葛藤
「んー、どうしよっかなぁ。何訊こっかなぁ」
特に訊きたい事があった訳ではなかったのか。
「んーと、どうしよう。えっと、何訊こう、っと、あっ、えっと、好きな色とかあります?」
やっとの思いで絞り出したのがそれかよ。
質問タイムとか云っておきながら一問目でつまずいているじゃないか。
「黒、ですかね」
「成程。じゃあ、二つ目の質問。どうしよう。んー、何訊こう」
やはり大したレスポンスはないじゃないか。
「別にいいですよ、なかったらないで」
「いや、質問タイムなんで」
意味が解らない。
「じゃあ、次。んー、あっ、靴のサイズとか」
「えっ、二十六センチ、ですけど……」
絶対興味ないだろ、そんなの。
「好きな天気は?」
「えっと、晴れ、ですかね」
何だよ、好きな天気って。考えた事もない。
「晴れかぁ」
大して興味ないなら質問するなよ。
寿老人は考え込む。
早くこの質問タイムとやらを終わらせたい。
「あの、ホント、いいですから、別になかったらないで」
質問タイムを終わらせる方向に持っていこうとしたが、「いや、大丈夫ですよ」と云われた。
こっちが大丈夫じゃない。
「じゃあ、次の質問です。海と川だったらどっちが好きですか?」
普通、海と山じゃないのか。そう思いながら、「海、ですかね」と答える。
「カレーは、ドロドロ派ですか? しゃばしゃば派ですか?」
遂にレスポンスが一切なくなった。
「しゃばしゃば派です」と答えると、寿老人は再び考え込む。
僕の質問がこの無意味な時間の引き金となってしまったらしい質問などするんじゃなかったと、後悔が強まる。
「じゃあ、飴玉は、かじる派ですか? なめる派ですか?」
「あの、すみません」
「はい」
これ、何か意味があるんですか。僕をテストしてる、みたいな」
「いえ、別に意味なんかありません。ただ気になってるだけです」
本当に意味はないのだろうか。
「で、どっちですか?」
このまま質問タイムが終わるかもしれないと期待したが、寿老人がそれを再開させた。
「なめる派です」
「吹き替え派ですか? 字幕派ですか?」
「字幕派です」
「じゃあ、洋画と邦画だったら」
「洋画です」
訊く順番逆だろ。
「つぶあんとこしあんだったら」
「つぶあんです」
「おにぎりののりは、パリパリ派ですか? しっとり派ですか?」
「パリパリ派です」
「シチューは、ご飯にかける派ですか? かけない派ですか?」
「かけない派です」
「大晦日は、紅白派ですか? ガキ使派ですか?」
「紅白派です」
何故か二択ばかりになった寿老人からの質問に適当に答えていく内に、そのテンポが上がっていく。
「あの、すみません」
「はい」
「千里眼は、使わないんですか」
「千里眼ですか? いや、あれは一日に使えるトータル時間が決まっていて、あんまり使い過ぎると死ぬ程体調が悪くなるんです。だからあんまり無駄に使いたくないんです。さつまいもは、ねっとり派ですか? それとも、ほくほく派ですか?」
まだ続くのかよ。
「あの、知りたいですか、ホントに」
「知りたいです」
当然だ、とでも云う様な表情と口調で寿老人は云った。
「ねっとり派です」
「刺身を食べる時、わさびは醤油に溶かす派ですか? それとも刺身に乗っける派ですか?」
「それ、知りたいんですか」
「知りたいです」
「溶かす派です」
「ラピュタとナウシカだったら」
「ラピュタです」
何故、数あるジブリ作品の中から二択に絞ったのだろう。
「とうもろこしは、何粒か取って食べる派ですか? それとも、こうやって食べる派ですか?」
親指と人差し指を広げた両手を口の両端に持っていきながら云った寿老人の質問に、「取って食べる派です」と答えた。
「ヤッくんとモッくんだったら」
何故、フッくんを除外したのだろう。平成生まれであるが故、彼等に関しては愛称と代表曲のタイトル以外は殆ど知らないが、適当に「ヤッくん、です、かね……」と答えた。
「じゃあ、朝食はご飯派ですか、それとも、あっ! そうだっ! 朝食食べてないっ!」
「〇×△□△◇×●▲ですか?」
寿老人が僕に何か質問しているらしいが、口いっぱいにパンが詰め込まれているため、全く聞き取れない。
「はい?」
聞き返すと寿老人は口に詰め込んだパンをごくんと飲み込んだ。
「〇×△□△◇×●▲ですか?」
まだ入ってんのかよ。
「あの、すみません、もう一度」
再びパンを飲み込んだ寿老人が「貴方は食べないんですか?」と云っている事が解り、「いえ、僕は」と返した。
「食べたら眠くなっちゃったなぁ。もう一回寝るか。ちょっ、動くなっ」
背中に頭を載せられた鹿は、脚をじたばたと動かして抵抗している。
「おい、うご、おいっ! ちょっ、おいっ! うごっ、おいっ! ちょっ、うごっ、おいっ! うごっ、おいっ!」
結局鹿は抵抗を諦め、大人しく枕の役目を務める事にしたらしい。それから、寿老人はすぐにいびきをかき始めた。
〝寿老人〟とググってみる。
うぐいす色の束帯の様な恰好をした、かなり小さな躰。
皺だらけの皮膚。
真っ白な長い髭。
紐で巻物が吊るされた木の杖。
そして、鹿。
墨で描かれた本格的な絵からポップなタッチで描かれたそれまで幾つも見付かり、何れも目の前の男と同様の姿だった。
「鴨せいろと、カツ丼と、そば稲荷」
テレビ台に出前のチラシが数枚置かれているのに気付いた寿老人は、そば屋のそれを勝手に取ると、束帯の袖から取り出した黒いガラケーで注文を始めた。
「貴方は?」
「いえ、僕は」
この状況の奇妙さが空腹を掻き消しているらしい事に気付く。
寿老人は「何か食べなきゃ駄目ですよ。朝も食べてないじゃないですか」と云ってきつねそばを注文して電話を切り、束帯の袖に入れた手をもぞもぞと動かし始めた。
「あっ、お金。参ったなぁ。どうしよう。マズいな、どうしよう」
「あっ、じゃあ、僕が」
僕は反射的に云ってしまった。
「あら、そうですか。では、お言葉に甘えて」
お言葉に甘えるのが随分早いな。
「すみませんね、出してもらっちゃって」
「あっ、いえ」
寿老人は過剰な程息を吹き続けた麺を勢い良く啜った。
この男の図々しさからすると、最初から僕に払わせるつもりだった可能性がかなり高い。
食事を終えた寿老人は欠伸をすると、上体を倒し、腹をぽんぽんと叩くと、そのまま大の字になり、すぐにいびきをかき始めた。
突然他人の家に上がり込んで数本の缶ビールを飲み、ミルクレープを食べ、朝まで寝てコーヒーを飲み、二度寝して勝手に出前を頼んで支払いをさせ、今度は昼寝。
今まで漠然とイメージしていた神様とはかなり程遠い。
この奇妙な体験談の序章として、自分のコンプレックスと今までに応募した小説の梗概を綴り終えると、脳の疲労に気付き、ひとまずこの辺にしておこうかと天井を見上げた。
潔癖のくだりが想定以上に膨らんでいき、気付くと、原稿用紙四枚分にも及ぶ長さになっていたため、大幅にカットする事にした。
ギャルモデルがフリップに書いた珍回答に共演者達が爆笑している様子。
タレントが自ら撮影したらしい、簡単なイラストで顔を隠された四、五歳の息子と遊んでいる様子。
実業家の男が大雨の夜道に車を運転しながら密着取材を受けている様子。
ゆっくりと上体を起こしてテレビのリモコンを握った寿老人は、がちゃがちゃとチャンネルを回す。
「やっぱ、この時間は面白いのやってな、あっ、そうだっ! すみません、私達、ちょいとパトロールに行って参りますっ! 一時間くらいで戻りますから」
何で戻って来るんだよ。
寿老人は自分を黒ジャージ姿の中年の男に変え、小さな亀の姿に変えた柴犬(鹿)をズボンのポケットに入れ、リュックを持たずに玄関を出た。
それから僕は、すぐに除菌スプレーを握った。
いつになったらあの男は帰るのだろう。
早く帰ってくれ。
いや、あの男は小説のネタになる。
振り子の様にジレンマを繰り返しながら除菌スプレーの中身を詰め替えていると、眠気に襲われた。
一睡もしていない僕はそれに従い、ソファーで横になった。
早く帰ってほしい。
だが、あの男は小説のネタになる。
何往復かしたジレンマがフェードアウトしていく様に、眠気が強まる。
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