第14話 触れない距離、触れてしまった温度
【桜井真琴視点】
振り返った瞬間、心臓の鼓動が耳元まで響くのがわかった。
夕焼けに染まる駅前。
慌ただしく行き交う人の波の中で、スポットライトが当たっているかのように美咲と、その隣に立つ男の人が浮き上がって見えた。
眼鏡はなく、前髪も潔く上げられている。
——私の知らない、けれど圧倒的な存在感を放つ男。
……え、ちょっと待って。何あれ、モデル? 芸能人?
「……美咲?」
震える声で呼びかけると、美咲が「ひゃっ!」と漫画みたいな声を上げて肩を跳ねさせた。
「え、ま、真琴……っ!? 菜月も……!?」
その過剰すぎる反応だけで、私の「恋のレーダー」が最大出力で反応する。
これはただ事じゃない。
美咲は、その辺のアイドルよりずっと綺麗だ。
だからこそ、今まで数え切れないほどの男子から告白されてきたし、そのたびに彼女は丁寧だけど氷のように冷たい「一線」を引いてきた。
親友の私たちですら、その一線に踏み込むのは慎重になるくらいなのに。
なのに、今はどうだろう。
その「鉄壁の一線」なんてどこへやら。
二人の肩は触れそうなほど近く、美咲はあろうことか、彼の服の袖をぎゅっと握りしめている。
「なに、その人。……超、超イケメンなんだけど。誰? どこの王子様?」
私が一歩詰め寄ると、美咲はあわあわと両手を振り回した。
「えっと……その、友達……というか、知り合い……かな?」
「友達? あの男子拒絶症の美咲が、こんな至近距離で歩く『友達』ねぇ?」
美咲の視線が、かつてないほど激しく泳ぐ。
その横で、菜月が静かに一歩前に出た。
彼女の目は、すでに相手を隅々までスキャンしている。
「こんばんは。美咲の親友の、中村菜月です」
柔らかく、でも相手の本質を見極めるような、少し冷ややかな声。
「あ……白石、です。……初めまして」
男の人は少しだけ困ったように眉を下げて頭を下げた。
その仕草が、驚くほど丁寧で、それでいて堂々としている。
……なにこの人。落ち着きすぎ。この年齢でこの余裕、怖いくらいなんだけど
美咲が言い淀んだ瞬間、菜月が私の腕を掴んで、ぐいっと引き寄せた。
「真琴、ちょっと。……美咲、パニックで脳みそ溶けそうだよ」
「え、だってもっと聞きたいじゃん!」
「いいから」
強引に数歩離される。菜月はさりげなく彼の方を向き、完璧な社交辞令を放った。
「すみません。少しだけ、彼女と内緒話してもいいですか? すぐに返しますので」
「はい、もちろんです。ゆっくりどうぞ」
男の人は優しく微笑んで頷いた。その包容力、その声のトーン……。
……なんなの、あの完璧な受け答え。美咲が骨抜きになるのも納得だわ……
「……ねえ、美咲。白状しなさい」
私は菜月の肩越しに、親友の顔を覗き込む。
美咲は、彼の方を何度もチラチラと気にしながら、落ち着きなく指を絡めている。
「あの人、何者? どこで捕まえたの? 連絡先、私にも教えてよ。目の保養にしたい」
美咲の反応は、私の予想を遥かに超えていた。
「ダメ。絶対、ダメ」
即答。しかも、今まで見たことがないくらい真剣な顔だ。
「えー、ケチ。ちょっとくらい、いいじゃん」
「ダメなものはダメなのっ! 今は……とにかく、私だけの秘密なのっ! まだ教えられないんだから!」
必死に、宝物を隠す子供みたいに。
誰にも一歩も譲りたくないという強烈な独占欲。
その必死さに、私と菜月は思わず顔を見合わせて、ニヤニヤが止まらなくなった。
……あーあ。これは、本気だ。
あの美咲が、ここまで余裕をなくすなんて。
「真琴、もういいよ」
菜月が、呆れたように私の耳元で囁く。
「これ以上突っつくと、美咲、その場で泣き出しちゃうか、彼を抱えて逃げ出しそうだし」
「……だよね。あんなに必死に男を独り占めしようとする美咲、レアすぎて一生のネタになるわ」
ふと見ると、美咲は無意識に、彼との距離をさらに詰めていた。
それは、彼を私たちから守るようでいて、実は「私を見て」と甘えているのが漏れ出ているような、最高にニヤニヤする距離感だった。
「ごめんごめん、邪魔したね」
私は降参するように両手を上げる。
「今日はお熱いところ、大変失礼いたしましたー! あ、白石くん、美咲のこと泣かせたら承知しないからね! よろしく!」
「ち、違うからぁ……っ! もー、真琴のバカ!」
真っ赤になって地団駄を踏む美咲。
「ただ、その……」
何かを言いかけ、けれど言葉にならない。
いや、言葉にした瞬間に、自分がどれだけ彼を好きかを認めてしまうのが怖いんだろう。
「分かってるって」
私は最後にもう一度、最高のニヤニヤ顔で告げた。
「今日は『重大事件』として受理しました。明日の放課後、ファミレスでね。もち、美咲の奢りで。一言一句、包み隠さず吐いてもらうからね!」
「……うぅ、お手柔らかに……」
美咲が、観念したように小さな、けれどどこか幸せそうな息を吐いた。
【白石悠真視点】
少し離れた場所で、俺は心臓が口から飛び出しそうなのを必死に抑えていた。
桜井さんのあの獲物を狙う鷹のような鋭い視線……。
もし今、ポケットから予備の眼鏡を取り出してかけたら、一瞬で「学校のインキャ・白石」だと特定されていただろう。
……冗談抜きで、寿命が縮まった。
でも、それ以上に——。
橘さんが、俺の袖をギュッと掴んだまま、最後まで離さなかったこと。
「私だけの秘密」と言って、必死に俺を守ろうとしてくれたこと。
ほんの一瞬、彼女の指先から伝わってきた熱は、夕焼けの空よりもずっと赤く、俺の胸の中に居座り続けた。
彼女に守られた。
その事実に、情けないくらいの幸福感と、独占欲に似た熱い感情が込み上げてくる。
俺はもう、彼女のいない世界には戻れないと、改めて自覚してしまった。
【桜井真琴視点(帰り道)】
「ねえ、菜月」
駅の階段を降りながら、私は隣を歩く親友に話しかける。
夕焼けの中、振り返らなくてもわかる。
あそこには、まだ二人だけの特別な空気が流れている。
「うん、わかってるよ。言いたいことは全部」
菜月は夕日を眩しそうに見つめて、ふっと微笑んだ。
「美咲、あんなに素敵な人をどこで見つけてきたんだろうね。……あんなに幸せそうに、それでいて余裕なさそうに笑う美咲、私たちも初めて見たでしょ?」
「……全くだわ。あんなに綺麗に、自分から『一線』を飛び越えちゃってさ。……ねえ、あの白石くんって、一体何者なわけ? 完璧すぎて逆に怪しいんだけど」
「ふふっ。それを根掘り葉掘り聞き出すのが、明日の楽しみじゃない」
二人の親友は、まだ知らない。
その「完璧すぎる彼」が、学校の片隅で誰からも見向きもされずに本を読んでいる「あの地味な白石くん」だということを。
【橘美咲視点】
小さく、息を吐く。
「ごめんね、白石くん。……迷惑、だったよね。二人とも、あんな感じで……」
「なんで謝るんだよ。俺は、大丈夫だから」
彼の声が、すぐ近くで響く。耳が熱くなる。
「……さっき、私。真琴たちに、白石くんのこと、取られたくないって思っちゃった」
「え……?」
「……袖、離せなかったの。……無意識だった。でも、離したくなかった。誰にも、見せたくなかったんだもん」
それ以上は、もう言えなかった。
言葉にしたら、心臓の音が街中に響いてしまいそうで。
白石くんも、何も言わなかった。
ただ——さっき触れた袖の感触が、まだ残っている。
手のひらに。胸の奥に。
駅前の喧騒の中で、二人、黙ったまま歩き出す。
触れない。でも、近すぎる。 この甘くて、痛くて、壊れそうな距離に、まだ名前をつけられないまま——。
本日も読んでいただきありがとうございます。
もし「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけたら、ブックマークや評価をしていただけると執筆の励みになります!
どうぞよろしくお願いします。




