16、支配欲
「ふ、ふわぁぁぁ!?」
突然、担任の先生が目を丸くしながら、ミサトを見て叫んだ。
あわあわと、慌てふためいている。
「り、り、り……理事長!」
「おはようございます、涙子先生」
ミサトは、夏希達の担任の先生……涙子先生に、ニッコリと微笑んだ。
「えっ? 理事長……?」
夏希はミサトを見て、ポカーンとしていた。驚き過ぎて、リアクションが、できなかったようだ。
「あら、美魅ったら私の事を話していないのね……クスッ」
ミサトは夏希をじろじろと見て、微笑んだ。
「可愛らしい貴方は、美魅の……お友達かしら?」
「はい! 美魅ちゃんは、ボクがこの学校に転校してきて、初めての友達になってくれました」
「そう……美魅に、こんな可愛らしいお友達がいたなんて。あの子ったら……」
「……?」
ミサトは、微笑んでいたと思えば、急に少し悲しそうな顔をした。
「あ、あ、あの……」
すると、まだ若干慌てている涙子先生が、ミサトを呼んだ。
「理事長が……私に何かご用意でしょうか……?」
「あら、ごめんなさい。忘れてしまっていたわ」
ミサトは、用事を思い出すと、持っているカバンの中から、茶色の封筒を取り出した。
「これを渡しにきたの。美魅のテスト結果の、保護者確認書。たしか、今日締め切りですよね?」
「あ、わざわざすみません……。風邪なら、締め切りを過ぎてからでも、よかったのですが……」
「いえいえ、美魅が風邪なら、保護者である私が、持っていくのは当たり前よ。それに、締め切りは守らないと。貴女に申し訳ないわ。大切な弟の、担任なんですから」
「あ、あはは……」
涙子先生は、苦笑いのような笑顔で、笑った。涙子はミサトが、苦手のようだ。
しかし、その事をミサトは知っている。知っていながらも、ミサトは涙子先生に変わらぬ態度で接している。
すると、涙子先生が……。
「理事長って……春木さん……、美魅さんの保護者だったんですね……知りませんでした」
「クスクス、隠すつもりは無かったのよ。ただ、あまり知られてほしくなかっただけ。理事長の弟だからって理由で、特別扱いされたくなかったから」
「そ、そんなことしませんよ!」
「分かってますよ。今年、貴女を水の都高校の教師として採用したのは、私なんですから。私の見る目に、狂いはありませんよ」
「っ……っっ」
涙子先生はボッと顔が真っ赤になった。
「クスクス、涙子先生、それでは失礼しますね。“夏希さん”も、さようなら」
ミサトは一礼して、振り返らずに職員室から出ていった。
「……ケッ、ウチには挨拶無しかい」
竜也は、ミサトが出ていった方向を睨み付けながら言った。
そして、竜也は息をフーッと吐いて夏希を見た。
「竜也さん?」
「なるほどな、よー分かったわ。そら、住所や色々な事隠すわけや」
「どういう事ですか?」
「水の都高校の理事長やぞ? そんな理事長の関係者が、生徒ん中おる言うたら、どんな目で見られると思う?」
「それは……」
どんな目であろうとも、それはきっと普通の目では無い。普通の人間を見るような目ではないだろう。そして、根も葉もない噂が流れるであろう。
理事長の弟だから、どんな成績でも卒業できる。
理事長の弟だから……。
理事長の弟だから……。
“理事長の弟だから”と言う言葉が無限に溢れかえる。
だから、隠す必要があった。
教師にまでにも全てを……。
「春木さん……いつも1人だったのは、そのせいだったのね」
涙子先生が、悲しそうに微笑んでいる。
涙子先生が水の都高校に採用され、4月に、2年3組の担任を任された時、美魅がクラスで浮いているのが最初に気づいたことだった。
何回も話を聞こうとしたが、全て簡単にあしらわれてしまっていた。
それは、美魅が自ら人を避けていたのだ。仲良くなれば、いつか自分が理事長の弟だとバレてしまうから……バレてしまった後の、人間の変わってしまう姿が……怖かったから。
「あれ? でも……美魅ちゃんが、理事長の弟だって事を知っている人がいましたよ?」
夏希はふと、転校してきたばかりの時を思い出した。
「たしか……転校してきた初日に、美魅ちゃんにパシられたことがあったんです。そのパシられている時に、別のクラスの男子に、噂を聞いたんです……」
“美魅に逆らったり、機嫌を損ねるようなことをしたら、学校から消される。“家庭の事情のため転校”って事になって。
美魅を溺愛している“美魅の姉”が、この学校を牛耳ってる奴だから。美魅が気に入らない事があったら、姉は必ず動く。”
「って……あれは、どういう事なんでしょうか……」
夏希の疑問に竜也は、突然しかめっ面になっていた。
「竜也さん?」
竜也の様子がおかしくなっていることに、夏希は見落とさなかった。
「いや、何でもない。多分それは、ごく一部の生徒が美魅を知っていて。面白半分で噂を流したんや。愉快犯ってやつや。気にせんとき」
「は……はい」
竜也はしかめっ面から、微笑みに変わった。しかし、目が笑っていなかった。何かを……隠しているような目だった。
そんな様々な疑問をもみ消すように、昼休憩の終わりの予鈴が鳴り響いた……。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ケホッ……ケホッ……」
美魅の咳が響く部屋。
ぬいぐるみが沢山ある、女の子のような部屋。
ベッドの上で、美魅は眠っていた。
「あ゛ー……最悪」
そして、不機嫌だった。
「何で今日にかぎって風邪ひくのよ……ありえない……」
今日は、美魅にとって特別な日だった。何故、特別な日かというと……。
「今日は、夏希に告白して、ちょうど1ヶ月目なのに……」
美魅が、学校の教室で夏希に告白してから、1ヶ月経ったのである。
美魅は、今日もう一回真剣に告白をしようとしていたのだ。
しかし……風邪をひいてしまった。
「う゛ー……最悪……!」
美魅は布団の中で悶えていた。
すると……。
「美魅、入るわよ」
「えっ!?」
ガチャッと、突然美魅の部屋が開いた。
「美魅、いい子に寝てた?」
ミサトが、微笑みながら入ってきた。手には、スーパーの袋。中身は様々な果物が入っていた。
「ミサト!? し、仕事はどうしたの!?」
「何を言ってるのよ。大切な美魅を1人にして、仕事なんか出来るわけないでしょ」
「だからって……休んだの!?」
「当たり前じゃないの」
「っ……」
美魅は、更にぐったりとしてしまった。呆れているのだ。
「それより、リンゴとか色々果物買ってきたのよ! 美魅、果物好きでしょ?」
ニコニコと笑いながら、美魅の側に近寄る。そして、美魅の足元の近くに座った。
「今は……いらない」
「あらあら、食欲が無いのは仕方ないわね……残念」
ミサトは、机の上に果物の入ったスーパーの袋を置いた。
「あ、そうそう。今日、書類を学校に届けに行ったら……美魅の“お友達”に会ったわ」
「えっ!?」
美魅は、ミサトの口から出るはずのない言葉が聞こえ、無意識のうちに、ミサトを見ていた。
そして……嫌な汗が頬を伝った。
「たしか……“夏希”って言ってたわね……あの子」
ニコニコと笑いながら、ミサトは美魅の目を見つめる。美魅の視線を反らさせないように、ジッと見つめる。
「し……“知らない”……そんな人」
「あら? でも、たしかに友達って言ってたわよ? 転校してきて、初めての友達だ。って……」
「その子の妄想じゃないの。もしかして、私のファンじゃないの?」
嫌な汗をかきながら、美魅はひきつきながらも、嫌味な笑みを浮かべていた。
「ふーん……じゃあ“危ない”わね」
「えっ……?」
ミサトから笑顔が消えた。
「美魅を友達だと妄言する危ない輩は、ストーカーになる可能性があるわ。早急に“処分”しないと……」
「ちょ……ちょっと待ってよ。処分とか……やり過ぎじゃない? 放っておいても大丈夫だっ―――」
「大丈夫なわけないでしょ!」
ビリビリと、ミサトの大声が部屋に響いた。響いただけでなく、大声で美魅が完全に黙ってしまった。
「あんなストーカー野郎に、私の大切な美魅を汚される可能性があるのよ!? そんな奴が、美魅のクラスに……私の学校に居ること事態がありえないわ! あんな奴、早急に退学よ! そうね、今日中に退学させないと……一分一秒とて、あの学校に居させるわけにはいかないわ!」
ミサトは携帯を取り出し、何処かへ電話をかけようとした。
しかし……―――
「やめてぇぇぇぇ!!」
美魅が、勢いよくミサトの腰にすがり付き、携帯を床に叩き落とした。
「何をするのよ!?」
「止めて! 違うの! 夏希は……夏希は私の大切な友達なの!」
「はぁ!? さっき、違うって言ってたでしょ!!」
「あれは嘘なの! ごめんなさい……夏希を退学にしないで……“消さないで”!」
泣きながらミサトに懇願する美魅。その姿は……今までの美魅からでは考えられない、異常な姿に見えてしまう。
「もう……これ以上……私の大切な人を消さないで……」
「クスッ……馬鹿ね」
そっと、ミサトは優しく美魅の頭を撫でる。その手には、愛が込められていた。
「消すわけないでしょ。だってあの子、“男の子”じゃない」
「っ……」
「男の子の友達なら、大歓迎。私が消すのは……美魅に近寄る“糞ビッチ共”よ。美魅には、私がいる。お姉ちゃんだけが愛してるの。お姉ちゃんだけが愛していいの。他の女共に、美魅を愛する権利なんかあるわけないじゃない」
ミサトは、美魅を優しく起こして……再び仰向けに寝かした。
そして……美魅に覆い被さった。ミサトは、美魅を押し倒したような形になった。
「美魅は、私だけのモノ。私も、美魅だけのモノ。愛しているわ……美魅」
「っ……やめっ……――」
ミサトは、美魅の唇を奪った。
ねっとりと、ゆっくりと、美魅の口を蹂躙するミサト。
苦しさと、恍惚さで美魅は布団を握り締めて、ミサトからの攻めに耐え続けていた。
これで何度目か分からない無理矢理のキス。最初は、何故こんなことをするのか理解できなかった美魅。
しかし、夏希が現れてから理解した。
愛するものを支配する“支配欲”だった。お前は自分のモノだと相手に植え付ける行為。
「美魅……美魅……」
ミサトは、完全に興奮していた。もう止まらない。さかりのついた犬のように……止まらない。
目も血走っていた。
「美魅っ!」
ミサトは、美魅の寝巻きを乱暴に脱がし、下着も脱がし、裸にする。
美魅の綺麗な素肌が、全て露になる。
「ミ……サト……」
美魅は、もう抵抗しなかった。
何もかもを諦めた目で、姉とは思えない姉を涙目で見つめる。
それは、最後の抵抗と言っても、間違いではなかった。
しかし、それは無意味だった。
今のミサトには……何を言っても無駄だった。
美魅は、耐えるしかなかった。
歪んだ愛を、受け入れるしかなかった。
★★★★★★★★★★★★★
歪んだ愛に、愛は存在しない。
歪んだ愛は、支配欲に変わる。
変わるには、何かしらの理由が必要である。理由が無ければ、変わらない。
愛に理由なんかは必要である。
理由も無しに人を愛せない。
たとえ、それが家族であろうとも……姉弟であろうとも。
これから語るのは、美魅とミサトの物語。
夏希と出会う数年前に、物語はさかのぼる。
ミサトと美魅が、歪んだ物語。