第1話 閉ざされた校舎 後編
廊下を進むと、教室の扉越しに声がした。
低く、緊張した声。私の足は自然と止まった。
中から顔を出したのは、藤堂辰一――頼りがいのありそうな中年男性だった。だがその瞳には、恐怖と焦燥が混ざり合い、底知れぬ影を宿している。
「君⋯⋯も、ここに呼ばれたのか?」
藤堂さんは震える声で問いかけてきた。うなずく私に、彼は小さく息を吐いた。
「俺も⋯⋯二度と生き返れないはずだった⋯⋯」
隣の教室から、黒髪の男が顔を出す。
相模優志、37歳。スーツ姿で冷静そうだが、肩は緊張で小刻みに震えている。
「お互いに生き残りたいな……」と、呟く声が廊下に響いた。
その横では、紫原南がエプロン姿で小さく身を縮め、恐怖で目を丸くしている。
中里真奈はフードを深くかぶり、無理やり笑顔を作ろうとしていたが、目が潤んでいるのが見えた。
私たちは、全員が「殺されかけた経験」を持つ人間たち――ここに呼ばれた理由もまた、死と生の境界線にあるらしい。
息を飲み、胸を締め付けられる感覚に耐えながら、私は一歩ずつ前に進む。
廊下の奥に、黒猫と黒カラスが座っていた。赤い目を持つ二匹は、人間の言葉で何かを囁く。
「時間は限られている」
「君たち、ここでどうなるか知りたいか?」
声は不気味に、でもどこか冷静で、私の全身に寒気が走った。
藤堂さんが小声で呟く。
「ここ⋯⋯のルールって?」
黒猫がゆっくりこちらを見て答える。
「朝六時から夕方六時までが探索可能時間。
それ以外は施錠され、異形の影からは安全になる。窓を見つければ、生への可能性がある⋯⋯」
「窓?」
私は声に出して問いかける。黒カラスがくるりと羽を広げ、笑う。
「それぞれの最後に見た記憶が映る窓。だが、偽物もある。見極めを誤れば、永遠に囚われるのだよ」
胸がざわつく。何を信じればいいのか、全くわからない。
しかし、ここで立ち止まれば、すぐに影に飲み込まれる――そんな予感がした。
教室の角を曲がるたび、影が長く伸び、私たちの存在をじっと見つめている。
歩く度に、床が軋む音や、遠くで聞こえる微かなささやき声に神経が張り詰めた。
藤堂さんが「誰か⋯⋯試されてるんだな」とつぶやく。まさにその通りで、私たちは知らない間に、死の試練の中に放り込まれているのだ。
初めて遭遇した異形は、黒い影の塊のようで、人の形ではない。だが、動きは確実に生物的で、目で追うと微かにこちらを意識している。心臓が高鳴り、呼吸は速まる。
「逃げるんだ⋯⋯」
自分に言い聞かせながら、私は他の生存者たちと距離を取りつつ、次の教室へ足を運ぶ。目の端に映る黒猫と黒カラスの姿が、私たちを嘲笑っているように見えた。背筋がぞくりとした。
少し進むと、壁に掲げられた黒板に文字が浮かんでいた。
『契約は絶対。下された命は、果たせ。』
文字は手書きのように揺れ、目に焼き付く。
生と死の狭間で、私たちはすでに試されている――そう実感した瞬間、胸の奥に小さな決意が芽生えた。まだ、誰も死んでいない。まだ、逃げられる。
しかし、すぐ背後から、冷たい視線が這い寄ってくるのを感じた。
歩を止める間もなく、影は確実に、私を――私たち全員を狙っている。




