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ボッチの僕、イケメンの俺  作者: リディア


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第6話 緊張

「白石くん……」


 その呼び方だけで、背中に冷たいものが走った。


 距離が、近すぎる。

 気づいた瞬間には、もう逃げ場がなかった。

 それが、放課後の準備室だった。


 数学委員の仕事は簡単だ。月末の提出物をまとめて職員室へ持っていくだけ。誰とも関わらず、静かに終わらせられる——そのはずだった。


 準備室の扉を開けた瞬間、視界に入ったのは文化祭実行委員のファイルを抱えた橘さんだった。窓から差し込む夕日が、彼女の髪を橙色に染めている。


「数学委員の……白石くん、だよね」


 心臓が跳ねる。


「はい」


 できるだけ平静を保ちながら答え、眼鏡の位置を直す。前髪が目にかかっているか、無意識に確認していた。


「ちょうどよかった。これ、少し見てもらえる?」


 橘さんがファイルを開き、書類を指差す。


「予算の計算が合わなくて……数学委員なら、得意かなって」


 断れる空気じゃなかった。


「……見せてください」


 隣に立つ。書類を覗き込む。

 距離が、近い。


 ふわりと甘い香りが鼻をかすめた。駅前で感じたものと、よく似ている気がして、息が一瞬止まる。


「ここなんだけど」


 橘さんの指先が、俺の手のすぐそばをなぞる。


「合計、合ってる?」


 視線を数字に落とし、頭の中で計算する。


「……ここ、桁がずれてます」


「え?」


「この項目、千円単位なのに百円単位で入ってます」


「あ……本当だ」


 橘さんが小さく息を吐く。その声が、やけに近い。


「助かった。ありがとう」


 顔を上げた橘さんと、目が合う。

 胸の奥が、嫌な音を立てた。


「いえ、これくらい」


 距離を取るように棚へ向かい、提出物をまとめ始める。早く終わらせて、ここを出なければ——


「ねえ、白石くん」


 背中に、声が刺さる。


「前から思ってたんだけど」


 手が止まった。


「声、低いよね」


 世界が、一瞬で静止した。


「……そうですか」


 声の揺れを抑えきれたか、自信がなかった。


「うん。落ち着く声」


 一歩、近づく気配。


「どこかで……聞いたことある気がして」


 逃げ道が、見えなかった。


「気のせいだと思います」


 書類を抱えて振り返る。


「これ、職員室に持っていくので」


「あ、うん……」


 橘さんの声が、わずかに遅れた。


 俺は準備室を出た。廊下に出た瞬間、肺いっぱいに空気を吸い込む。

 心臓の鼓動が、耳の奥で暴れていた。


 ――――


<橘美咲視点>


 白石くんが出ていって、準備室には私ひとりが残った。


 窓の外から部活の声が聞こえるのに、この部屋だけが不自然に静かだった。


 声、低いよね。

 そう言った瞬間の、彼の表情。ほんの一瞬だったけれど、確かに固まった。


 気のせい?

 そう思おうとしても、引っかかりが消えない。


 スマホを取り出す。画面には、駅前で出会った白石くんとのやり取り。


『今日も会える?』


 まだ、既読はついていない。


 学校の白石くんと、駅前の白石くん。

 別人。そう思いたい。


 でも、声。

 背の高さ。

 歩き方。


「……似てる、気がする」


 小さく落ちた言葉が、準備室に溶けた。


 違う。偶然。

 そう言い聞かせながらファイルを抱え、廊下に出る。


 眼鏡。前髪。控えめな態度。

 全部、違うはずなのに——胸の奥の違和感は、むしろ輪郭を持ちはじめていた。


 ――――


<白石悠真視点>


 職員室に提出物を出し、校門を抜ける。夕日が、やけに眩しい。


 嫌な手応えが、残っていた。


 橘さんは、気づき始めている。

 声が似ていると言われた瞬間、それを確信してしまった。


 次に近づいたら——

 もう、偶然では済まされない。


 ポケットの中で、スマホが震える。


『ごめんね。最近、返信遅くて。

 また会えたら嬉しいな』


 美咲からのメッセージだった。


 会いたい。

 それは、嘘じゃない。


 けれど、会えば会うほど、線は重なる。

 学校の橘さんと、駅前の橘さんが。


 俺は返信画面を開いて——閉じた。


 もう、先延ばしはできない。

 次に会えば、きっと聞かれる。


 どこの学校なのか。

 どんな場所で、会ったのか。


 その時——

 俺は、まだ逃げられるだろうか。


 沈みきった夕日の残光が、足元を照らしていた。


 本日も読んでいただきありがとうございます。

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