第28話 転んだ先で
「次、クラス対抗リレーだぞ」
クラスメイトの声に、僕は腰を上げた。
テントの外は、目を細めたくなるほど眩しい。
グラウンドには走者が並び、土の匂いと日差しが混ざっている。
「白石、お前四走目だからな」
「分かってる」
短く答えて、スタート位置へ向かう。
応援席の方を見ると、クラスのみんなが集まっていた。
その中に——
橘さんがいた。
桜井さんと中村さんの間。
こちらに気づいたのか、視線が合う。
橘さんは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
——頑張れ。
声は聞こえないのに、そう言われた気がした。
「白石、マジで頼むぞ」
「……ああ」
返事をして、軽く太ももを叩く。
心臓が、速い。
緊張、なのか。
それとも——。
「位置について」
笛の音。
一走目がスタートした。
バトンが、三走目に渡る。
クラスは今、二位。
一位との差は、ほんの数メートル。
——抜ける。
いや、抜かなきゃいけない。
僕は構える。
三走目の男子が、必死な顔で走ってくる。
「白石ー!」
バトンが伸びる。
掴む。
同時に、足が動いた。
一位は前。
差は、五メートル。
風を切る音。
地面を蹴る感触。
呼吸が、荒くなる。
——速く。
もっと。
コーナーに入る。
ここで、抜く。
内側に踏み込んだ、その瞬間——
足が、滑った。
「……っ」
身体が傾く。
地面が、急に近づく。
間に合わない。
ガリッ。
肘が擦れ、膝に強い衝撃。
痛みより先に——悔しさが込み上げた。
「白石ー!!」
誰かの叫び。
先生が駆け寄る足音。
僕は起き上がろうとする。
でも——
バトンは、もう手にない。
「大丈夫か!?」
「……はい」
答えたつもりだったけど、足に力が入らない。
膝が、痛い。
立てない。
「無理すんな、動くな」
肩を支えられる。
競技は続いている。
他のクラスの走者が、次々と前を通り過ぎていく。
——僕のせいだ。
「……すみません」
「謝るな。怪我は?」
「多分……捻っただけです」
「よし、保健室行くぞ」
肩を借りて、ゆっくり立ち上がる。
グラウンドを横切る途中、
クラスメイトたちの視線を感じた。
心配と、戸惑い。
そして——
橘さんが、立っていた。
一歩、前に出ている。
顔色が、はっきりと違う。
「……白石く——」
途中で、言葉が止まる。
橘さんの手が、わずかに震えていた。
——あ。
心配、してくれてるんだ。
そのことが、胸に刺さった。
保健室は、ひんやりしていた。
白いカーテン。
消毒液の匂い。
ベッドに座らされ、先生が膝を確認する。
「捻挫だな。打撲もあるけど、軽い」
「……良かった」
「アイシングして安静。午後は様子見だな」
「はい」
冷たい保冷剤が、膝に当てられる。
痛みが、少し和らぐ。
「何かあったら呼べよ」
「ありがとうございます」
先生が出ていき、静かになる。
外から、歓声が聞こえる。
体育大会は、まだ続いている。
僕は、一人で——
ガラッ。
ドアが開いた。
「……白石くん」
橘さんが、立っていた。
少し息が上がっている。
走ってきたんだろう。
「橘さん……競技は?」
「……次、まだだから」
「そっか」
橘さんは、ゆっくり近づいてきて、
僕の隣に腰を下ろした。
距離が、近い。
「……痛い?」
「大丈夫。捻挫だけだって」
「そう……」
橘さんは、僕の膝を見つめている。
唇を、少し噛んで。
「……ごめん。負けちゃった」
「そんなこと、どうでもいい」
言葉が、勝手に出た。
橘さんが、驚いたように顔を上げる。
「白石くんが怪我したのが——」
一瞬、言葉が詰まる。
「……一番、心配だった」
小さな声。
でも、はっきり聞こえた。
胸が、強く鳴る。
「橘さん……」
「戻った方がいいのは分かってる。でも」
橘さんは、俯いた。
「今は……戻らない」
「……え?」
「戻りたく、ない」
シーツを掴む指が、力を込めていた。
——ああ。
これは。
僕の中で、何かが静かに形を持つ。
「……ありがとう」
それしか、言えなかった。
橘さんは、泣きそうな顔で、少しだけ笑った。
外から、また歓声。
でも、この部屋だけは静かだった。
カーテンが、風で揺れている。
僕は思う。
もう、ただのクラスメイトじゃない。
守られている。
橘さんに。
そして、僕も——。
「……橘さん」
「なに?」
その表情が、あまりに脆くて。
でも、真っ直ぐに僕を想ってくれているのが、はっきり伝わってきて。
僕は無意識に、空いている方の手を持ち上げていた。
彼女の肩に。
それとも、頬に——。
——でも。
指先が触れる直前で、ハッとして止まる。
膝の痛みなんて、完全に忘れていた。
それくらい、自分の行動に動揺していた。
伸ばしかけた手を誤魔化すように、
僕はベッドのシーツを、ぎゅっと掴む。
橘さんは、僕の迷いに気づいたのか。
それとも、気づかないふりをしてくれたのか。
ただ、少しだけ頬を赤くして、
何も言わずに、僕を見つめ返していた。
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