第9話 夜半
平原を1台の馬車が軽快に走る。
護衛の隊列は無いが、その分素早い行軍が可能となっていた。
馬車を挟むような形で、前後にそれぞれ1騎が少し離れて走っている。
御者台に座るのは冴えない中年の男である。
背中を丸めてふわと欠伸をしながら手綱を握るその姿に白を基調とする洗練された意匠の制服がどうにも似合っていない。
男、クロイス・イグナソルツは白煉隊においてエリシアの身辺警護を務める第1分隊に所属する聖人であった。
「はぁ、こうも天気が良いと逆に落ち込んじゃうよねぇ。」
精鋭揃いの白煉隊に所属する人間とは思えない間の抜けた声を出すクロイスであったが、その手綱捌きは絶妙で、整備のそれほど行き届いていない平原の道だというのに馬車の揺れは驚くほど少ない。
「…ルクレア、近い。」
広々とした車内では、ルクレアがエリシアにぴったりと肩を寄せて座っている。
「えーいいじゃないですかっ!私は護衛なので、エリシア様にぴったりくっついていないとダメなんです!」
「どういう理屈だ…」
いちばん年少だからという理由でエリシアと同乗する役割を当ててもらったルクレアはご機嫌である。
ルインなどは不満そうであったが、なかなか役の決まらないのを見かねたエリシアに、ひと言「頼む。」と言われると忠犬のごとくあっさり前方の警戒を引き受けた。
後方では深い藍色の髪をした長身の女性、セリエ・クレイラントが目を光らせる。
彼女はルインよりもひとつ年上で、今年で24になる。
第1分隊の最年長は36歳のクロイスだが、性格的に護衛4人の中では彼女がまとめ役となっていた。
彼らが向かうのは、南東の辺境ロミネア王国である。
5日ほど前に王都ストレンシアを出発し、現在は王国南東部シエルダ伯爵領を通行中であった。
小窓が開き、クロイスが車内に顔を覗かせる。
「日が傾いてきました。もうすぐシエルダ伯爵領の領都に着きますので、今日はそこで一泊しましょう。」
「わかった。そうしてくれ。」
空の色が変わり始めた平原の遥か前方に、小さく街の影が見えてくる。
シエルダ伯爵領都ミリスであった。
防壁に囲まれたミリスの正面玄関に馬車の音が近付く。
「なんだ?どこぞのお貴ぞ…っ!」
門兵の1人が前方から迫る馬車に掲げられた旗を見て硬直する。
「どうしたんすか?先輩」
相方はものを知らない若者のようで、ぽかんとした様子である。
「どうもこうもねえよ、聞いてねえぞどうなってんだこりゃ…」
見れば馬車の少し前を1人の男がこちらへと馬で駆けてくる。
「どちらさんですかね?ありゃ」
「いいからとにかく頭下げとけ!喋んじゃねえぞ!」
若者は訳もわからず言われるままに膝をつき首を垂れた。
蹄の音が止まる。
「馬上から失礼します。私は第3王女親衛隊所属ルイン・エクスバルトと申します。作戦行動中につき先触れなき訪問となり申し訳ないのですが、本日ミリスに滞在したくシエルダ卿に取り次ぎをお願いできますか?」
「め、滅相もございません。すぐにお取り次ぎいたします。か、開門しますのでどうぞお入りください。」
ルインの口調は丁寧であったが、門兵の男はたいへんに緊張しているようであった。
「ありがとうございます。」
重い門がゆっくりと開き、馬車がミリスに入城していく。
「どうもありがとぉ。」
クロイスが御者台から眠そうに気のない挨拶をする。
2人が頭を低くしてじっと地面を見つめる前を車体が通過した。
そのすぐ後ろをセリエが続いていった。
再び、ゆっくりと城門が閉まる。
「最後の人見ました?めちゃくちゃ綺麗でしたよ!」
若者の第一声に男は驚き半分呆れ半分の表情をつくる。
「バカお前頭下げとけっつったろ。目でも合ったらどうすんだ、不敬罪だぞ。」
実際、目すら合わせてはいけないのはエリシア本人のみで他の面々については問題ないのだが、一般市民の認識は彼と似たようなものが多い。
「下げてましたよ。ちらっと横顔見ただけっす。けど王女様一行そんなやばい人たちには見えませんでしたけどね。」
若者には大して実感がないようであった。
「何言ってんだ第3王女だっつってたろ、てことはありゃ白煉隊だよ知らねえのか?」
「さぁ?なんすかそれ?」
男は盛大に溜め息を吐いてみせた。
「ほんとにバカだなお前は。白煉隊だよ、第3王女直属の聖人部隊。あれが通った後には焼け野原しか残らねえって有名だろうが。」
「なんすかそれ、おっかないっすね。」
いまいち伝わっていない様子の若者に、男はもう1度盛大な溜め息を披露した。
「ようこそおいで下さいました、エリシア王女殿下。」
エリシアたちは領主館の応接室へと案内されていた。
当然、応対を務めるのは領主たるシエルダ伯爵その人である。
エリシアが上質なソファにゆっくりと腰掛けると、すかさず伯爵家の侍女によって紅茶が注がれた。
決して彼女の顔を直視しないよう視線を落としつつ、淀みなく仕事を行う侍女の所作が、シエルダ伯爵家の格式を物語っている。
伯爵本人も、目を伏せてエリシアと視線を合わせないよう注意を払いつつ椅子へ腰を下ろした。
4人の護衛はそれぞれルクレアとクロイスが部屋の外で、ルインとセリエは室内で起立し、いかなる場合にも警戒を怠らない。
「顔を上げて楽にしてくれて構わない。シエルダ卿」
エリシアの言葉に一瞬意外そうな顔をした伯爵であったが、すぐに表情を戻して顔を上げる。
「恐れ入ります。して、今回はどのようなご用件でミリスへお越しになったのでしょう?」
「七聖会談で南東の魔女討伐を引き受けることになった。現在そのために行軍中だ。」
伯爵の目が軽く見開かれる。
「なんと、魔女ですか……。承知しました。宿泊には当家の屋敷をご利用くださいませ。」
「感謝する。」
会話はそこで終わるかと思われたが、伯爵が意外なところに食い付いた。
「ところで、そちらが白煉の?」
伯爵の視線がルインとセリエに向けられる。
「そうだが。」
「左様ですか。これは素晴らしい。噂の精鋭部隊をこの目で見てみたいと思っていたのです。」
シエルダ伯爵家は王国南東部の名門で、これまで複数回にわたって軍事面で王国史に残る功績を挙げている。
当代の伯爵家当主はその中でも特に武芸に関心が強く、当人も低位ながら聖人であった。
「ああ失礼いたしました。お疲れの所を引き留めてしまい申し訳ありません。おい、案内して差し上げろ。」
我に返ったように侍女にそう命じた伯爵は、それでいてやはり話し足りないといった表情であった。
伯爵家での歓迎は、突然の来訪であったにも関わらず贅を尽くしたものとなった。
王宮にこそ及ばぬものの地方領主とは思えないもてなしであり、シエルダ伯爵のエリシアたちに対する率直な敬意が表れているようであった。
晩餐にはルインたちの席まで用意されており、初めは辞退したものの押し切られる形で伯爵一家とエリシア一行の皆で食卓を囲むこととなった。
一家といっても、伯爵夫妻の間には娘がひとりしかいない。
元は長男がいたが、先の西方戦線で戦死を遂げたとのことであった。
娘は名をラピアといい、ルクレアと同じ14歳であったが人見知りなのか暗い雰囲気であまり話さず、礼儀作法もぎこちなく年齢以上に幼い印象であった。
翠玉色の髪を肩口よりも短めに整えた彼女は伏し目がちで、人前に出るのが向かない性格のように見えた。
伯爵に促されて挨拶をした際にも緊張したのか吃ったうえに思い切り噛んでしまい、そのおどおどした様子からは自信の無さが滲み出ているようであった。
そんな彼女に向ける伯爵の目が異様に冷たいのは、あるいは貴族としては当然であったのだろうか。
食事の間も彼は自分の娘を伯爵家の恥部のように扱い軽く罵りさえした。
「もう行きなさい、ラピア。」
「…は、はい。しつ、失礼いたします…王女殿下。」
食事が終わると伯爵は邪魔者を追いやるようにさっさとラピアを下がらせてしまった。
「お見苦しいものをお見せして申し訳ございません、殿下。」
忌々しそうに言う伯爵の表情からは、彼が本気でそう言っていることが伝わってくる。
「見苦しいとは思わなかったが?」
エリシアのそれは擁護というより社交辞令のようなものであったが、伯爵の受け取り方は少々違うようであった。
「お気遣いをいただきありがとうございます。しかしあれはとんだ出来損ないでして、武芸がからっきしなだけならまだしも令嬢としての振る舞いもまともに身に付けられない不肖なのです。まったくお恥ずかしい限りだ。」
その場の誰も伯爵の言葉に表情を変えることはない。
しかし、この親子の歪みを皆が確かに認識したのであった。
それからしばらく伯爵と当たり障りのない会話をした後、エリシアは用意された部屋へと戻って眠りについた。
夜半、ふと目が覚めたエリシアはおもむろに扉を開けて部屋の外に出る。
クロイスが夜間護衛の番らしく、重たそうな瞼をして立っていた。
「殿下、どうかなさいましたかぁ?」
主君を気遣うにしては何とも気の抜けた口調である。
「少し目が冴えてしまった。軽く歩いて戻ってくるだけだから、供は必要ない。」
クロイスは護衛としてそうはいかないと言うべきところであったが、彼の返答を待たずに既に歩き出したエリシアの背中を見て簡単に諦めてしまった。
エリシアがこういう行動に出るのは珍しいことではなかった。
どうも急に眠れなくなる時があるようで、そのような時は決まって少し散歩をして水を飲むとまた寝付けるのだという。
クロイスにとってもこれはある程度慣れた事態であったため、すんなりと受け入れたのであった。
もっとも、付いていこうとする素振りすら見せないのは護衛の中でクロイスくらいなものだが。
しばらく目的もなく歩いていると、どこからか歌う声が聞こえる。
それは足を進めると次第に近づいてきて、はっきりとした音色に変わった。
足元に隙間風を感じて見やると、少し扉の開いた部屋がある。
歌声はそこから聞こえてくるようであった。
エリシアはその部屋に近づき、そして歩みを止めた。
扉の隙間から歌声の主が見えたのである。
部屋の窓を開け放ち、ここ最近は随分と涼しくなってきた夜の風に翠玉の髪を揺らしながら、憂いを帯びた表情で、しかし美しく歌うラピアの姿がそこにあった。




