第12話:三者面談
17時半。人事の会議室は、倉田の“叱る部屋”とは違った。
ガラス張りで、外から人影が見える。机は丸い。角がない。角がないというのは、物理だけじゃなく心理にも効く。怒鳴りにくい。威圧しにくい。ここでは“空気の暴力”が少しだけ弱まる。
会議室に入ると、佐伯がすでに座っていた。手元にはメモと、印刷した何か。倉田も来ていた。椅子に深く座り、腕を組み、足を組んでいる。わざとらしい余裕のポーズ。余裕を演出するほど余裕がない。
佐伯が穏やかに言った。
「相良さん、倉田課長、お忙しい中ありがとうございます。今日は産業医面談の所見を踏まえ、体制と就業配慮について整理します。目的は、業務継続と、関係者の健康確保です」
健康確保。倉田の嫌いな言葉だ。
倉田は笑った。
「健康確保ねぇ。まぁ、大事っすよね。相良が最近ちょっと変でさ。俺、心配してたんだよ」
心配。今日もその免罪符。
佐伯は倉田に軽く目を向けた。
「では相良さんから、現在の業務状況と、困っている点を事実ベースでお願いします」
俺は頷いた。資料は用意してある。だが資料を最初に出すと、“資料で殴っている”ように見えることがある。人事は紙が好きだが、紙だけだと「コミュニケーションができない人」と評価されることもある。
俺はまず言葉で始めた。
「困っている点は二つです。ひとつは、決定事項が口頭だけで運用され、齟齬が出やすいこと。もうひとつは、夜間連絡と人格否定を含むコミュニケーションが発生し、後輩の篠崎が体調を崩しかけていることです」
倉田が鼻で笑った。
「人格否定? 大袈裟だな。指導だよ、指導。現場ってそういうもん」
佐伯は淡々と返した。
「倉田課長、“そういうもん”という前提は置きます。ここでは会社として許容できる範囲かどうかを確認します」
倉田の笑顔が一瞬固まる。人事が“前提を置く”と言った。つまり、倉田の「現場論」はこの場では通用しない。
俺は続けた。
「運用の齟齬については、議事録の共有で改善しています。顧客からも明確化の要望が出ています。後輩の件は、チャットログが残っています」
佐伯が頷く。
「ログの提示は可能ですか?」
「可能です」
俺は資料を机に置いた。時系列の目次と、抜粋。必要最低限。感情的な言葉は入れていない。ページをめくるほど、倉田が不利になる設計だ。
倉田はその紙を見るなり、露骨に顔をしかめた。
「またそれ? ほんと気持ち悪いな。お前さ、そんなに俺を悪者にしたいの?」
佐伯が静かに言った。
「倉田課長、悪者かどうかではなく、リスクかどうかです」
リスク。労務の言葉。倉田の肩が僅かにこわばる。
佐伯は俺に向き直る。
「相良さん、産業医の所見としては、直ちに休職は不要。ただし内科受診推奨、そして職場調整は必須、ということでした。相良さん自身の体調管理も必要です。ここは同意できますか」
「同意します。内科受診は行きます」
倉田がすかさず割り込む。
「ほらな。本人も白いって自覚してんだよ。だからさ、相良はA社から外した方がいい。顧客にも迷惑かけたら困るだろ?」
来た。排除の合法化。
佐伯は倉田を見て、言葉を選んだ。
「相良さんをA社から外すこと自体は、選択肢の一つです。ただ、それで“篠崎さんが倉田課長の直下に戻る”場合、篠崎さんの負担が増える可能性があります。そこをどう設計しますか」
倉田は少しだけ笑った。
「だから俺が面倒見んだよ。鍛える。甘やかすと伸びない」
佐伯は首を振った。
「“鍛える”という表現はここでは置きます。夜間連絡は控える。チャットでの人格否定はしない。指導は就業時間内、かつ必要な業務指示に限定。ここは明確にします」
倉田の表情が歪む。
「いやいや、そんなきれいごとで現場回らないって。客は夜も来るし――」
佐伯は遮らず、淡々と返す。
「夜に顧客連絡が必要なら、当番制にする、責任者を決める、緊急連絡網を整備する。個人のスマホに既読を強要する運用は会社として推奨できません」
推奨できません。ほぼ禁止に近い。
倉田は舌打ちしそうになって、我慢した。ここで舌打ちすると、ログになる。
佐伯が続ける。
「次に体制です。A社は“安定稼働”が最優先です。顧客から議事録共有の要望も出ています。誰がやっても、記録と手順は必要です」
倉田は小さく言った。
「俺でもできるよ」
「では倉田課長、議事録の共有と、担当者名の明確化に同意できますか」
倉田の喉が動いた。
ここで「できない」と言えば、顧客に対して不利になる。だが「できる」と言えば、横取りがしづらくなる。
倉田は笑って誤魔化した。
「まぁ……必要なら」
佐伯は逃がさない。
「“必要なら”ではなく、必要です。顧客要望があります。実施します。相良さん、議事録テンプレと運用手順を引き継ぎ資料に入れてください」
「承知しました」
倉田の目が一瞬だけ鋭くなる。俺が引き継ぐ=倉田の“好き放題”が減る。
佐伯は最後の論点に移った。
「篠崎さんについて。相良さん、篠崎さんの現状をどう見ていますか」
俺は答えた。
「今は、ギリギリです。逃げ道を持てば回復する可能性がありますが、同じ負荷が戻れば折れます」
倉田が笑う。
「ギリギリとか言うなよ。若いんだから、そんなもんだろ」
佐伯は、倉田を見ずに言った。
「“そんなもん”という感覚が問題です。会社としては、折れる前に止めます」
言い切った。倉田の目が僅かに揺れた。
佐伯は続けた。
「結論を出します。
夜間連絡・既読強要の禁止。緊急対応は当番制とする。
議事録と決定事項の文書化は継続。顧客共有も実施。
篠崎さんは産業医面談を案内。必要なら就業配慮。
体制は暫定で“相良さんが運用整備担当”、倉田課長が主担当。ただし、倉田課長の篠崎さんへの直接指示は、当面、相良さん経由を基本とする」
倉田が椅子を鳴らした。
「は? なんで俺が相良経由なんだよ。俺が課長だぞ?」
佐伯は落ち着いて返す。
「労務リスクを下げるためです。相良さんの体調配慮もあります。相良さんに負担が集中しないよう、業務量調整も同時にします」
倉田は言い返そうとして、止まった。課長でも、人事の“リスク”には勝てない。
倉田は、最後に嫌味を吐いた。
「相良、お前、良かったな。守ってもらえて」
守ってもらえて。まるで俺が弱者のように言う。弱者にしたい。弱者にすれば排除できる。
俺は淡々と返した。
「守ってもらうのは、篠崎です」
倉田の顔が歪んだ。
佐伯が面談を締める。
「では、今日の決定事項は議事録に残し、関係者に共有します。倉田課長、運用の変更に協力をお願いします」
倉田は口角だけを上げた。
「はいはい。やりますよ。会社のためにね」
会社のため。最後までその言葉を使う。
面談が終わり、会議室を出た瞬間、倉田が俺の横に並んだ。廊下で、誰にも聞こえない距離まで寄る。
「お前さ」
「はい」
「人事を盾にすんなよ」
盾。俺は盾になっている。だが盾は俺じゃない。制度だ。制度を動かしたのは事実だ。
「盾じゃないです。手順です」
倉田は小さく笑った。
「……手順ねぇ。じゃあ手順通り、評価もやってやるよ」
評価。
それが、倉田の最後の刃だ。評価を落とせば、俺は消える。配置換え、休職、退職。どれも正当化できる。
倉田は続けた。
「お前、最近“協調性”ないからな。チーム乱した。上司を飛ばした。顧客の前で被せた。全部、評価に書ける」
俺は何も言わなかった。評価は怖いはずだった。生前の俺なら、評価で死ねた。
今は死んでいる。
怖さがない。だが、評価で排除されると、篠崎が危ない。それだけが問題だ。
倉田が去っていく背中を見ながら、俺は自席へ戻った。
すぐに篠崎にチャットを送る。
【相良】三者面談終わった。夜間連絡は禁止、当番制、指示は当面相良経由。
【相良】篠崎は産業医面談案内が来る。怖がらなくていい。事実だけ。
既読。少しして返信が来た。
【篠崎】……ありがとうございます
【篠崎】先輩、俺、助かるんですか
助かる。助かる、という言葉が、俺の中で冷たく響いた。
助かるかどうかは、まだ決まっていない。倉田は評価で殴ると言った。評価で殴られて俺が排除されれば、経由ルールは形骸化する。制度は動くが、現場は抜け道を探す。
だから次が必要だ。
“経由”ではなく、“構造そのものの変更”。倉田が抜け道を使えない形にする。もしくは篠崎を、会社から出す。
どちらが現実的か。
俺はキーボードに指を置き、静かに決めた。
篠崎を救うには、会社の外に出口を作るのが一番早い。
転職。異動。休職。何でもいい。倉田の手が届かない場所へ。
俺は篠崎に返した。
【相良】助かる。
【相良】でも、会社の外にも出口を作る。準備を始めよう。
送信して、俺は自分の手を見た。
白い。
そして、今日も心臓の音がしない。
だが俺は、まだ動ける。
動けるうちに、終わらせる。




