第7話 帰路
区切りの関係で短くなってしまいましたが、更新です。
レステリア王国中西部に位置するロミレは、最先進地域たる中央世界においては中規模程度の都市だが、商業が盛んで常に活気に溢れている。
しかし、いつもは慌ただしく人や物の行き交う街道も、今日はしんと静まり返っている。
店や家々はどれも戸を固く閉ざし、異様な緊張感が街全体を支配していた。
人の気配が消えた街道を、隊列が進む。
騎兵のみで構成された一糸乱れぬ隊列の中央を悠然と進むのは、1台の馬車である。
決して絢爛でないものの細部にまで意匠の凝らされた装いは、見る者が見れば息を呑むほどに洗練されている。
そして、高々と掲げられた純白の御旗。
中央に象られるのは、禁色たる紫のアイリスである。
人々が決して表に姿を見せないのは、彼女に対する恐怖や忌避感からではない。
ただ不敬を働かぬためであった。
王国においては、相手を直視せず、みだりに同じ空間を共有しないことこそが最敬礼とされる。
ゆえに、馬車の中とはいえ彼女の前に平民たる彼らが出てよい道理などあろうはずもない。
街を支配する沈黙そのものが、彼女に対する最大限の畏敬を表現していた。
「今日もお綺麗ですねっ!エリシア様」
少女がエリシアに向かって無邪気に笑いかける。
赤い髪を後ろでまとめた彼女、ルクレア・エリステアは、エリシアの護衛として法王国へ随行し、ともに帰路に就いていた。
「ルクレア、何ですかその呼び方は?殿下に対して不敬ですよ。」
彼女の隣に座る黒髪の男、ルイン・エクスバルトも同じくエリシアの護衛を務めている。
彼らは白を基調とした制服に身を包んでおり、外の隊列を構成する兵士たちとは明らかに異なる装いである。
彼らだけがエリシアとの同乗を許されていることからも、立場の違いが窺えた。
「私はいいのよ、エリシア様にそう呼ぶご許可を頂いているんだもの!悔しかったらあんたもお願いすれば?」
ルクレアは意地悪そうに言って、赤い髪を揺らした。
「知能に差がありすぎると会話が成立しないというのは本当のようですね。殿下の優しさに甘えて、一介の臣下という立場を逸脱した態度を取るべきではないと言っているのです。」
ルインは呆れたように首を振ってみせる。
9つも年下の少女に対しては、少々大人気ない振る舞いであった。
「はー?ほんっとむかつく!いちいち嫌味言わないと気が済まないわけ!?だからモテないのよ!ねーエリシア様っ!」
「なっ!」
ルインの目元がぴくりと動いた。
先に嫌味を言い始めたのはルクレアの方であったのだが、流れるように自分のことを棚に上げる手腕は流石である。
「……うるさい…」
エリシアは目を通していた書類の束から目を離す。
さすがの彼女も、車内でこう騒がれては集中を保てないようであった。
「さっきから何を読まれているんですか?少しは休まないと疲れが溜まってしまいますよ。」
ルクレアの忠言はもっともであった。
七聖会談を終え、翌日には法王国を出発したエリシアは、ロミレに至るまでの数日間ほとんど常に書類を見て何事か思案していた。
「そうですね、こればかりは彼女に同意します。少し休憩されるのがよいかと。」
彼らの口論もエリシアの意識を仕事から逸らすための意図的なもの、という訳ではなかったが、彼らがエリシアの体を気遣っているのは確かなことであった。
「大丈夫だ、問題ない。」
エリシアの素っ気ない返事はいつものことである。
彼らも本気でエリシアが休んでくれると思っていた訳ではなかった。
しかし、わかっていても気遣わずにはいられない。
彼らにとって、エリシアはそういう存在であった。
ルインはエリシアの手元にある書類を見て、少し目を細めた。
「…例の、箱庭ですか。機械動力、でしたか?」
「ああ、やはり現在の大気圧式では燃焼効率が悪く出力に限界があるらしい。石炭の大量採掘技術は確立し、会談での合意でかなりの採掘権を確保できたが、まだまだこれからだな。」
ルインの琥珀色の瞳の奥に、不安の影が映る。
「殿下、どうかお気をつけください。その研究は…」
「わかっている。カササギは鳴いていない。箱庭は快晴だ。問題ない。」
「それは、承知していますが…」
ルインはそれ以上を言葉にしない。
車内に沈黙が流れた。
「そんなことよりっ!」
ルクレアの声が高く響く。
「帝国の変質者に何もされませんでしたか?私エリシア様のことが心配で落ち着かなかったんですから!だいたい何で護衛なのに会談の場に入っちゃいけないのよ、おかしいじゃない。」
エオレンツ帝国第1皇子、立太子の儀が近いと言われるレスター・エオレンツには人格に問題がある、というのは諸外国にも知れ渡った有名な話であった。
もっとも、彼の内面についてその実際を知る者など帝国にもそうはいないのだが。
ルクレアは会談での彼らの会話をエリシアから聞かされてはいない。
彼女がそれを知ればどうなるかは明白であったし、そもそもエリシアにとって彼との会話などどうでもよいことであったからだ。
しかし、仮想敵国たる帝国の皇子、しかもよくない噂付きとくれば、ルクレアにとっては方時もエリシアと一緒にさせたくないと思うに十分すぎる相手であった。
はぁ、と盛大な溜め息を漏らしたルインは、しかしルクレアの言葉でいつもの調子に戻ったようであった。
彼の溜め息が誰に対してのものであったのか、彼にしか知れないことである。
「貴女のような短慮な人間が会談の場にいると国際問題に発展しかねないからですよ。14にもなって、少しは慎みというものを覚えるべきでは?」
「はー?あんたみたいな高慢野郎がいると場の空気が悪くなるからの間違いじゃないの?ほんっとむかつく、だからモテないのよ!」
「貴女にはそれしか語彙がないのですか?幼女の相手は疲れが溜まりますよ、まったく。」
もはやお馴染みと化した彼らの口論をよそに、エリシアは窓の外へ目を遣った。
固く戸を閉ざした家々が、高価なガラスの車窓を流れてゆく。
「…私は、守らないといけないから。」
彼女が呟いた声はあまりに小さく、2人の耳には届かない。
そして、彼らの声もまた彼女に届くことはないのだろう。
雲ひとつない空に、日が高く昇っていた。
気高く、美しく、ひとり孤独に。
ここから数話の箸休めの後、本章メインへと突入します。
お付き合いのほど、よろしくお願いします。




