第14話:評価面談
翌週の月曜、朝のチャット通知が一斉に鳴った。
【人事・佐伯】各位
【人事・佐伯】本日16:00より、相良さんの就業配慮と体制調整について、関係者で短時間の面談を行います。
【人事・佐伯】(参加:相良、倉田、佐伯、営業田辺)
短時間。こういうときの「短時間」は、短くない。
短くても、決まることが重い。
俺は既読をつけ、返事をせずにPCを開いた。返信の必要はない。手順が動いているだけだ。
午前中、倉田は妙に静かだった。怒鳴らない。笑わない。視線だけが刺さる。
静かなときの倉田は、準備をしているときだ。
昼過ぎ、篠崎が席に来た。手にはメモ用紙。産業医面談のために書き出した“事実メモ”だ。
「先輩……これ……」
紙を受け取る。箇条書きで、日付と事象が並んでいる。
〇/〇 23:48 倉田課長からチャット(返信が遅いと電話)
〇/〇 00:12 「頭使え」「使えねぇ」
〇/〇 朝会で「謝る前に頭使え」
〇/〇 会議資料の作成者名が消され、課長の成果として発言された
〇/〇 吐き気、手の震え、寝つき悪化
最後の行だけ、文字が少し滲んでいた。書いている途中で手が震えたのだろう。
「よく書けた」
俺がそう言うと、篠崎の肩が少しだけ下がった。
「……俺、これ、人事に出していいんですか」
「出していい。出すために書いた」
篠崎は頷いたが、目はまだ怖がっている。
「先輩……今日、16時の面談……俺も呼ばれますか」
「今日は呼ばれない可能性が高い。倉田が嫌がる」
「……嫌がる?」
「事実が増えるから」
篠崎は小さく息を吸って、吐いた。
「……先輩、俺、最近……ちょっとだけ……息できるようになってきました」
息。
それは、いちばん大事な変化だ。息ができない状態は、人を壊す。息ができるなら、まだ回復できる。
「それでいい」
俺はそう言って紙を返した。
「このメモ、コピーしておく。原本は篠崎が持て」
篠崎は頷き、紙を大事そうに胸ポケットへ入れた。
16時。人事会議室。
佐伯はいつもの中立の顔で座っていた。田辺はその隣で、落ち着かない指先をいじっている。
倉田は少し遅れて入ってきた。遅れて入るのは、場の中心を自分にするための癖だ。
「お待たせ。いや〜忙しくてさ」
佐伯が淡々と始める。
「本日の目的は二つです。相良さんの就業配慮(体調管理)と、A社体制の運用の安定化。加えて、倉田課長から“評価面の懸念”があると伺っていますので、その整理もします」
評価。
やはり来た。
倉田は笑う。
「そうそう。相良、最近“協調性”ないんだよ。上司飛ばして動くし、顧客の前で被せるし。チームの空気、乱してる」
空気。協調性。
倉田が人を殺すときに使う言葉だ。
佐伯は俺を見る。
「相良さん、この点、どう捉えていますか」
俺は言った。
「協調性の問題ではなく、運用の問題です。決定事項の文書化と、夜間連絡の制限は、前回の三者面談で決定しています。私はそれを実行しただけです」
倉田が鼻で笑う。
「“決定”ねぇ。人事が言っただけだろ。現場の責任は誰が取るんだよ。結局、俺だろ?」
責任。
それも倉田の武器だ。責任を盾にして暴力を正当化する。
佐伯が静かに言う。
「責任の所在を明確にするためにも、記録が必要です。顧客要望も出ています」
田辺が小さく頷いた。営業は顧客要望が最優先だ。顧客が望むなら、誰の味方でもできる。
倉田は田辺を見て、軽く笑った。
「田辺もそう思う? 相良のやり方、正しい?」
田辺は一瞬、固まった。倉田の視線。佐伯の視線。俺の視線。
板挟みの顔。
田辺は“営業の答え”を出した。
「顧客は、議事録があると安心します……それは事実です。ただ、社内の承認フローもあるので、そこは整えたいですね」
上手い。どっちにも寄った。責任を取らない返し。
倉田はそこだけを拾う。
「ほらな。承認フローだよ。相良はそこ飛ばしてんだよ」
俺は言った。
「飛ばしていません。宛先に倉田さんと田辺さんを入れて共有しています。承認が必要なら、返信で指示してください。記録に残ります」
倉田の顔がわずかに引きつった。
記録。残る。困る言葉だ。
佐伯が話を戻す。
「評価については、通常の評価面談の枠で行います。ただし、相良さんへの“体調を理由にした排除”にならないよう、人事としても確認します」
倉田が笑った。
「排除って言い方やめてよ。俺は心配してるだけ。相良、顔白いし、倒れたら困るから」
困るから。
倉田が何度も使う言葉だ。人を“会社の都合”に閉じ込める言葉。
佐伯は俺に向き直る。
「相良さん。産業医の所見では“直ちに休職は不要”。ただ内科受診推奨。受診予定は立てられましたか」
「明日、予約を入れました」
「分かりました」
佐伯はメモを取り、続ける。
「では体制です。倉田課長は相良さんを別案件へ移す意向が強い。一方で、相良さんは篠崎さんの安全確保を優先している。ここを整理します」
倉田が即答する。
「篠崎は俺に戻す。相良は外す。これが最短」
俺は反対意見を言う。
「篠崎を戻すなら、指示経路と夜間連絡制限が守られることが前提です。守られないなら、就業配慮として体制の再検討が必要です」
倉田が笑った。
「守るよ、守る守る。でもさ、指示経路を“相良経由”とか言い出して、現場のスピード落とすのはやめてくれ」
「緊急時は当番制です。スピードは落ちません」
倉田は言葉を詰まらせ、別の方向へ舵を切った。
「そもそも、篠崎がそんなに弱いなら、適性ないんじゃないの? 俺は優しくしてる方だよ?」
適性。
倉田は“個人の弱さ”に落とす。構造の問題を消す。
佐伯が、初めて少し強く言った。
「倉田課長。適性の話は今しません。健康配慮とリスクの話です」
倉田の笑顔が消えた。
沈黙が数秒落ちる。
沈黙の間に、倉田の目が俺を刺した。“後で覚えてろ”という目。
佐伯が結論に入る。
「本日の決定です。
相良さんは内科受診。結果は人事に共有。
A社は倉田課長主担当のまま。ただし、議事録・決定事項の文書化は継続。
篠崎さんへの業務指示は、当面“記録に残る形”で行うこと。夜間連絡は禁止。緊急対応は当番制。
相良さんの別案件移管は“即日”では行わず、2週間の引き継ぎ期間を設ける。引き継ぎ完了までは相良さんが運用整備を担当する」
2週間。
時間ができた。篠崎に出口を作る時間。制度を固める時間。
倉田は不満そうに笑った。
「2週間ねぇ。まぁ人事がそう言うなら。……でも相良、お前の評価は別だからな。協調性ゼロは変わらん」
俺は頷いた。
「評価は構いません。篠崎が壊れなければ」
倉田の目が細くなる。
「……ほんと気持ち悪いわ、お前」
佐伯が淡々と締める。
「本日の議事録は人事で作成し、関係者に共有します。以上です」
面談は終わった。
会議室を出た瞬間、田辺が小声で追いかけてきた。
「相良さん……2週間、取れましたね」
「取れました」
田辺は目を泳がせながら言った。
「倉田さん、たぶん……別の手で来ます。評価とか、配置とか……顧客に“相良は危ない”をまた入れようとするかも」
「分かってます」
田辺はため息をついた。
「正直、僕も……篠崎くんの件、やばいと思ってます。あの子、目が死んでた」
目が死んでた。
死ぬのは、簡単だ。生きる方が難しい。
俺は田辺に言った。
「田辺さん。もし倉田さんが顧客に“内部の揉め事”を出しそうになったら、止めてください。顧客の不安が増える」
田辺は苦い顔で頷いた。
「……やってみます」
自席に戻ると、篠崎からチャットが来ていた。
【篠崎】先輩、面談どうでした
【篠崎】俺、戻されますか
俺は返した。
【相良】2週間の猶予ができた。即日ではない。
【相良】夜間連絡禁止は継続。
【相良】出口作る時間ができた。
既読がつく。返信は少し遅れて来た。
【篠崎】……ありがとうございます
【篠崎】俺、週末、職務経歴の棚卸しやります
それでいい。
たった一歩でも、外へ向かうなら。
俺は画面を見つめながら、自分の指先を見た。白い。薄い。
しかし今日は、輪郭が一瞬だけ揺れた。体が軽くなる感覚。椅子に座っているのに、座っていないような。
“時間”が減っている。
俺は、急いでHRフォルダを開き、2週間の計画を作った。
Week1:篠崎の産業医面談準備/異動相談の下書き/転職棚卸し
Week2:人事へ異動相談/転職エージェント登録/引き継ぎ完了
そして最後に一行、書いた。
「相良が消えても動く仕組み」
それを作れたら、俺はもう――
そのとき、社用スマホが震えた。
【倉田】相良
【倉田】明日、朝イチで“評価フィードバック”やるから来い
【倉田】逃げんなよ
評価フィードバック。
倉田の刃が、ついに振り下ろされる。




