第2話 連絡先を交換しただけなのに
「付き合う、のは——まだ、無理だ」
俺は、そう答えるしかなかった。
美咲の瞳が、ほんの少しだけ揺れる。
駅前の雑踏が、急に遠くなった気がした。
夕日が建物の向こうへ沈みかけ、街灯が一つ、また一つと灯り始める。そんな中で、俺たちだけが時間から切り離されたみたいに、立ち尽くしていた。
「……そう、ですよね」
美咲は俯いた。
その声には落胆よりも、どこか納得したような響きがあった。
「ごめん。でも、理由も分からないまま付き合うのは、君に失礼だと思う」
嘘はつけなかった。
だって、美咲の目はあまりにも真剣で——適当に受け流すなんて、できるはずがなかった。
「失礼、か……」
美咲が顔を上げる。
その表情は、さっきより少しだけ柔らいでいた。
「変わってるね、白石くん」
「そう……かな」
「普通、こういう場面なら、勢いでOKするか、曖昧に断るかのどっちかだと思う」
そう言って、美咲はくすりと笑う。
その笑顔には、ほんの少しだけ安堵が混じっていた。
「でも、白石くんは違った。ちゃんと、私を見て答えてくれた」
「それは……当然だろ」
「当然じゃないよ」
美咲は静かに首を振った。
「みんな、私の顔しか見てないから」
その一言に、胸の奥がわずかに疼いた。
何か大事な理由が、その奥に隠れている気がしたけれど——今は、踏み込めなかった。
「あのさ」
少しだけ間を置いて、俺は言った。
「友達から、じゃ駄目かな」
「……友達?」
美咲はすぐに答えなかった。
ほんの一秒。
それだけなのに、やけに長く感じられる。
「うん。いきなり付き合うんじゃなくて、まずはちゃんと知りたい。俺は、そうしたい」
美咲は驚いたように目を見開き——そして、ふっと力を抜いた。
「……うん。それでいい」
「本当に?」
「本当。というか、それが一番嬉しいかも」
その笑顔は、さっきよりずっと自然だった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「じゃあ、連絡先……交換してもいい?」
「うん」
二人並んでスマホを取り出し、QRコードを表示する。
ピロン、という軽い音が、不思議なくらい大きく聞こえた。
「白石くん、明日って空いてる?」
「明日?」
「うん。話したいことがあるから。今日の続き……理由とか」
スマホを見つめたまま、美咲は少しだけ頬を染めていた。
その仕草が妙に可愛くて、俺は思わず視線を逸らす。
「午後からバイトだから……午前中なら」
「じゃあ、十時に、ここで」
「分かった」
スマホをしまった美咲が、改めて俺を見上げる。
「ありがとう、白石くん。今日、助けてくれて。それから……友達になってくれて」
「いや、俺こそ……」
何を言えばいいのか分からず、言葉に詰まる。
美咲はそんな俺を見て、また小さく笑った。
「じゃあ、明日ね」
「うん。気をつけて」
手を振って、彼女は駅の方へ歩いていく。
その背中を見送りながら、俺はしばらく動けずにいた。
……何やってんだ、俺。
スマホを開く。
連絡先に追加された「橘美咲」の名前が、妙に眩しく見えた。
友達から始める——そう決めた。
けれど、本当にそれで良かったのか。
もしかしたら、橘さんを傷つけてしまったんじゃないか。そんな考えが、頭の中をぐるぐると回る。
それでも。
明日が、楽しみだ。
その気持ちだけは、否定できなかった。
ポケットの中でスマホが震える。
画面を開くと、橘さんからのメッセージが届いていた。
『今日は本当にありがとう。
明日、ちゃんと話すね』
その下に、見慣れない一文が続いている。
『私、前に——
誰かを好きになる資格がないって言われたことがあるの』
指が、止まった。
……は?
続きの文字は、まだ表示されていない。
入力中を示す点滅だけが、画面の端で小さく揺れている。
胸の奥が、嫌な音を立てた。
連絡先を交換しただけなのに。
ただ、友達になっただけのはずなのに。
——明日、聞くことになる理由は、
俺が想像していたより、ずっと重いものなのかもしれない。
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