第12話 つかまえた笑顔(橘美咲視点)
スマホの画面が光った瞬間、私は反射で隠した。
隠してから、遅れて気づく。
――私、いま、笑ってた。
廊下は朝の人波でざわざわしている。肩が触れ合う距離。上履きの音。誰かの笑い声。
そんな中で、私は一人だけ、別の世界に足を踏み入れていたみたいだった。
画面の通知。
『今日も一日、頑張って』
たった一行。絵文字もない。なのに、胸の奥がふっと軽くなる。
返信欄に指を置いて、迷う。
短く。いつも通りに。重くならないように。
『白石くんも』
送信。
既読がすぐついて、次の瞬間、スタンプが返ってきた。
小さな笑顔のマーク。
その笑顔が、ずるい。
私の口元が、勝手にゆるむ。
「……ふふ」
声に出したと同時に、背中に気配。
すぐ近く。近すぎる。
「今、笑ったよね」
耳元で囁かれて、私は本気で跳ねた。
スマホを胸に抱えたまま、振り向く。
「ま、真琴!?」
桜井真琴が、ニヤニヤしていた。明るい髪が揺れて、目が悪い。
完全に、獲物を見つけた目だ。
「おはよ。てかさ、なにその顔」
「どんな顔」
「隠し事してる顔」
真琴は私の横にぴたりと並んで歩き出す。距離が近い。逃げ道がない。
私はスマホをポケットにねじ込んだ。
「してない」
「してる」
「してないってば」
「じゃあ、私の目見て言って」
真琴が私の前に回り込む。顔が近い。
私は視線を泳がせる。
「……おはよう」
「ごまかした」
真琴が勝ち誇った顔をした、その時。
「美咲、朝から元気だね」
少し後ろから、柔らかい声。
中村菜月が、私たちに追いつく。いつも通り静かで、でも見てるところは見てる。
「元気……かな」
「うん。いつもより、顔がやわらかい」
菜月がさらっと刺す。
胸がどくんと鳴った。
「やっぱり!? ね、菜月も見た?」
「見た」
「ほらほら。確定。なに? だれ?」
真琴が腕を組んで、私の頬を指先でつん、とつつく。
熱い。そこじゃない。顔が熱い。
「や、やめてよ」
「やめない。今の美咲、珍しいんだもん」
「珍しくない」
「珍しい。だって、笑い方がさ、恋――」
「真琴!!」
菜月が名前だけ呼ぶ。声は小さいのに、圧がある。
真琴が口を閉じて、わざとらしく咳払いした。
「……ごめんごめん。じゃあさ、質問変える」
「変えなくていい」
「いいから。誰と連絡してたの?」
私は歩くスピードを上げた。人の波に紛れれば、逃げられると思った。
真琴は当然ついてくる。菜月も、少し後ろから。
教室の前で、私は一度だけ立ち止まる。
扉の向こうは、いつもの世界。いつもの私。
でも、さっきの画面は、いつもの私を崩してくる。
「……ほんとに、誰でもない」
「じゃあ見せて」
「無理」
「なんで」
「無理だから」
真琴が口を尖らせる。
菜月が私の手元をちらりと見る。見ないふりをして、見てる。
「見せたくないってことは、大事な人なんだね」
菜月の一言が、胸の奥に落ちた。
私は、返せない。
返したら、全部認めることになる。
真琴が目を細める。
「ねえ。まさか、同じクラス?」
「……知らない」
「知らないは嘘」
「じゃあ、他クラス?」
「だから、違うって」
「じゃあ、学校の外?」
真琴が一段声を落とす。
「バイト先とか?」
私は反射で息を止めた。
真琴の勘が、こわい。
「……真琴、やめて」
「お。反応した」
「反応してない」
「反応した。今、眉が動いた」
真琴が嬉しそうに笑う。
菜月は笑わない。代わりに、私をまっすぐ見る。
「美咲、無理しなくていいよ。言いたくないなら、言わなくていい」
「菜月……」
「でも、ひとつだけ」
菜月が少しだけ首をかしげる。
「その相手のこと、話す時だけ、目がちゃんと前向いてる」
心臓が、ぎゅっと縮んだ。
私はいつも、うまく笑って、うまく流して、うまく逃げてる。
なのに――バレてる。
真琴が、急に大人しくなった。
「……菜月、そういうの、急に言うのやめて」
「ごめん」
菜月は素直に言う。
でも、視線は外さない。
「美咲、ほんとに大丈夫?」
その問いが、やさしくて、痛い。
私は、教室の扉に手をかけた。
「……大丈夫。二人がいるから」
それだけ言って、先に中へ入る。
背中で、真琴が小さく笑う気配がした。
「うわ。今の、かわいかった」
「真琴」
「はい」
――やめて。やめてほしい。
でも、ちょっとだけ。
二人にからかわれるのが、怖くない。
そんな自分が、怖い。
授業はいつも通り進んでいく。
私はノートを取るふりをしながら、何度もスマホの振動を思い出してしまう。
昼休み。
三人で屋上へ向かった。風が冷たい。空が高い。
いつもの場所。いつもの距離。弁当の匂い。
真琴が開口一番、箸を振る。
「で、答え」
「答えない」
「えー」
「えーじゃない」
菜月が弁当を小さく一口食べてから、ぽつりと言う。
「美咲、最近、スマホ見る回数増えたよね」
「え」
「増えた」
真琴が乗っかる。
「うん。しかも、見るたび顔がゆるい」
「ゆるくない」
「ゆるい。私の目を見て言える?」
「言えない……」
言えない自分が、悔しい。
でも、否定できない。
真琴が身を乗り出して、にやっと笑った。
「ねえ。相手、優しい人?」
私は箸が止まった。
菜月が静かに頷く。
「優しいんだと思う。美咲の反応がそう言ってる」
「菜月……」
「だって、怖いって顔じゃないもん」
怖い。
その言葉が胸に刺さって、抜けない。
私は、ほんの少しだけ息を吸う。
「……優しい」
真琴が目を丸くした。
「え、言った」
「今の、聞かなかったことにして」
「むり。録音したい」
「やめて」
菜月が小さく笑う。ほんの少し。
「美咲がそう言えるなら、もう大丈夫だと思う」
「大丈夫じゃない」
「うん。まだ怖いよね」
菜月は分かってる顔で言った。
真琴が私のほっぺたを、またつん、と押す。
「ほら。ほらほら。照れてる」
「照れてない」
「照れてる」
「……もう」
私の声は、弱い。
弱いけど、嫌じゃない。
昼休みが終わって、教室へ戻る。
階段の途中でスマホが震えた。
『昼、寒くない?』
たったそれだけ。
でも、タイミングがよすぎて、私は笑ってしまいそうになる。
教室に入る直前で立ち止まって、返信する。
『平気。そっちは?』
送信。
既読。
すぐに返事。
『無理しないで』
私は、指先で画面をなぞった。
その優しさが、こわい。
慣れてないから。
「美咲!!」
背後から、また耳元の声。
私は叫びそうになって、こらえる。
「真琴! やめてってば!」
「今の反応、百点」
「百点じゃない」
菜月が私の横から、画面を見ないまま言う。
「今、送ったよね」
「送ってない」
「送った」
真琴が勝ち誇って、私の前に立つ。
「ねえ。私の目を見て言える?」
「……言えない」
「よし。じゃあ次。放課後、尾行」
「しないで」
「する」
「真琴!」
「冗談。冗談だって」
真琴は笑う。でも目は真剣だ。
菜月は、笑わない。代わりに、私の手をそっと押さえた。
「美咲。無理に言わなくていい。でも、困ったら言って」
「……うん」
その瞬間、胸の奥がほどけた気がした。
私は、二人に救われてる。
――だからこそ、言えない。
私の秘密は、二人を巻き込むかもしれないから。
放課後。
私はトイレの鏡の前で、制服の襟を直した。
深呼吸。平気。大丈夫。
スマホが震える。
『放課後、いつものところで。少しだけ』
私は、迷わず既読をつけた。
返信する。
『うん。行く』
送信。
すぐに返事。
『待ってる』
胸が熱い。
足が軽い。
でも同時に、怖い。
教室の前。
真琴と菜月が、当たり前みたいに並んでいる。
「美咲、どこ行くの?」
真琴がにやっと笑う。
「用事」
「用事ねえ」
「用事」
「じゃあ一緒に――」
「だめ!!」
私が即答すると、真琴が一瞬だけ驚いて、そして笑った。
「……ほんとだ。大事な用事だ」
菜月が私の顔を見て、静かに言う。
「気をつけてね」
「うん」
私は廊下へ出る。
背中に二人の視線が刺さる。
でも、追っては来ない。追ってこないのが、やさしい。
昇降口へ向かう途中。
角を曲がった瞬間、スマホがもう一度震えた。
『来る時、後ろ見て』
息が止まった。
私はゆっくり振り返る。
少し離れたところ。
真琴が、スマホを持って立っていた。
目が合う。
真琴は、にこっと笑って。
その口が、こう動いた。
「ばれたよ」
私は、その場で固まった。
本日も読んでいただきありがとうございます。
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