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I kill  作者: じゃがいも畑
13/20

第13話:出口

翌日、篠崎は産業医面談の案内を受けた。


案内が来た、というチャットは短かった。だが、その短さに彼の緊張が詰まっていた。


【篠崎】人事から、産業医面談の案内来ました

【篠崎】来週の火曜です

【篠崎】……怖いです


怖い。正常だ。怖いという感情があるのは、生きている証拠だ。


俺は返信した。


【相良】怖くていい。

【相良】面談は“裁判”じゃない。事実だけ言えばいい。

【相良】今日は18:30、会議室B。出口の話をする。


出口。


その言葉を送った瞬間、俺の中に薄い膜が沈んだ。出口という言葉は、どこか“終わり”を連れてくる。終わりが近いことを、俺はどこかで知っている。


18時半。会議室B。


壁が薄い部屋だ。だが今日は、あえて薄い部屋にした。出口の話は重くなりやすい。重くなると人は逃げる。逃げないように、あえて“軽い場所”で言う。


篠崎は時間ぴったりに来た。いつもより姿勢が固い。椅子に座っても落ち着かない。目が泳ぐ。いつもの彼だ。


「先輩……出口って、なんですか」


俺は答えた。


「会社の外に、逃げ道を作る」


篠崎の顔が固まった。


逃げる。負け。恥。嫌われる。そういう連想が彼の中を駆け巡るのが見えた。


「……でも、俺……」


「今すぐ辞めろと言ってない。出口がある状態にする。出口があると、今の場所で息ができる」


篠崎は唇を噛んだ。理解したいが、怖い。


俺は机の上に紙を置いた。


“出口メニュー”と書いた一枚。


社内異動(倉田の指揮系統から外れる)


休職(医師の所見を使う)


転職(同職種/別職種どちらも)


外部相談(労基・弁護士・労組)


最悪の最悪:退職代行(連絡遮断)


篠崎は紙を見て、少しだけ息を呑んだ。


「……ここまで……考えてたんですか」


「手順だから」


篠崎が目を上げる。


「手順……」


俺は続けた。


「倉田は変わらない。制度は動いた。でも現場は抜け道を探す。抜け道を潰すには時間がいる。篠崎の体調は時間がない」


篠崎の目が揺れた。


「先輩、俺、そんな……弱いですか」


弱い。彼はそこに引っかかる。弱いから逃げる、という構図にされるのが怖い。


俺は首を振った。


「弱いじゃない。普通だ」


普通。普通なら、壊れる。普通なら、怖い。普通なら、逃げたい。


「普通の人間が耐えられるように作られてない構造なんだ。だから壊れる。壊れない方がおかしい」


篠崎の肩が少しだけ落ちた。責められていない、という安堵の形だ。


俺は言った。


「今週、やることは三つ」


篠崎は反射で頷いた。三つ。数字は彼を安心させる。


「一つ。面談で話す“事実メモ”を作る。起きたこと、頻度、影響。感情は添えなくていい」


「……はい」


「二つ。社内異動の可能性を探る。人事に“倉田の指揮系統から外れたい”と相談する。言い方は、健康配慮とキャリアの両方」


篠崎が眉を寄せる。


「そんなこと言ったら……倉田課長に……」


「倉田には言わない。人事の担当にだけ。記録が残る形で。必要なら俺も同席する」


篠崎は小さく頷いた。


「三つ。転職用に、職務経歴を棚卸しする。今日じゃなくていい。週末に一時間だけ」


篠崎の目が少し大きくなる。


「……転職……現実味が……」


現実味。それが怖い。現実味が出ると、いまの場所が崩れる気がする。


俺は淡々と言った。


「現実にする。現実にしないと、出口は“気休め”のままになる」


篠崎は紙を握りしめた。手に力が入っている。怖いのに、握っている。捨てない。これは前進だ。


沈黙が流れた。


会議室Bの壁の薄さのせいで、廊下の足音が聞こえた。誰かが笑っている声も聞こえる。外はいつも通りだ。中だけが、静かに変わっている。


篠崎がぽつりと言った。


「先輩、なんで……俺にここまで……」


まただ。理由を求める。感情がない俺にとって、理由は言葉にしづらい。


俺は答えを選んだ。


「自分の失敗を、繰り返したくないから」


篠崎は黙った。失敗という言葉が刺さったのかもしれない。だが刺さったからこそ、彼は聞いた。


「……先輩、何があったんですか」


ここで言うべきか迷う。全部は言えない。言うと、彼が背負う。背負わせたくない。


俺は半分だけ言った。


「俺は昔、誰にも言えなくて、逃げ道を作れなくて……最後に自分を終わらせた」


篠崎の顔が固まった。


言葉の意味を理解するのに、時間がかかった顔。


「……終わらせたって……」


俺は頷いた。


「だから、篠崎には出口を作る」


篠崎の目が揺れて、視線が落ちた。呼吸が浅くなる。だが彼は逃げなかった。席を立たなかった。ここで席を立たないのは、彼にとってかなりの勇気だ。


「先輩……今、ここにいるじゃないですか」


その問いは、俺の最も触れられたくないところに触れた。


“いる”。確かにいる。だが、“生きている”とは限らない。


俺は答えを曖昧にした。


「……いるうちに、やる」


篠崎は何か言いかけて、やめた。言葉にすると壊れる気がしたのだろう。


俺は話を戻した。


「出口の話は、篠崎の選択だ。決めるのは篠崎。俺は手順を出すだけ」


篠崎は小さく頷いた。


「……俺、まずは……面談のメモ作ります」


「それでいい」


会議室を出るとき、篠崎は少しだけ背筋が伸びていた。目も前を向いていた。たったそれだけの変化が、俺には確かな成果に見えた。


自席に戻る途中、倉田がフロアの端で誰かと話しているのが見えた。田辺だ。倉田の笑顔。田辺の苦笑い。いつもの構図。


倉田がこちらに気づいて、笑った。


「相良〜。最近さ、篠崎と仲良いけど、面倒見過ぎんなよ? 依存させたらあいつ潰れるぞ?」


依存。潰れる。責任転嫁の種を撒いている。


俺は言った。


「依存させません。出口を作らせます」


倉田の笑顔が止まった。


「……出口?」


「会社の外も含めてです」


倉田の目が細くなった。


「お前、ほんと余計なことしかしねぇな」


余計なこと。倉田の世界では、出口は余計だ。人を逃がすのは悪だ。逃がしたら支配が減る。


俺は頷いた。


「余計でいいです」


倉田は舌打ちをして、田辺の方へ戻った。田辺は気まずそうに俺に会釈した。


夜、帰宅して鏡を見た。


白い。


今日も白い。だが今日は、白さに“疲れ”が混じっている気がした。疲れという感覚は薄いのに、肌の色にそれが出る。不思議だ。


机に座って、胸に手を当てる。


鼓動はない。


それでも、どこかで小さく“終わり”が近づく音がした。


俺はその音を聞きながら、HRフォルダに新しいファイルを作った。


「ExitPlan_Shinozaki」


名前をつける。それだけで、出口は現実になる。


そして俺は思った。


この出口が完成したら、次にやることは一つだ。


倉田の“評価”で俺が消されても、篠崎が逃げられる状態を作る。


それができたら――


俺はもう、ここにいる必要がない。

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