第4話 影の接触 後編
あれから1日が経過した。
何処を探しても見つからない。
日が傾き始めた頃。
廊下の冷たい空気が肌を刺す。影がゆらりと揺れ、まるで生き物のように床を這う。
私は息を整え、手を握りしめた。あの感触がまだ腕や足に絡みついている。
黒い触手のような影は、どこか温度すら感じた――いや、温度ではなく、意思を持った存在の圧迫感だった。
「怖かったかい?」
低く、けれど甘い声。耳元で囁かれ、背筋が凍る。振り返ると、白のシルクハット、赤いリボン、赤ベストに黒シャツ――あの異形がじっとこちらを見ていた。顔は烏のような仮面で覆われ、表情は見えないのに、圧倒的な存在感で私の心を支配する。
「⋯⋯佐藤上司⋯⋯?」
つい口に出す。だが、声が震え、何を言っているのか自分でも分からない。
影は床から伸び、ゆっくりと私の足に絡みつく。逃げようとしても、触れるとぞくぞくする冷たさが体を貫き、立ち上がることすらままならない。
「違うよ⋯⋯君のこと、ずっと見ていたのは俺だ」
囁きが私の意識を引き裂く。胸が締め付けられ、息が詰まる。
言葉の意味が理解できない――でも、あの声は、私の幼なじみ・湊の声に似ている。
頭の中で混乱が渦巻き、記憶の断片が浮かぶ。あのクマのぬいぐるみ、幼い頃、二人で笑った夜――。
「昨日はパニックになってたみたいだね。
覚えてる? 君が大事にしていた、クマのぬいぐるみ。俺があげたんだよね?」
言われた瞬間、全身の力が抜けた。胸の奥が、ざくっと刺されるような痛み。
そんなこと――上司が知るはずがない。答えが見えた瞬間、衝撃が走る。
幼なじみ――湊――が、私を刺したのだ。あの日の記憶が、一気にフラッシュバックする。
背後で影が揺れ、私の足を絡め取る。逃げ場はない。
黒い触手が身体を抱きしめ、じわじわと圧迫する。心臓が爆発しそうに早鐘を打ち、息が荒くなる。
「君は俺のものだ⋯⋯二度と離さない」
囁きが、恐怖と官能を混ぜた感覚で体を支配する。触れられ、抱かれる感覚が、現実と幻の境界を曖昧にする。
逃げたいのに、逃げられない。
絡みつく影の冷たさと、湊の囁きの温もり――理性が混乱する。
それでも、彼は突然手を緩め、私を床に座らせる。
息が荒く、足元はふらふらだ。
影は消え、黒いシルクハットだけが立っている。優しく微笑む――とはいえ、烏の仮面の下の笑顔は想像しかできない。
「あと2日⋯⋯生かしてあげる。午後6時には、必ず迎えに行く」
告げられた言葉に、絶望とわずかな希望が入り混じる。解放されると同時に、恐怖は消えない。
胸に残る触手の感触、耳に残る囁きが、逃げても逃げ切れないことを教えていた。
私は立ち上がり、手を震わせながら教室の扉に手をかける。
外の光が薄く差し込み、影が長く伸びている。心臓はまだ早鐘を打ち、胸がざわつく。
残り二日、午後6時までに「窓」を探さなければならない。希望は小さく、でも、私を生かす唯一の手段だ。
影に絡め取られ、囁かれ、絶望と官能の境界を味わった記憶が、胸に深く刻まれた。
これから始まる、逃げ場のない二日間――。私は、最後の望みをかけて歩き出すしかなかった。




