②小さな科学者と惚れ薬
「せっかくならクラスメイトに会いたいな。まあココは立入禁止区域だから居ないのも仕方がないか」
この埼玉県万能市にある国立黒姫高等学校は大きく分けて二棟に分かれている。教員の間では名称があるらしいが、生徒の間ではα棟とβ棟と呼んでいる。
α棟には普通科の一般生徒が滞在し、β棟には私を含む『ω組』の生徒がいる。両棟の生徒は棟を行き来することはもちろん、教員の許可がない限り生徒同士で接触することすら許されていない。
そもそも棟の行き来ができないようにパスコードを入力しなければ通れない特殊な電子壁で隔てている。表面は膜が貼ってあり普通に触れてもスライムみたいにプヨプヨするだけの電子壁。しかし力を込めて無理やり突破しようと膜の内側にある電子の格子に触れた瞬間、全身に電流が走るそうだ。噂によるとリアクション芸人も真顔になるくらい威力の強い電流らしい。
「この設置を国の教育機関も容認しているってところがまたひどい話だよね」
そう言いつつ私は立入禁止エリアの電子壁をすり抜けて階段を降りていく。山椒を全身に浴びたみたいにピリピリする。そのまま立入禁止エリアもといα棟を散策する。誰かとすれ違ったら通報されること間違いなしだが、それでも誰かに会いたかった。対面で話をしたかった。そういう年頃なのだから仕方があるまい。
「おや、あれは……」
階段を降りていると廊下の曲がり角でいかにも挙動不審な人物を発見した。壁に身体を密着させて廊下を覗いては顔を引っ込めて、それを幾度となくくり返している。昔のFPSゲームで見たことのある動作だった。そのたびに二つ結びのおさげがぴょんぴょんと跳ねている。その怪しい人物もといこの学校の女子生徒は誰かを尾行しているようだった。
「あれで尾行しているつもりなのかな。下手くそにも程があるでしょう。私ですらもっと上手くやれるよ」
呆れながらも面白そうだからと彼女の様子を観察してみることにした。どうやら悪意を持った尾行ではなさそうだった。なぜなら彼女の表情がまるで意中の相手に告白しようと勇気をふり絞る乙女の顔をしているからだ。ああ。これは絶対に面白いことが起こる。そんな予感がした。それに私は彼女のことを知っていた。
「あのちっこい子は同じクラスメイトの、、そうだ、まちこだ!」
名前は湖畔まちこ。1年ω組出席番号6番。小柄で年齢にそぐわない幼児体系のクラスメイトだ。日本人形みたいな艶やかな黒髪は肩のあたりで二つ結びにまとめられている。彼女なりのファッションなのか制服の上から白衣を着ている。記憶が正しければ自己紹介のときに自称科学者と公言していた。だから白衣を着ているのだろう。
まちこは同い年とは思えないぐらい幼い顔立ちをしている。もしかすると小さくなっても頭脳は大人系の子なのかもしれない。その線が外れたなら飛び級でもしてきたのだろう。小さいながらも立派なものだ。頭を撫でて褒めてやりたくなる。そんな母性が働いてしまうほど彼女は小さくて可愛らしく、クラスに一人はいるマスコット的存在だった。
とにもかくにも、彼女もまた立入禁止エリアに足を踏み入れている同志。話しかけない理由はない。そろりそろーりと彼女の背後まで近づき、「なーにしてんの」と耳元で囁く。ついでに、ふぅ、息も吹きかける。大抵は女の子特有の小さく可愛い悲鳴をあげて耳を押さえ、それから頬を赤らめた顔でこちらを見る。そういった女の子ならではの可愛い反応を期待していたのだが、湖畔まちこは一味違った。
「ぎゃひぃやぁ!!」
まちこは叫び声をあげて驚きのあまり卒倒してしまった。出演時間が1秒にも満たないモブの敵キャラがヒーローに倒されたときのような悲鳴だった。お餅のようなふにもちな頬がべたんと床にへばりつく。それだけで済めばよかったものの、彼女の予想外のリアクションのせいで空中で弧を描いて飛んでいる小瓶の存在に私は気付くことができなかった。
《《パリンッ》》、と可愛くない音が聞こえた。
「あー……」