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少女が死んだ日 -聖なる世界に救いを求めて-  作者: .ukU
序章 少女が死んだ日
2/3

第2話 決別

ハンナの不安は、エリシアが齢6つを数える頃に確かな絶望へと変わった。


エリシアが奇跡を授かったのである。


聖教を戴くこの中央世界では、人々はみな10歳の洗礼とともに天より恩寵を賜る。

それは例えば風邪をひきにくくなったり、怪我の治りが早まったりと、人生そのものを変えてしまう類のものではなかったが、確かな実感を人々に与えていた。

しかし中には、あまりに濃密な神の寵愛を一身に受ける者がいる、それも教会によるいかなる儀式も無くして。

彼らの授かる力は一般的な恩寵とは一線を画した。

超常を引き起こす理外の力である。

人々は彼らの持つ力を神の奇跡として讃え、彼ら自身を聖人せいじんあるいは聖女せいじょとして崇めた。

そして6歳にして奇跡を賜ったエリシアは異例中の異例であり、この一報は衝撃を持って中央世界を駆け巡った。

当然、レステリア王都は湧きに湧いた。

皆がエリシアを讃えて歓喜する中、ハンナは密かに神を恨まずにはいられない。

全てを与えることで、エリシアから全てを奪った神を。






「ふぅ、さすがに少し疲れた。」


奇跡の授与を祝す式典で、数えるのも億劫なほどの貴族や聖職者たちとの挨拶を終え自室に戻ったエリシアは、ソファに深く腰掛けて息を吐く。


「湯浴みは、いかがなさいますか?」


エリシアに付き従い、式典に出席していたハンナも疲労困憊であったが、主人のために気は抜けない。


「いい。明朝入る。今日はもう休むわ。ありがとうハンナ、今日はあなたも疲れたでしょう。お下がりなさい。」


エリシアはどこか気のない返事を返す。


「お気遣いありがとうございます、殿下。それでは失礼を、、」


言いかけてハンナは逡巡したように口ごもる。

不審を覚えたエリシアが、ハンナにちらりと目を遣ると、彼女は覚悟を決めたように少し震えた声で切り出した。


「殿下、此度の奇跡の授与、殿下はどうお考えですか?」


ハンナの問いに、どういう意味だというようにエリシアはわずかに眉間に皺を寄せる。


「このような質問、私のいたすべきことでないことは承知しております。しかし、どうか、お答えいただけませんか?」


ハンナの切実な態度に、エリシアは不審げにしながらも口を開く。


「素晴らしいことよ。これで私はレステリア王族としての血統に加え、宗教的権威と圧倒的な武力を兼ね備えた存在になる。私の存在そのものが、王国の強大な矛であり盾となるわ。」


エリシアの回答は、王族として模範的なものであったが、それを淡々と述べるのが6歳の美しい少女であるという事実だけが、明らかな異様としてそこにあった。

ハンナは胸をしめつけられる感覚を覚えながら、続ける。


「それは、王族としての見解です。殿下ご自身はどうお思いなのですか?」


ハンナはこの時を振り返って、自分が何を期待してこのような問いを投げかけたのか知れなかった。


わかっていたはずだった。


それでも自身の中にある美しい思い出を諦めたくなかった。

そしてしばらくの沈黙の後、おもむろに口を開いたエリシアの言葉を、ハンナは生涯忘れることはないだろう。


異様な静寂と張り詰めた緊張が2人きりの部屋を支配する。

ハンナの問いにエリシアの沈黙した時間は、ほんの10秒程度のものであったが、ハンナにとってはとてつもなく永い時間に感じられた。


「私個人としての思い、か。それはね、ハンナ、あってはならないものなの。私が王族として生を受けた以上、私に個人としての人格を持つことは許されてはいないのよ。」


かつて無邪気に笑った少女の口から出たのは、あまりに重い言葉であった。


「それは違います!殿下は王女である前にひとりの人間でっ」

「私ね」


ハンナの言葉に被せるように、エリシアが言葉を続ける。

このようなことは今までで初めてであった。


「不思議に思っていたの。私は何の力もないただの子どもよ。だというのに周りの大人はみな私の前に膝をついてこうべを垂れるの。私は何も働いていないのに、温かい料理、豪奢な衣装、快適な広い部屋に、優秀な侍女、何でも持っている。これは世の道理を外れているわ。なぜ私たちにだけこのようなことが許されるの?」


エリシアが言葉を紡ぐたび、ハンナは自分が絶望の底へと沈んでいくのがわかった。


「私は考えたわ、足りない頭で必死にね。そしてひとつの答えに辿り着いたの。…私たちはね、仕組みなのだわ。国家を安んじるための仕組み。人々が弱肉強食の世界を拒絶し、社会秩序を求めるがゆえに生まれた、血統という交換不可の権威の象徴。それが私たち王族の正体なのよ。だから私たちは生まれながらにして無条件にこの国の権力の頂点に座すことを許されているの。であれば私たちには義務があるわ。仕組みとしての役割を全うする義務が。そこに個人の感情が介在する余地はないのよ、ハンナ。」


ハンナは絶句した。

(何て残酷な。この人は賢すぎる。賢すぎるがゆえに大切なことを見失ってしまったんだ。)

ハンナは心の底で自らにエリシアを説得しうる言葉のないことをわかっていながら、縋るような思いで声を絞り出す。


「…それはっ、しかしそれでは!殿下のっ…エリシア様の幸せは…私はっ!」


ハンナの悲痛な叫びは中断される。

エリシアと目が合ったからだ。

いや、ずっと目は合っていたのだろう。

しかしこの時、ハンナは幾月ぶりにエリシアと視線を交わしたような気がしたのだ。

それはかつての、周囲を思いやる優しい少女の眼差しであった。


「ありがとうハンナ、貴女はほんとうに優しいひとね。私にはそれで十分。十分すぎるのよ。だから私は大丈夫よ、ハンナ。」


それはハンナの最も恐れた光景であった。そこにあるのは昔と同じ柔らかな笑みで、明確に拒絶を告げる主人の姿であった。

ハンナはこの時ほど己の無力を呪ったことはなかった。






ハンナに配置換えが告げられたのは翌日のことであった。

侍女頭はただ辞令を述べるのみで、その理由を一切語ろうとしなかった、それが誰の指示なのかも。

しかしハンナにははっきりとわかった。

これはエリシアからの永遠の拒絶である。

あるいは気持ちを押し殺し、黙してエリシアに仕え続ければ、いつまでも傍にいられたかもしれない。

しかしそれはハンナにとって今生の別れよりも辛く苦しいことであった。

新たな配属先の情報を侍女頭は述べたが、もはやハンナにとってそれは聞く価値のない情報であった。


「…必ず、必ず私がお救いしてみせます。」


その日レステリア王宮よりひとりの侍女が姿を消した。

それは多くの者にとって、取るに足らない事態であったが、人知れず、何者でもない小さな少女の心に深く突き刺さったのである。

存在を抹殺された、か弱い心に。

次話より、第一章です。

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