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I kill  作者: じゃがいも畑
10/20

第10話:排除

翌朝、出社すると空気がひとつ増えていた。


いつもの「忙しい」とか「納期が」とか、そういう空気じゃない。もっと静かで、もっと粘つくやつ。誰かの名前が、どこかで決まっている空気だ。決まっているのに、誰も言わない。言うと自分が巻き込まれるから。


俺の席の近くで、安藤が立ち止まった。声をかけようとして、やめて、結局かけた。


「相良さん……ちょっと、いいですか」


「どうしました」


安藤は周囲を見て、さらに声を落とした。


「倉田さん、今朝……“体制変える”って言ってました。相良さんを別案件に回すって」


別案件。排除。予告が、現実になった。


俺は頷いた。


「想定通りです」


安藤は眉を寄せた。


「……なんで、そんな平気なんですか」


平気、というより、感情が薄い。薄いから判断が先に来る。だが説明しても伝わらない。


俺は答えなかった。


「安藤さん、今日の朝会、議事録は取ります」


安藤は一瞬、笑いそうになって、やめた。笑うと怖いからだ。


「……お願いします」


安藤はそう言って、自分の席へ戻った。


朝会が始まる直前、倉田がフロアの中央に立った。いつもなら大声で始めるのに、今日は妙に落ち着いた声だった。落ち着いているのは、勝ち筋が見えているときだ。


「よし。体制の話する」


いきなり本題。


倉田は俺を見ない。見ないことで、俺を“いないもの”にしようとしている。


「A社は今、火種が増えてる。こういうときは“安定してる人”を前に出すのが大事だ。だから体制を見直す」


安定してる人。言葉の中に棘がある。安定してない人がいる、と言いたいのだ。


倉田は続けた。


「相良は、別案件に移す。今、社内で困ってる案件があるから、そこに入れ。A社は俺が見る」


周囲が息を止めた気配がした。誰もが「言った」と思った。倉田が公の場で言った。つまり決定だ。決定のふりをした既成事実だ。


俺は議事録に打った。


体制見直し:相良を別案件へ移管(提案:倉田)


A社主担当:倉田


目的:安定稼働(倉田発言)


倉田はさらに言った。


「で、篠崎。お前は俺の下に戻す。相良のところに置いとくと、変なやり方覚えるからな」


笑いが起きるのを待つ。だが誰も笑わない。前ほど、笑えなくなっている。議事録があるからだ。笑ったら“共犯のログ”になる気がする。


篠崎は輪の外側で立っていた。顔色が悪い。だが前より目は合う。彼は今、逃げ道を持っている。その分だけ、耐えられている。


倉田が篠崎に視線を刺す。


「返事は?」


篠崎は小さく息を吸って、言った。


「……承知しました」


その言葉は、降伏に聞こえた。だが俺は、篠崎の指先が震えていないのを見た。以前なら震えていた。今は震えていない。彼は壊れかけのままでも、何かを持っている。


逃げ道。事実。記録。順番。


朝会が終わると、倉田はすぐに俺を呼んだ。


「相良、ちょっと」


例の小会議室。叱る部屋。


中に入ると、倉田はドアを閉めずに少し開けたままにした。外に人が通れば聞こえる。つまり「お前に変なこと言われたら困る」という防衛だ。倉田は怖がっている。


倉田は椅子に座らず、腕を組んで言った。


「お前、最近やりすぎだ。顧客に議事録だの担当者だの、余計な線引きしてさ」


余計な線引き。つまり、横取りができなくなった。


俺は言った。


「顧客が求めています。混乱が減ります」


「混乱が減る? 混乱が増えてんだよ。お前のせいでな」


倉田は平然と因果を逆にする。構造を守るためなら、何でも言う。


「だから、お前は外す。これは“命令”だ」


命令。最後に残るカードだ。権力で押す。


俺は頷いた。


「分かりました。引き継ぎは、記録で行います」


倉田が顔をしかめた。


「記録記録ってうるせぇな。普通に口頭でやれ。余計なもん残すな」


残すな。つまり残ると困ることがある。


俺は言った。


「口頭は齟齬が出ます。後で責任問題になります。引き継ぎは議事録とタスク表でやります」


倉田が一瞬、言葉を失った。怒鳴りそうになって、やめる。怒鳴ると記録されるからだ。


「……お前、ほんと、扱いづらい」


「そうですか」


「そうだよ。で、今日中に引き継ぎ資料作れ。篠崎のタスクも全部俺に戻せ」


「篠崎のタスクは、篠崎本人の状況を見て調整が必要です」


倉田の目が険しくなる。


「お前、まだ篠崎守んの?」


「守るというより、壊さないための調整です」


倉田は笑った。


「壊さない? 壊れるやつは勝手に壊れるんだよ。社会舐めんな」


社会。舐める。いつもの言葉。


俺は言った。


「社会が人を壊すなら、その社会の方が間違ってます」


倉田の顔が止まった。


一瞬だけ、倉田の目の奥に“別の感情”が見えた。怒りだけじゃない。焦りでもない。――怯えだ。


倉田は、俺が普通のやり取りをしていないことを理解している。俺は恐れていない。だから言葉が効かない。だから、次は別の手段に出る。


倉田は小さく言った。


「お前さ。産業医面談、受けたんだろ」


「受けます」


「その結果次第で、お前、休職とかもあるからな」


休職。つまり“排除の合法化”。


俺は頷いた。


「それでも構いません」


倉田が舌打ちした。


「……いいよ。勝手にしろ。でもA社には関わるな。顧客にも余計なこと言うな」


倉田は、俺を顧客から切り離したい。顧客の前では事実が通る。倉田の空気が効きにくい。だから切り離す。


俺は立ち上がった。


「引き継ぎ資料、作ります」


会議室を出ると、廊下で田辺が待っていた。顔が妙に引きつっている。


「相良さん……倉田さん、今朝の体制変更、本気です」


「知ってます」


田辺は声を落とした。


「……顧客が、相良さんの議事録を気に入ってるんですよ。だから倉田さん、焦ってる。で、焦ってると、変なことする」


変なこと。例えば、俺を“病人”にする。俺を“勝手な人”にする。俺を“顧客対応を乱す人”にする。


田辺は続けた。


「あと、さっき倉田さんが言ってました。『相良が勝手に仕切ってる』って顧客に軽く触れるって」


やはり。


俺は田辺を見た。


「田辺さん。顧客の前で内部の揉め事を出すのは、顧客の不安になります」


「ですよね……。だから止めたいんですけど……」


営業の限界。止められない。倉田は役職が上で、田辺は逆らえない。


俺は言った。


「じゃあ、こちらから先に“事実”を出します」


田辺が目を見開いた。


「え……今から?」


「今日、顧客に送るのは引き継ぎ方針です。『記録と手順で安定化する』『担当者名を明確にする』。それだけで、倉田さんが“勝手に”と言いにくくなります」


田辺は迷った顔をした。だが、顧客の安心が最優先の人間は、最後そこに寄る。


「……分かりました。宛先に僕も入れてください」


「入れます」


田辺は小さく息を吐いた。


「相良さん、ほんと怖いっすね……」


怖い。今日何度目だ。俺は怖いらしい。反応しないことは、他人からすると怖い。


俺は言った。


「怖くていいです。燃えるよりマシです」


午後、俺は引き継ぎ資料を作った。


タスク一覧。進捗。未決事項。判断待ち。顧客要望。リスク。決定事項。保留事項。対応履歴。担当者。


“誰が作ったか”が分かるように、履歴のリンクも貼った。篠崎の成果物にも、篠崎の名前が残るようにした。隠す理由がない。隠すと、また横取りが成立する。


途中、篠崎が席に来た。声は小さいが、以前より揺れていない。


「先輩……俺、戻されるんですよね」


「戻される」


篠崎は唇を噛んだ。


「……俺、怖いです。でも……」


「でも?」


篠崎は小さく言った。


「逃げ道、持ってます。先輩がくれたやつ」


俺は頷いた。


「それでいい」


篠崎はしばらく黙ってから、言った。


「先輩は……大丈夫ですか」


大丈夫か。俺に向けられるその言葉は、少しだけ意味が違う。篠崎は本気で心配している。


俺は答えに迷った。


大丈夫、という感覚がない。苦しくない。怖くない。眠くない。腹も減らない。疲れてもいない。だが――最近、鏡の中の白さが増えている気がする。息が白くならない。心臓の音がしない。


それでも動いている。動いていること自体が、不気味だった。


俺は言った。


「大丈夫。たぶん」


篠崎の眉が少しだけ寄った。「たぶん」が不安に聞こえたのだろう。


篠崎は小さく言った。


「先輩、無理しないでください」


無理。無理という概念が薄い。


俺は頷いた。


「篠崎も」


篠崎が席に戻るとき、背中が少しだけまっすぐだった。それだけで、俺は“変化”を確認できた。


夕方、顧客に引き継ぎ方針のメールを送った。田辺もCCに入れた。倉田も入れた。


件名:A社 体制運用の安定化に向けた方針共有

本文:記録と手順の整備/担当者の明確化/次回アクションの確認


送信して数分後、倉田からチャットが来た。


【倉田】お前、どこまでやんの?

【倉田】もう俺が主担当だぞ

【倉田】余計なことして顧客混乱させんな


俺は短く返した。


【相良】顧客の安心のためです。

【相良】引き継ぎ完了後は、こちらから出しません。


既読。返信はない。


代わりに、別の通知が来た。


【人事・佐伯】相良さん

【人事・佐伯】産業医面談、明日14:00で確定しました。

【人事・佐伯】必要であれば、就業配慮の相談も可能です。


就業配慮。つまり、休職や異動の手続きに繋がる。


俺は「承知しました」とだけ返した。


夜、帰宅して鏡を見た。


白い。


昨日より、確実に白い。顔色というより、色が抜けている。目の奥が暗い。まばたきが少ない。生きている目じゃない気がした。


息を吐く。白くならない。


胸に手を当てる。やはり、鼓動は分からない。


それでも俺は立っている。


立っていて、動けて、考えられて、言葉が出る。


ただ、ふとした瞬間に、身体の輪郭が薄くなる感じがした。重さが減る。存在が軽くなる。消えやすくなる。


俺は、静かに理解した。


倉田は、俺を排除する。


排除されたら、篠崎はまた殴られる。


だから、排除される前に終わらせないといけない。


仕組みを。


そして、篠崎を。


俺は机に向かい、HRフォルダを開いた。


明日の産業医面談に向けて、時系列の整理を追加する。


“相良の体調”というストーリーを、事実で殺すために。

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