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I kill  作者: じゃがいも畑
18/20

第18話:最後の反撃

翌朝、フロアの空気が変わっていた。


いつもの緊張じゃない。もっと硬い、もっと小さい音。

誰も大声で笑わない。雑談が短い。視線が泳ぐ。

“何かが起きた後”の空気だ。


出社してすぐ、田辺が俺の席に来た。顔が青い。営業の青さは、だいたい顧客の怒りと直結している。


「相良さん……やばいです」


「何が」


田辺は声を落とす。


「倉田さんが、昨日の夜……A社に電話してます。

で、今朝、A社からクレーム来ました。“社内が不安定なら体制変えてくれ”って」


来た。顧客にストーリーを流した。


俺は落ち着いて聞く。


「倉田さん、何を言いました」


田辺は唇を噛んでから言った。


「……“相良が最近体調不良で、独断で動いている”って。

“篠崎もメンタルが弱い”って。

“だから自分が体制を引き締める”って」


最低だ。顧客の前で、部下の弱さを売った。

しかも“引き締める”という言葉だけで、実際に何をどうするかは言わない。顧客はそこに一番不安になる。


田辺が続ける。


「で……A社が言ってます。

“議事録は相良さんのが良かった”って。

“倉田さんの説明はふわっとしてる”って」


田辺の顔が困っている。倉田に言えば怒られる。言わなければ顧客が燃える。営業の地獄だ。


俺は言った。


「議事録だけで返さない。うち、もともと“回すための形”はあったんです」


「え?」


「定例で決めて、ToDoに落として、担当つけて、期限つけて、次回確認する。

当たり前のやつ。あれを、当たり前に戻します。少しだけ磨く」


田辺が眉を上げる。


「……磨く?」


「“口頭で決まったこと”が、どこにも残らない状態をやめる。

“誰が持ってるか分からないタスク”をなくす。

連絡も、個チャじゃなくチャンネルとスレッドに寄せる。

そういう、元々やるはずだったことを、ちゃんとやるだけです」


田辺は小さく息を吐いた。肩の力が少しだけ抜けた。


「相良さん、それ……山岸さんに刺さります。“上に説明できる絵”が欲しいって言ってた」


「刺さる言い方で話します」


俺はPCを開き、A社向けのメールの下書きを作った。


派手な資料は要らない。顧客が欲しいのは“安心できる運び方”だ。

だから、言葉は短く、決めるところだけ決める。


――決定事項の置き場。

――ToDoの置き場。

――誰が持つか。

――次にいつ確認するか。


それだけで、炎上は減る。


10時過ぎ、篠崎からチャットが来た。


【篠崎】先輩

【篠崎】倉田課長から、朝からずっと“個チャ”来てます

【篠崎】「どこにチクった」って

【篠崎】怖いです


来た。暴れ方は二つ。顧客と篠崎。

そして両方に殴っている。


俺は即返信した。


【相良】返信しない。スクショ。

【相良】佐伯さんと八木さんに転送。

【相良】いったん席を外せ。トイレで深呼吸していい。


【篠崎】はい

【篠崎】……泣きそうです


【相良】泣いていい。泣いたら、戻る前に“何が来たか”だけメモしろ。


送信して、俺は佐伯にチャットを打った。


【相良】緊急。倉田課長がA社に「相良体調不良」「篠崎メンタル弱い」等を伝え、顧客不安が発生。

【相良】同時に篠崎へ「どこにチクった」等の個チャ圧力あり(証跡あり)。即時介入をお願いします。


八木にも送る。


【相良】倉田が顧客へ内部事情を流布し、篠崎に圧力を開始。報復の兆候。スクショ共有します。


11時。A社との電話。


田辺が丁寧な声で話し始める。山岸の声は硬い。顧客の硬さは、怒りと不安の混合だ。


「田辺さん、正直言って御社の中が見えない。昨日、倉田さんから電話があって、担当が不安定だと聞いた。こちらとしては、炎上だけは避けたいんです」


田辺が慌てて謝る。


「申し訳ございません。体制は安定化に向けて――」


山岸が続ける。


「それと、篠崎さんの件も……正直、メンタル弱い人を前線に出されると困ります。納期守れますか?」


そこで、俺が入った。


「山岸さん。相良です。ご不安を増やしてしまい申し訳ありません。

貴社にご迷惑が出ないよう、現在、体制を整備しております」


山岸が少し黙った。


「具体的には?」


「当然ですが、もともと弊社にも“定例で決めてToDoに落として次回確認する”運用はありました。

ただ、今はそれが機能していません。ですので、早急に本日からそこだけは戻します」


田辺が咳払いをする。倉田が聞いていたら怒る言い方だ。でも顧客には効く。


俺は続けた。


「今日中に、次の三点だけ共有します。

一つ、決定事項の置き場(議事録)を一本化。

二つ、ToDoの一覧に“担当と期限”を必ず付ける。

三つ、現在の進捗と今後の見通しについて」


山岸の息が少しだけ戻った。


「……それ、欲しいです。こっち、上に説明できる材料が必要で」


「分かりました。短い形で送ります。次回定例から、定例後に“差分”だけお送りします。増えたToDo、閉じたToDo、保留の期限。その三つです」


山岸が言った。


「倉田さんは『引き締める』って言うだけで具体性がないんですよ。すみません、失礼かもしれないけど」


田辺がまた咳払いする。


俺は淡々と言った。


「失礼ではありません。不安の根拠を潰すのがこちらの責任です」


山岸は最後に言った。


「御社内のゴタゴタはどうでもいいです。こっちが困らないようにしてくれればいい」


顧客の本音。救いじゃない。損失回避の要求。

でも、その要求は“空気”より“事実”に味方する。


電話はぎりぎり収束した。


通話が切れた瞬間、田辺が小さく言った。


「相良さん……助かりました……」


「顧客が求めたので」


田辺は苦笑した。


「倉田さん、これ聞いたら爆発しますよ……」


爆発。

倉田はもう爆発している。今、どこで爆発しているか。


俺のスマホが震えた。篠崎からだ。


【篠崎】先輩

【篠崎】倉田課長に呼ばれました

【篠崎】会議室Cです

【篠崎】来てください


会議室C。壁が厚い方。

叱る部屋。潰す部屋。


俺は立ち上がった。歩く足取りが軽い。軽すぎる。

床を踏んでいるのに、踏んでいないみたいだ。


会議室Cの前に着く。ドアの向こうから倉田の低い声が聞こえる。


「お前、どこに言った?」


篠崎の声は小さい。聞き取れない。


俺はノックせずにドアを開けた。


倉田が振り向く。目が血走っている。

篠崎は椅子に座り、肩を小さくしている。呼吸が浅い。膝の上で手が固まっている。


倉田が言った。


「お前、何で入ってくんの?」


「篠崎の指示経路は当面、相良経由です。三者面談で決まっています」


倉田が乾いた笑いを漏らす。


「三者面談? うるせぇな。ここは現場だよ。俺が課長だ。

篠崎は俺の部下。俺が話す。お前は出てけ」


篠崎の肩が震えた。


俺は倉田を見た。怒りじゃない。判断だ。


「今のは圧力です。記録します」


倉田の顔が歪む。


「記録? 記録? お前さ、どこまでやんだよ!」


倉田は机を叩いた。篠崎がビクッと跳ねた。


俺は一歩前に出た。


「叩かないでください。篠崎が怯えています」


倉田が怒鳴った。


「怯えさせてんのはお前だろ! お前がチクって、俺が悪者にされて、顧客にまで迷惑かけて!

お前、何がしたいんだよ!」


倉田の声が壁に反射する。会議室Cは厚い。外に漏れない。だから倉田は暴れる。


俺は言った。


「篠崎を救いたいだけです」


倉田が嘲笑する。


「救う? お前、救世主かよ。

お前さ、篠崎に“出口”とか言ってるらしいな。転職? 異動?

そんなの、俺が許すわけねぇだろ。俺のチームだぞ」


俺のチーム。所有物。支配。そこが本音だ。


篠崎が小さく声を出した。


「……俺の人生です」


言った。篠崎が言った。


倉田が振り向く。


「は?」


篠崎は震えながら続けた。


「俺……もう、無理です。夜中の連絡も……みんなの前で言われるのも……」


倉田の顔が一瞬止まり、そして冷たく笑った。


「じゃあ辞めろよ。辞めていいよ。

でもな、辞めるなら“お前が弱いから辞める”って言え。

俺のせいにするな」


篠崎の呼吸が詰まる。


俺は篠崎の横に立った。


「辞めるかどうかは篠崎が決めます。倉田さんが決めることではありません」


倉田が机を回り込み、俺に近づく。距離が近い。暴力が出る距離。


「……お前、調子乗ってんじゃねぇぞ」


次の瞬間、倉田の手が伸びて、俺の胸倉を掴んだ。


シャツの襟元が引かれ、喉が詰まる。

視界に倉田の顔だけが入る。


篠崎が立ち上がりかけた。


「や、やめ――」


俺は最小限の動きで倉田の手首を払った。強く叩かない。殴らない。

ただ、掴みをほどく動き。距離を取るための動き。


ぱし、と乾いた音がして、倉田の手が離れた。


俺は一歩下がり、距離を取る。


「触らないでください」


倉田の目が一瞬、怯えた。自分が“手を出した”事実に気づいたからだ。

空気の暴力が“暴力”になった瞬間だった。


倉田は言い訳を探す顔になる。


「……は? お前が、俺を煽ったからだろ」


俺は静かに言った。


「今のは暴力です。報告します」


倉田が怒鳴りかけて、止まった。監視が怖い。


篠崎が震える声で言った。


「……やめてください……」


篠崎が言えた。小さいが、言えた。


倉田は舌打ちし、椅子を蹴るように戻った。


「……勝手にしろよ」


その言葉は降参じゃない。次の準備だ。


俺は篠崎に言った。


「出よう」


会議室Cを出る。廊下の空気が冷たい。薄い壁の向こうでは、いつも通りの仕事が続いている。


篠崎は廊下で、深く息を吐いた。


「先輩……俺、言いました」


「言えた。偉い」


篠崎は涙をこぼした。そして言った。


「……先輩、俺、出ます。ここから」


出る。出口が言葉になった。


その瞬間、俺の中の“何か”が少しだけ静かになった。

役目が、終わりに近づいている。


だが同時に、視界が一瞬だけ白くなった。白い膜が降りる。音が遠くなる。身体が軽い。


俺は壁に手をついた。


白い指が壁に触れる。


篠崎が俺を見た。


「先輩……大丈夫ですか?」


俺は頷いた。安心させないと。


「大丈夫。死ぬほどじゃない」


出来る限りの笑顔で。多分、引きつっているけれど。


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