第17話:ヒアリング
翌朝、社用スマホに予定が追加された。
【コンプラ窓口(委託先)八木】
10:30〜 ヒアリング(相良)
11:15〜 ヒアリング(篠崎)※同席可
場所はオンライン。個室ブース利用。録音は「必要に応じて」と書かれている。
必要に応じて、というのは“使う可能性がある”という意味だ。
俺は篠崎にチャットした。
【相良】10:30〜コンプラのヒアリング。11:15〜篠崎も。
【相良】同席する。事実だけ。感情は出てもいい。
【相良】今日は“勝つ”じゃなく、“守る”日。
既読。すぐに返事。
【篠崎】はい
【篠崎】……吐きそうです
吐きそう。正常だ。
【相良】吐いてもいい。出していい。
【相良】終わったら外に出よう。昼飯は無理に食わなくていい。
送信して、俺はブースへ向かった。
10:30。画面の向こうに八木が現れた。30代後半くらい。淡い色のジャケット。目が冷静で、声が温度を持たない。温度を持たないのは、他人の話をそのまま受け取るためだ。事実を拾う人の目。
「相良さん、お時間ありがとうございます。今回の報告について、確認したい点があります。まず前提として、私たちは“事実”を確認し、会社側に適切な是正措置を求めます。相良さんが不利益を受けないよう配慮しますが、完全にゼロにはできません。その点は理解いただけますか」
「理解しています」
八木は頷き、淡々と進めた。
「報告書に添付されたログと時系列について、いくつか確認します。夜間連絡の頻度、既読強要の具体的な文言、人格否定と受け取れる表現、そして三者面談で決定した“夜間連絡禁止”が守られているか」
俺は準備していた画面共有を出した。Logs。Chats。Minutes。Incidents。
淡々と、該当箇所を示す。
「この日、23:48から連絡が入り、既読が付かないと電話。文言はここです」
「この日、『使えねぇ』の表現があります」
「三者面談の決定事項はこの議事録。以降も連絡が続いています」
八木は途中で止めずに聞き、最後に短く言った。
「確認しました。次に、相良さんご自身への圧力について。評価面談で『居場所がない』といった発言があったとありますが、いつ、どのような文脈で」
俺は答えた。
「第15話の朝の面談です。倉田課長が『会社に楯突いた』『居場所ねぇ』という趣旨の発言をしました。評価を下げる、体調面を理由に危ないと言う、と」
八木は頷く。
「面談の録音は?」
「ありません。議事録メモはあります」
「そのメモは、面談直後に作成しましたか」
「はい。時刻も残しています」
八木は「良いです」とだけ言った。
事実を扱う人は、褒めない。評価しない。ただ“使える”かどうかで判断する。
八木は続けた。
「今回、緊急性が高いと判断した理由は二つです。
一つは、対象者(篠崎さん)の体調悪化の兆候があること。
もう一つは、上司が『出口を潰す』と明言し、圧力がエスカレートする可能性があること」
俺は頷いた。
「はい」
八木は最後に言った。
「次に篠崎さんから聞きます。相良さんは同席しますか」
「同席します」
「では、同席は可能ですが、相良さんが答えるのは“相良さんの見た事実”に限定してください。篠崎さんの感じたことは、篠崎さんの言葉で」
「承知しました」
画面が一度切り替わり、11:15。篠崎が接続してきた。
顔色が悪い。だが目は逃げていない。手が少し震えている。口が乾いているのが分かる。
それでも、来た。
八木が穏やかに言う。
「篠崎さん、こんにちは。今日は勇気が要ったと思います。ありがとうございます。まず確認ですが、今この場で話す内容は、あなたの安全のために使われます。あなたを責めるためではありません。大丈夫ですか」
篠崎は小さく頷いた。
「……はい」
「では、夜間連絡について。いつ頃から、どの頻度で、どんな内容でしたか」
篠崎はメモを見ながら話し始めた。声は震えていたが、言葉は崩れなかった。
「……去年の秋くらいから、増えました。最初は週に一回くらい。でも年末からほぼ毎日で……夜中の0時過ぎも……。既読が付かないと電話が来て……」
八木が確認する。
「既読が付かないと、電話」
「はい。『見てないの?』って……」
「電話に出ないと?」
篠崎は一瞬、詰まった。
「……翌朝、怒られます。朝会で、みんなの前で……」
八木は淡々と聞く。
「具体的な言葉は覚えていますか」
篠崎は目を閉じるようにして、言った。
「……『頭使え』『使えねぇ』『社会舐めんな』……あと……『謝る前に頭使え』」
八木が頷く。
「それを受けた後、体調には変化がありましたか」
篠崎の声が少しだけ小さくなった。
「……吐き気。手の震え。寝れない。朝、会社に来ると……息が浅くなって……」
八木はさらに言う。
「相良さんが記録を整備し、人事が介入してから、変化はありましたか」
篠崎は少しだけ息を吐いた。
「……夜中の連絡は減りました。ゼロじゃないけど……。あと、相良さんが間に入ってくれて……」
八木は視線を画面の端に向ける。
「倉田課長は、そのことを嫌がりましたか」
篠崎は迷い、そして言った。
「……嫌がりました。『依存させるな』って……。あと……『出口を潰す』って……相良さんに言ったって……」
八木の目が少しだけ鋭くなる。
「篠崎さん自身に、“出口を潰す”という趣旨の圧力はありましたか」
篠崎は唇を噛んだ。
「……まだ直接は……でも……最近、俺がちょっとでも早く帰ろうとすると、視線が……」
視線。
言葉じゃなくても、圧力はある。空気の暴力。
八木は言った。
「分かりました。最後に確認します。篠崎さん、今も倉田課長の下で働き続けることは可能ですか」
その質問は、刃だった。
篠崎の目が揺れた。ここで「可能」と言えば、現状維持になる。
「不可能」と言えば、何かが動くが、怖い。
篠崎は数秒黙って、そして答えた。
「……不可能、だと思います」
言った。
言ってしまった、という顔と、言えた、という顔が同時にあった。
八木は頷いた。
「ありがとうございます。それは重要な情報です。ここから先は、会社側に是正措置を求めます。篠崎さんへの直接の対応として、就業配慮(配置転換、指揮系統変更、休職含む)を検討します。相良さんも含めて、不利益取扱いがないよう監視します」
監視。
その言葉が出た瞬間、世界が一段だけ変わった。
倉田の世界は“閉じた部屋”だった。
監視が入ると、部屋は開く。空気の暴力が減る。
八木は最後に言った。
「今日の内容は整理して、会社の窓口(人事・コンプラ担当)へ連携します。今後、倉田課長から接触や圧力があれば、すぐに記録して共有してください」
篠崎は小さく頷いた。
「……はい」
面談が終わると、篠崎の肩が少しだけ落ちた。落ちたのは疲れだ。
だが疲れは、息をしている疲れだ。
ブースから出て、廊下に出る。
篠崎が隣に立っていた。顔色は悪いが、立っている。
声が出た。
「先輩……俺、言っちゃいました」
「言ってよかった」
「……怖いです。これからどうなるのか」
「どうなるかは分からない。でも、“動く”」
篠崎は頷き、ふと小さく笑った。
「先輩、本当にありがとうございます。おかげで今は少しだけ会社に来るのがつらくないです」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが少しだけ温まった気がした。
温まる、という感覚はほとんどない。
でも、ゼロではなかった。
その直後、俺の視界が一瞬、白くなった。
廊下の蛍光灯が強すぎるわけじゃない。
白くなるのは、俺の側だ。
身体がふっと軽くなる。足が床から数ミリ浮くような錯覚。
手すりを掴む。掴んだはずなのに、掴んだ感覚が薄い。
篠崎が俺を見た。
「先輩……大丈夫ですか?」
俺は頷いた。
「大丈夫」
嘘に近い。だが嘘ではない。まだ動ける。
だが確実に、“時間”は減っている。
俺は篠崎に言った。
「今日は早く帰れ。スマホは機内モードでいい」
「先輩も……」
「俺も帰る」
帰る。
帰る場所は、会社じゃない。
その夜、俺は久しぶりに実家の玄関の前まで歩いた。入らない。まだ入らない。
入ったら、終わりが近づく気がしたからだ。
ただ、玄関の前で立ち止まり、インターホンの横にある表札を見た。
家族の名前。
父、母、妹。
その文字を見て、俺は静かに思った。
――終わらせるのは、近い。
篠崎の出口は動き始めた。
制度は監視に入った。
倉田は、もう自由に殴れない。
あとは、最後の反撃だけだ。
追い詰められた倉田は、必ず暴れる。
その暴れ方が、誰を傷つけるか。
俺はそれだけを、警戒した。




