第2話 七聖会談(2)
「必要か?」
美しい、しかし色のない声が冷ややかに響く。
魔女討伐に協力する意思を問われたエリシアの答えは、きわめて端的であった。
彼女の言葉にラフェラは戸惑いを隠せない。
「それはどういう問いだ、エリシア王女?」
彼にしてはやや間の抜けた返答であった。
エリシアは同じことを何度も言わせるなという風な顔で、淡々と言葉を続ける。
「辺境の小国家群で何が起こったところで、聖教の権威が揺らぐことはない。我々が出向くだけ無駄であろう。もし仮に件の魔女が我々中央列強にまで手を伸ばすというのであれば、そうなった時に始末すればよいことだ。」
彼女の発言は本質を突いていて、それゆえにラフェラを苛立たせるものであった。
「貴殿は無辜の民を見捨てろというのか?」
ラフェラの口調が非難めいたものになる。
エリシアの言うように、この討伐に実利はない。
しかし、教会は既に聖騎士団を投入し、甚大な被害を受けて失敗している。
引くに引けない状況であった。
「無辜の民なら卿の膝元でも日々ごまんと死んでいよう。卿はその全てを救おうとしているのか?」
事実、この世界で人死になどさして珍しい話でもなく、日常的に多くの人々が様々な理由で命を落としていた。
エリシアにしてみれば、聖教に仇なす魔の存在が現れたときのみ正義と救済を語る教会の態度は、付き合いきれぬ茶番であった。
「それが今この時も魔女に苦しめられている民を見捨てる口実か?エリシア王女」
ラフェラとて、今回の魔女討伐が教会の面子を守るために傑赫七聖に指示されたことはわかっていた。
この程度の事態が中央列強での信仰の揺らぎに繋がらないことは明白であり、であればこれは七聖の仕事ではないというエリシアの主張は合理的なものといえたのである。
しかし、強大な力を持つ魔女という存在に現地の民が恐れを抱いているのも事実であり、であれば教会上層部の意図がどうであれ、これを打ち払うのが七聖の義務であるというのが彼なりの信念なのであった。
「そこまで拘るのであればラフェラ卿、卿が自ら赴けばよいであろう。」
エリシアはあくまで不参加の姿勢を崩さない。
「我々は教会の規定により神聖法王国を離れられない。貴殿も知っているだろう。」
ファルム神聖法王国に属する聖人は、聖職者となることが義務付けられており、教会中枢の守護を職務とするため容易に国を離れる許可が下りない。
これは、過去に法王国が経験したある事件に起因している。
法王国所属の上位聖人が魔人討伐のための遠征で出払った際、守りの手薄になった隙を突いて多数の魔人および魔女が法王国を急襲、多くの教会施設が破壊され、当時の枢機卿を含む3,600人あまりの死者を出した聖教史上最悪の事件。
首謀者の名をとってケイナ・ルシェフ事件と呼ばれるこの惨劇は、魔教会を名乗る反聖教組織による計画的な犯行であった。
何より人々を震撼させたのは、ケイナ・ルシェフを始めとする魔教会構成員の多くが人間だったことである。
魔人は生物学的には人間と同一であるが、穢れに満ちたその魂はもはや人間のそれではなく、化け物に近い人外の存在であるというのが世界の常識であった。
それにもかかわらず、この事件では明らかに魔人と人間が共謀していたのだ。
分かり合うはずのない両者が手を組んで教会中枢を脅かしたという事実。
これは聖教会の魔術勢力に対する認識を大いに改めさせる結果となった。
この事件以降、神聖法王国は上位聖人の国外派遣を事実上禁止しており、最高戦力たる傑赫七聖ともなればなおさらであった。
「自国を簡単に離れるわけにいかぬのは我々とて同じこと。法王国にだけ特別扱いを許せと?それとも、卿らは七聖の席を3つも占めておきながら、全員が揃っていなければ防衛すらままならぬということか?」
エリシアは視線を左右に振る。
ラフェラの右隣に座る妙齢の女性、聖職者であることを示す純白のローブに身を包んだ彼女は、エリシアの視線にも儚げな微笑を崩さない。
第3席 ミセリア
薄い空色の髪は艶やかで、透き通るような白い肌の美しさはエリシアにも劣らない。
4年前に史上最年少となる13歳で七聖の席に座ったエリシアと同時に傑赫に加わった彼女は、その素性も能力も謎であった。
彼女について明らかなことは、七聖に選出されるに至った唯一の功績のみ。
6年前、南方大陸より興った異民族による大侵攻。
教会の最優先討伐対象の1人に指定されている『光喰らい、暗き魔女』が背後にいたとされるこの暴挙は、二十万余の大軍勢による進撃となり中央世界、とりわけ南部の法王国を震撼させた。
暗き魔女の力で特殊な呪法を得た異民族の前に、聖騎士団は劣勢を強いられた。
教会は七聖の前線投入を可決するが、当時法王国以外の列強はそれぞれ他国との戦争状態にあり、国家防衛の要である彼らを出ししぶった。
時間をかけられない法王国は自国の七聖を参戦させるが、程なくしてうち1人が戦死。
教会中枢はいよいよ終わりと震え上がった。
しかし、ここで突如として救世主が現れる。
とある片田舎の小さな修道院に所属する若い修道女が、目を爛々と獰猛に輝かせた異民族の前に敢然と立ちはだかったのである。
誰もが自殺行為だと思ったのも束の間、彼女が軽く微笑んだまま口を開いて何事か言葉を紡ぐと、途端に異民族の進軍がぴたりと止まったのである。
この事件は、法王国のみならず中央世界全体で真の奇跡として語られ、ミセリアひとりの活躍で窮地を脱した教会は彼女を嬉々として祭り上げた。
それ以来彼女が戦闘を行ったという記録はなく、七聖に就任してからも目立った活動はなかった。
エリシアの誹りを受けたミセリアは、静かに視線を動かして彼女と目を合わせる。
しかし視線を交わしているようでいて、どこか焦点の合っていない虚ろな眼差しに、エリシアは小さく溜め息を吐いて不快げに目を逸らした。
そしてもう1人、エリシアの左隣に座る白髪の男。
ラフェラ、ミセリアと同じく白い祭服を纏った初老の男は、いかにも生真面目そうな顔に険しい表情を浮かべて俯いている。
第6席 クヴェリア
現在の面々の中で最も古参の七聖である彼は、6年前の異民族侵攻の際には第2席として戦線に赴き、数多くの敵と相対して生き残った実力者である。
しかし同じく教会から参戦した第3席の戦死を重く受け止めた教会上層部による再編で、より戦闘能力を重視した顔ぶれが七聖に選出されると、その席次を6まで落とすこととなった。
それでも彼を軽視する者はこの場に誰ひとりとして存在しない。
そうさせないだけの威厳が彼にはあった。
丁寧に整えられた口髭は、エリシアの発言に対してやはりぴくりとも動かない。
銀縁の眼鏡の奥に踊る鋭い眼光だけが、明確に彼女への拒絶を表している。
彼らは端からこの会談で口を開くつもりはないようで、代わりに発言したのはやはりラフェラであった。
「役割が違うという話だ。聖教にとって我々は信仰を護る盾、貴殿らは魔を打ち滅ぼす剣として機能する。それが傑赫七聖だ。レスター皇子にしてもそうだが、あまり自国の利潤にばかり目を向けられては困る。」
突然、矛先が自分に戻ってきたレスターは大げさに目を丸めてみせると、すぐに鷹のような目つきに戻ってくつくつと不愉快な笑い声を響かせた。
「これは手厳しいですね。しかし帝国皇子としての肩書きを外すことはできません。ここはひとつ南東国家群と直接利害関係のないレステリアの王女殿下にお願いしたいものです。何より、エリシア王女が来てくれるとなれば南東の人々もたいへんに心強いことでしょう。貴女の名は辺境にまで轟いていますからね、8万人殺しの狂気の聖女様?」
レスターの言葉に場の空気は今にもひび割れそうなほど凍りつく。
エリシアの七聖選出のきっかけとなった事件はミセリアと同じく6年前。
西方セグレシア帝国と戦争状態にあったレステリアは、膠着した戦線を押し上げるために秘蔵の戦力を投入する。
12万にのぼる大軍が押し寄せる西方戦線に降り立ったのは当時11歳の少女であった。
彼女は熱烈な歓迎を受けたが、内心では彼女の存在を皆が疎ましく思っていた。
誰もが王族の虚飾のためにやって来たお荷物だと確信していたからだ。
しかしその確信はたった一夜にして見事にひっくり返されることとなる。
夜襲をかけると言い、僅かな供回りだけを連れて交戦区域に赴いた彼女を、現地の将軍は血眼になって捜索した。
いくら当人の身勝手が原因とはいえ、幼い王族を死なせては自らの首が文字通り飛んでしまうからである。
戦地の極限状態の中で、非常識で不遜な王女に憤慨を覚えながらも救出に向かった兵士たちは、白み始めた空の下に広がる光景にひとり残らず唖然となった。
そこにあったのはまさに見渡す限りの血の海であった。
この日、レステリア王国第3王女エリシア・レステリアは、単独で8万のセグレシア将兵を一方的に殺戮したのである。
これに大いに湧いたのは王宮と王都に暮らす人々である。
一方、現場に居合わせた者は誰ひとりとして笑みを浮かべられなかったという。
彼らの頭を支配したのは、戦局が一気に好転したことへの歓喜ではなく、目の前の少女に対する圧倒的な畏怖であった。
それ以来、彼女は救国の英雄と称賛される一方、陰で狂気の聖女、王室の殺戮兵器などと呼ばれるようになっていた。
当然、エリシア本人もそういったことについて把握はしていたが、よもや彼女に向かって直接そのような呼称を用いる人間など何処にもいなかった。
今、この時までは。
何が起きても直ちに止めに入れるように、ラフェラは静かに臨戦態勢をとったが、エリシアは隣に座るレスターに危害を加えようとするどころか、眉ひとつ動かさず一切の反応を示さない。
ひとまず最悪の事態が回避され、ラフェラは内心安堵の息を吐きながらレスターを嗜める。
「発言には注意してもらおう、レスター皇子。神は扱い方も知らぬ赤子に過ぎた力を与えるような愚を犯さぬ。彼女が己が信心に基づいて力を行使する限り、何人にも彼女を揶揄する権利はない。」
ラフェラの論理はきわめて聖教的なものであったが、だからこそこの場を収めるには十分な力を持っていた。
「これは失礼を。少々悪ふざけが過ぎました。謝罪いたします。」
言って大仰に頭を下げるレスターは、その実まったく悪びれる様子がない。
むしろその顔にぴたりと貼り付けた薄ら笑いが、よりいっそう不気味に歪んだように見えた。
エリシアは、その一部始終を興味がないといった風に無表情でただ見つめたのだった。




