただけだ。

こいつらが弱いから……俺が支え――」


八木が言う。


「“弱い”という言葉で相手を縛るのがハラスメントです。支えるのではなく、支配している」


倉田が唇を噛んだ。


佐伯が最後に言った。


「倉田課長。これは“あなたを悪者にする会”ではありません。

ただ、会社が守るべきものは、社員の安全と顧客への責任です。

これ以上の発言は不要です。退室してください」


倉田は椅子を引く音を大きく立てて立ち上がった。

だが会議室Dは薄い。外に耳がある。

倉田は怒鳴れない。いつもの“部屋”ではない。


倉田は最後に、低く言った。


「……終わったな」


終わったのは、俺じゃない。


佐伯が短く返した。


「はい。今日で終わりです」


倉田は言葉を失って、出ていった。


倉田が出たあと、部屋の空気が少しだけ戻った。

戻ったというより、張りつめていたものが、ほどけた。


佐伯と八木が淡々と後処理の言葉を交わす。その声が遠い。

俺は机の上の紙を見ていた。ログ。時系列。決定事項。

ただの事実が、今日は刃になっていた。


不思議と、勝ったという感覚はない。

ただ――納得だけが残った。


倉田課長は、ずっとこういう人だったのか。


いや、違う。

俺の記憶の中に、もう一人の倉田がいる。


入社して最初の現場。右も左も分からなくて、炎上案件の数字だけが赤く点滅していた夜。

帰れなくなって、机に突っ伏していた俺を見つけて、倉田は缶コーヒーを放って寄こした。


「泣く暇あったら、今できることだけやれ。俺が前を受ける」


缶を開けたときの音だけ、妙にはっきり覚えている。

飲み口に当たった金属の冷たさ。

……そして、あの苦さ。


今の俺は、味がしない。

甘いも辛いも、喉を通るだけだ。

なのに、あの夜の缶コーヒーの苦さだけは、舌じゃなく記憶の奥から引っぱり出せる。

“苦かった”と知っている。

苦さが、まだそこにあるみたいに。


そのときの俺は、救われたと思った。

“強い人”がいると、世界は回るんだと信じた。

だから、感謝していた。しばらくの間は。


でも、あれは――誰かが前を受けてくれているように見えるだけで、実際は、後ろにいる人間を“燃料”にして進んでいるだけだった。


倉田課長は“数字だけは”作ってきた。だからここまで来た。

燃えている現場でも、納期だけは間に合わせる。

怒鳴ってでも締め上げて、最後に“結果”を持っていく。

上の人間は数字で判断する。数字が出るなら、正しいと勘違いできる。


ただ、その数字の裏で人が壊れてるなら、会社としてはコストだ。

辞める。倒れる。病む。入れ替わる。

そのたびに引き継ぎが消えて、知識が消えて、顧客の信用も減っていく。

数字だけ残って、土台が腐る。


今回の件は“能力不足”じゃなく、“やり方が会社のリスクになった”から止める。

そういう決着だった。

正義でも復讐でもない。

ただの、損益計算。


――それでいい。


それでいいと、初めて思えた。


机の上の紙は冷たいままだった。

でも、その冷たさが、少しだけ優しく感じた。

味のない世界で、苦さだけが残るみたいに。


佐伯が俺を見て言った。


「相良さん、今日は早退してください。指示です。

内科受診の結果もあるでしょうし……顔色、かなり白い」


俺は頷いた。


「はい」


会社を出ると、夕方の空気が冷たかった。

息は白くならない。

それでも、空はちゃんと冷たい。


スマホが震えた。篠崎からだった。


【篠崎】先輩

【篠崎】人事から連絡来ました

【篠崎】配置転換、決まりました

【篠崎】……ありがとうございます


俺は短く返した。


【相良】よかった


そして、しばらく画面を見つめた。


勝ったとか、嬉しいとか、そういう感情はない。

でも、胸の奥の“重さ”が一つ消えたのは分かった。


理不尽が、理不尽として扱われること。

「現場は甘くない、だから仕方がない」で流されないこと。


今日は、流されなかった。


スマホがもう一度震えた。妹からだった。


『久しぶり。元気? たまには帰ってきなよ』


短い文。絵文字ひとつ。


俺は画面を見つめた。


帰る。

帰れるうちに、帰る。


指が勝手に動いた。


『近いうちに帰る』


送信。


その瞬間、胸の奥が静かになった。

静かすぎて、もう、心臓がないことを思い出す。


でも、もういい。


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