⑪小さな科学者と惚れ薬
「そうやってまた近づいてくるくせに自分から距離を置くのですか。人と関わりたいくせに理由をつけて離れるのですか。そんなのは臆病者だ!」
「そうさ私は臆病者だよ。だから都合が悪くなれば逃げるのさ」
「肯定するな捻くれ者!」
「どうとでも呼べばいいさ。私はこういうやつなんだよ。これ以上、私といても時間の無駄だよ。まちこの求める関係にはなれない。だからここいらでリセットしようよ」
「そんな寂しいこと言わないでください。出会いは最悪だったとしてもこうしてあなたと出会えたことに感謝しているんです。それを無かったことにするようなこと言わないでください」
何度も手を引いてもビクともしない。私を剝がしたければ力ずくで殴る蹴るなりしてください、といった覚悟すら感じる。さすがにそんなことはしないが、戸惑いのなかに一つの疑問が浮かぶ。
「どうしてそこまで私に執着するの? たった数時間だけ一緒に過ごしただけなのに」
「充分ですよ。そのたった数時間で私はあなたのこともっともっと知りたいと思いました。もっとあなたの身体に、心に、触れたいと思いました」
腕から首筋まで指でなぞり、頬に手のひらを当ててくる。さっきまで火元の近くで作業していたからほんのり温かさが残っている。
「あなたはあなたが思っている以上に素敵な方です。だから自分自身をそんなに卑下しないでください。そんなカレンさんのことが私は好きなったんです」
「まちこから愛の告白を受けるなんて照れちゃうな~」
「それですね、これは一種の愛の告白です」
適当にあしらっても丁寧に拾って私に返してくる。目を背けることも逃げることも許されない。真っ直ぐな瞳で私を捉える。重たい愛の圧を感じる。
「私に歩幅を合わせて歩いてくれるカレンさんが好きです。私の心情を読み取って気にかけてくれるカレンさんが好きです。冗談を言って場を和ませてくれるカレンさんが、私を肯定してくれるカレンさんが今日一緒に過ごして好きになったんです。あなたの冷たい言動はすべて私のことを想ってのことでしょう」
「……っ」
肉食女子のようにずいずいと迫ってくる。壁まで追いやられた私の手首を手錠をかけるように握り、ぐいっと顔を寄せてくる。顔を前につき出せばキスができてしまいそうだった。
「カレンさんはもっと自分を愛してあげてください。それが難しいならまずは私を愛してみる努力をしてみませんか? そうすればいつか自分自身を好きになれます。愛情は伝染するんですよ?」
「私に誰かを愛することなんてできないよ。私とまちこの生きる時間軸が違うのだから」
時間の流れる方向は同じでも、私の寿命と時間は数千年前から止まっている。川の中心でたたずむ岩石のように、時間の流れの狭間から抜け出せないのだ。
「言い方を変えましょう」
まちこは私から一歩離れて、胸に手を当てる。
「カレンさんは死に場所を探してるんですよね。それでしたら私を死に場所として選んでください」
「……???」
まちこは自信に満ちた顔でそう言い放ったが、理解が追いつかなかった。
「私が年老いて死んだとして、カレンさんがひとりぼっちになって寂しい思いをするならば私がアナタを死なせてあげます。手を繋いで墓場で一緒に眠りましょう」
「心臓をナイフで突き刺しても死なない私を?」
嫌味っぽく言ってみたが、まちこは二つ結びの髪を揺らし、向日葵のような眩しい笑みをみせる。
「カレンさんを死なせる薬くらい私が開発してみせますよ。幸せを感じながら死ねる最高の薬を。忘れたのですか、私は天才科学者なんですよ? だからそれまでは、私のわがままに付き合って下さい」
どんなに反論しても言いくるめられてしまう気しかしない。彼女の愛の告白は褒めづくしのバーゲンセールで私の調子を狂わせる。すこしだけ期待してしまう。もしかするとこの子なら私を死なせてくれるんじゃないかって。
「こりゃあ勝てないな。降参です」
私は彼女の小さな体を抱き寄せた。
「カレンさんッッ!!?」
私の胸にまちこの顔をうずめる。フィットサイズで抱き心地が良い。それ以上に忘れかけていた幸せがこみ上げてくるような気がした。
まちこの手が腰にまわってくる。力加減が分からないのか息苦しいと思うくらいギュッと抱きしめてくる。それが余計に愛おしく思えた。彼女の優しさと愛情に包容される。誰かとハグをしたのは何年ぶりだろう。こんなにも気持ちが良いものなんだと実感する。
「私は神様に見捨てられてこの世界に留まっているけど、私の女神様はここにいたんだねぇ」
「女神様だなんて大袈裟な」
私はずっと死に場所を探していた。観測者としての役割を終えてひとりだけ世界に取り残されてから、いつか神様が迎えに来てくれることを信じて怠惰に生きていた。
「先のことなんて誰にもわかりません。私は今この瞬間の気持ちを大切にしたいのです。私と一緒に新しい足跡を残していきましょう。後悔なんてさせません」
「今この瞬間の気持ちを大切に、か」
それは私の今までの悩みや苦労を一瞬で解消する魔法のような言葉だった。
「きっとまちこと過ごす青春はレモネードのように甘酸っぱいんだろうな」
「それでお返事はOKということでよろしいのでしょうか?」
「そうだな……」
私もチョークを掴んで黒板に書き記した。二文字のお返事を。
深夜2時を過ぎると街の雑踏すらも眠っていた。科学実験室は液体が煮詰まった音と小さな寝息が流れている。私は瞼をこすり、頬を叩いて眠気を飛ばしていた。惚れクスリは常にかき混ぜ続けなければならないそうだ。私はまちことバトンタッチして大鍋の前で火の番をしていた。
「一時間おきに青い瓶を二滴。液体が固まりだしたらこのミックスジュースを入れてよく混ぜる、と」
布団で仮眠をとっているまちこ。だらしなく腹を出して口端からヨダレが流れている。
「まだ夜は冷えるから風邪ひいちゃうよ。まったく私はお母さんじゃないんだから」
布団を掛け直そうとしたら寝ぼけたまま乱暴に奪われ、近くに敷いてあった私の布団も引き込み、抱き枕にしてふたたび深い眠りにつく。寝相の悪い小さな子供を見ているようで笑いがこみ上げてくる。
「この私が友達を作るなんてね。いや(仮)か。爺さんが聞いたらさぞ驚くだろうな」
惚れクスリの匂いにでも当てられたのだろうか。きっとそうなんだろうな。
「まったく末恐ろしい小さな科学者だこと。まちこは将来、重たい女になりそうだ」
その可愛い寝顔に優しい口づけをして、朝日が昇るまで鍋をかき混ぜた。




