『苗という私』、『プラリネという私』
目覚めた朝、外は風も荒れない澄み切った快晴だった。ベッドの脇には、セムラや侍女たちが準備していってくれたのだろう朝支度の一式が置かれていた。伯爵夫人の言った通り、私を可能な限り一人にしてくれる心遣いがありがたい。
サンドイッチとフルーツにサラダという温め直す必要のない朝食を頂き、汚れ物と皿をまとめたワゴンを扉の外に出すと、私はすぐに文机の引き出しを開けた。昨日に引き続き新たに増えた苗と「スイプリ」の記憶を、続きのページに書き連ねていく。
幼い身体の中でパンク寸前の記憶を手が痛くなるまでノートに書き出すことで、少しずつ頭の中で苗の記憶が整理されていくようだ。『かつての世』でシェアハウスに転がり込んだ数日後のことを思い出した。私物のほとんどを持ち出すことも許されないまま詰め込まれたものは仕事道具ばかりの大きなボストンバッグひとつで引っ越した私を連れ出した親友に勧められるがまま、新生活のための家具やインテリア、食器、雑貨などを丸一日かけて買い回ったっけ。部屋いっぱいに積まれ並んだダンボールは最初こそどこから手をつければいいのかわからないほどだったが、大きいものから一つずつほどいて包装を剥がし並べていくうちにすっきりと整頓された理想のマイルームになってくれたのだ。
私の頭の中も同じなのかもしれない。プラリネの身体に引っ越したばかりでとにかく急いで詰め込まれただけだった苗の記憶たちは、『かつての世』でファンタジーでしかなかったはずの異世界へ憑依したことへのショックの大きさに苗の人格が耐えられるよう『かつての世』で培った常識という梱包材で何重にも守られていたのだろう。三人との対話で、私の心は昨日よりもずっと落ち着けている。ノートに記録していくうちに記憶は一つずつ紐解かれ、本来のあるべき場所に整頓され、プラリネの記憶をぺちゃんこに圧迫していた無駄な容量を少しずつ最適化していくようだ。
一つ紐解かれた苗の記憶をノートに書き写し、プラリネの記憶が元の形に戻る感覚を確かめるとまた次の苗の記憶のダンボールを荷解きする。何度も何度も繰り返し、ノートが最後のページを残してびっしりと埋まった頃にセムラではない侍女が扉をノックした。
ノートをしまい込みベルを鳴らして入室を促すも、扉が開いただけで入ってくる様子はない。疑問に思った私が振り向くと、そばかすが目立つ顔に赤毛が映える侍女は人懐っこい笑顔でプラリネを呼んだ。
「セムラさんから伺っております、お熱は下がられたのですよね」
「ええ、もうぶり返すことは無いと思うわ」
「それは何よりでございます。もしお身体に差し支えなければ、今日のティータイムは薔薇園でなさいませんか? 厨房番がこしらえていたローズのシロップがとても良い塩梅に漬かったのです。そよ風にあたって薔薇を眺めながら、ハーブティーと混ぜた美しいローズドリンクを楽しまれてはいかがでしょう。氷を使いますので、私がその場でお作りいたします」
セムラからアフタヌーンティーの傍仕えを直々に任されたのであろう侍女の名前はロクムーリェ。今しがた記録したばかりの「スイプリ」の記憶によれば、公式設定本ではセムラの次のページに載っていた侍女だ。
地方で弱小印刷会社を営む慎ましい一家の次女に生まれた、食べ物や料理の本をこよなく愛する健啖家。素材の味を楽しむと言えば聞こえはいいが、出版物といえば新聞と地元の商店街のチラシや商品ラベルの発行以上の仕事がほぼなく火の車の経営状態から貧しさ極まる粗食に耐えられず、質の高い食生活を求め奉公に来たという。ストーリー上では名前だけしか出てこなかったものの、食に並々ならぬこだわりを持つ日本人なら共感せざるを得ない性格設定に陰ながら人気が高まり、公式設定本で収録されるにあたり初めてキャラクターデザイン画を描き下ろされたというかなり特殊な経緯をもつ。
プラリネの記憶によれば、ロクムーリェは侍女としての仕事以外の時間をほぼ厨房に入り浸り、厨房番の業務を手伝う代わりに料理や製菓の知識と技術を教わっているらしい。初めて作る菓子で一番うまく仕上がったものを必ず内緒のおやつとしてプラリネにこっそり渡しに来るという健気さが何とも愛おしく、今日もきっとローズドリンクのレシピを習ったばかりなのだろう。
『かつての世』でストーリー攻略だけでは知りきれなかったプラリネの人生を同時に追体験できる喜びだけでも、実際に動いている人気サブキャラを生で見られる喜びだけでもない。親友が愛してやまなかったプラリネがこんなにも大切にされているという事実こそが何よりも嬉しい。
断る選択肢などなく椅子を降りれば、ロクムーリェはこれでもかと破顔した。私に歩幅を合わせてくれているものの、逸る気持ちで足取りが早まっては慌てて私を振り向き追いつくのを待つことを繰り返す様が可愛くて仕方がない。
「昨日の夜から作っていたアイスクリームも、魔石冷凍庫で完成したところなんです。今回は凄く質のいい粉末飴が破格で手に入りまして、今までで一番なめらかで独特の弾力も感じられる面白い食感に仕上がったんですよ! 真ん丸になるように掬ってドリンクのてっぺんに乗せたのですが、これがもう絶品で。薔薇の蕾の砂糖漬けでアイスの頂点を飾った姿はまるで美酒の化身、プラリネお嬢様もきっと将来はあんな風に美しくきらめく淑女にお育ちになるのでしょうね……ああ、構成こそシンプルながら組み合わせ方の多様さ、シロップの濃度のバランスに氷の質。フロートの可能性はお嬢様の可憐さのようにまだまだ底が知れません! 敢えてシロップをハーブティーと混ぜ過ぎずにグラデーションの美を楽しむのも良さそうなのですが、アイスが乗った状態では飲む前に掻き混ぜにくいという問題の解決策がなかなか……」
心から食を愛するロクムーリェの壮大な食レポが、既視感のある早口で次々と捲し立てられる。何かを愛ゆえに突き詰める者は誰でもオタク、『かつての世』での自分の沼落ち当時の記憶から猛烈なシンパシーを感じてしまう。
お母様の選んでくれたお土産であるドレスと同じ色の、私の誕生日に植えられたという薔薇が咲き誇る薔薇園。そこで供される予定の、薔薇と同じ色をした手間暇かけたフロート。日々の業務で行き交っているはずの使用人達が廊下にいないのは、挨拶に気を配らなくてもいいようにと皆が私を気遣い業務の時間を変更したのだろう。
「プラリネお嬢様、明日は何のハーブティーをご所望でいらっしゃいますか?」
『ナエさんは、この先どうしたいの?』
ロクムーリェが無垢な笑顔で投げかけた質問に、昨夜伯爵夫人に問われた言葉が重なって蘇る。
熱が下がったばかりの愛娘を脇に置いてまで、望んでもいなかった理不尽な憑依に戸惑う苗に真正面から向き合ってくれた伯爵夫人。まだ今日の分のアフタヌーンティーがこれからだというのに、明日の私を幸せにするための準備に今から逸るロクムーリェ。夫人に残酷な判断の結末を先んじて背負われその重荷を引き受けようとする言葉すら窘められ、領主の責任といち父親としての愛の葛藤に最後まで悩みながら静かに部屋を出ていった伯爵。夫妻の後をついて、終始感情的に出しゃばることなく侍女としての責任にただ自分を律し続けたセムラ。
「グラデーションがきれいなものがいいのよね? 今年のシロップで赤の発色がいちばん濃いのは、確かフレイムチュベローズのシロップだったかしら。それを底に沈ませてバタフライピーティーを注ぐのはどう? 混ぜたら紫色になるわ」
「またお嬢様ったら! 私の研究に付き合うのではなくお嬢様ご自身が飲みたいものを仰って下さいませ」
「飲みたいもののデザインを考えているうちに思いついたのよ、こんなのがあったらなあって思っただけ。楽しみにしてもいい?」
「うぅっお嬢様が天使……いや知ってますけどそんなの今更ですけど全人類知ってる常識ですけども……」
「常識はさすがに過言よ」
「いや常識になるべきです、寧ろ全人類の常識じゃないのがおかしいんです。そしてそのティーパンチはすっごくやってみたいので早速今日のうちに厨房に伝えます……!」
私が『この世界』でしたいことはいったい何だろう。シンプルながらも私自身の心をどこまでも掘り下げた先にしかない答えを見つけるまでのタイムリミットはあと半日と六時間。
プラリネに思いを馳せながら『かつての世』で足りていなかった自分を見つめ直す時間を過ごすのに、薔薇園は最も相応しい場所なのかもしれない。
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プラリネの幼い身体では午前中のノートへの記憶の書き出しだけでも重労働であったらしく、アフタヌーンティーの後の時間に新しい記憶が紐解かれることはなかった。
ロクムーリェが目の前で作ってくれたストロベリークォーツの色をしたフロートは強すぎない日差しを受けて輝き、彼女の興奮と試行錯誤の日々を裏切らない美味しさだった。薔薇の芳醇な香りが鼻から抜け、アイスクリームを食べ終わってドリンクに沈んだ薔薇の蕾の砂糖漬けが水分を吸い糖衣を割って膨らむ音も合わさるフロートは五感で楽しめた。『かつての世』にあったのならば必ずや話題を呼んでいたことだろう。
思い切って記憶の書き出しをやめ、ゆっくりと静養することに決めた私はとことん眠りに眠った。ディナーの一時間前にようやく目覚めた身体はやっと疲労感が抜けたのだろう。軽くなった気がする体にイブニングドレスを纏うと、侍女達がようやく安心したようにリラックスしたのがわかった。
「お嬢様、夕食の時間です」
侍女達が部屋を出て少し経ち、夕食の時間。少し前に帰ってきたというセムラが私を迎えに来た。
「ありがとうセムラ。休暇は満喫できた?」
「お心遣い痛み入ります。町に降りて、侍女仲間と一緒に流行りの店を巡り服や雑貨を買いました。街の友人夫婦がオープンしたばかりのティーサロンに招かれアフタヌーンティーセットを頂いたのですが、それが絶品でございました。是非ともお嬢様をお連れできたのならと盛り上がりましたよ」
「そう、ちゃんと息抜きの時間を過ごしてくれて本当によかった。もっとプライベートを大事にして欲しいってずっと思っていたの、セムラの時間をあげられて安心したわ」
「お嬢様……」
「私もね、ロクムーリェが考えてくれたフロートが本当に美味しくて素晴らしかったのよ。明日は私が思いついたティーパンチを再現してくれるんですって。きっとセムラさんも使用人用の休憩室で飲めると思うわ、ロクムーリェの研究のためにも正直な感想をお願いね」
プラリネの記憶によれば、セムラはこの屋敷に就職してからというもの年末年始の里帰りの他はほとんど有給を取っていなかった。プラリネはそんなセムラのことを『領主夫妻である両親に等しく自制心の完璧な淑女』と神聖視していたきらいがあったようで、プライベートを削ってまで仕え続ける忠誠に後ろめたさを感じつつあったようだ。
もっとも、実際のセムラはプラリネを溺愛するあまり仕える時間が減るのが辛かっただけなのだろうと苗は冷静に判断していた。お互いを大切に思う余り肝心な部分ですれ違っている二人がもどかしくも愛おしく感じられる。何とかお互いの誤解を解いてあげられたらいい。
「セムラさん? どうしたの?」
「……何でも、ございません。大丈夫です、足を止めてしまい申し訳ありませんでした」
ダイニングルームの前に着いた私を、少し離れた場所で立ち止まったセムラが戸惑いと感情の昂りといった出で立ちで見つめていた。私の声で初めて足を止めてしまっていたことに気付いたらしいセムラは、ほんの一瞬だけ何かを堪えるように目を瞑った。遠目から見れば埃っぽい風の中での瞬きに見えなくもない表情の理由を尋ねる前に、セムラは私に追いつき私の代わりに扉をノックする。
中からシュクルドリュージェ伯爵の声が聞こえ、私とセムラは共に入室した。
「お父様、お母様。おかえりなさいませ」
「ああ、ただいまプラリネ。今日はゆっくり休めたかな」
「はい。お心遣いに甘えさせて頂きましたこと、心よりお礼申し上げます」
「ナエさん、そんなに固くならずに。たくさん食べるといい、病み上がりには栄養が必要だからね」
私とセムラの二人に着席を促す伯爵がハンドサインを送り、セムラ以外の使用人は全員がダイニングルームを出ていく。セムラは長く広い食卓テーブルを目の前に伯爵と合わせるべき視線を逡巡させる。家庭教師を兼ねるとはいえ専属侍女でもあるセムラは、遠方の実家がシュクルドリュージェ家よりも歴史の長い伯爵家であるとはいえ一人の使用人な訳で、使用人が雇い主の一家と同じテーブルにつくのは貴族のしきたりに反する。
普段のセムラならば伯爵夫妻の好意だけを受け取り私の後ろに立ったまま離れずにいることで無言の拒否を示しているところだが、セムラの表情は何かを覚悟したかのように真剣で思い詰めたように暗い。幾ばくか躊躇った素振りののち、意を決したようにセムラも私の隣に座った。セムラが腰を落ち着けたところで伯爵は昨晩同様に全ての扉と窓に施錠魔法をかける。
四人が向かい合う食卓の皿それぞれ目掛け、伯爵夫人がくるりと指で円を描いた。伯爵、伯爵夫人、私、セムラの順で皿いっぱいに転送魔法陣が浮かび上がり、続いて四人同時に目の前にポタージュスープが現れる。真っ赤な色をなるべく退色させず滑らかに仕上がったそれは間違いなくビーツだろう。
ただの偶然とわかってはいても、懐かしさに込み上げるものがある。『かつての世』でまだ私が義務教育低学年だった頃、母がもういいこんな生活に耐えられない実家に帰ると癇癪を起こし初めて私を放置したまま飛び出していった夜のこと。たまたま学校の宿題の相談で親友がかけてくれた電話に涙が溢れ辛抱堪らず現状を打ち明けたところ、すぐさま家まで迎えにきて夕食に招待してくれた親友のお母さん。あたたかい食卓でひときわ鮮やかな色彩に目を奪われた、レシピサイトで見て作ったというビーツのポタージュスープ。
スプーンで手前から掬い、垂れ滴をそっと皿の淵でこそげてから口に運ぶ。ビーツではなく、炎属性の魔力を含んでいるだけのまだ苗が知らない農作物なのかもしれないけれど。飲み込んだ胃が少し熱を帯びたように感じるのは、今だけでも懐かしさのせいだと思いたい。一口またひとくちと飲み込み、最後は三人に倣いパンをちぎってスープ皿の隅々まで拭い平らげた。『かつての世』での記憶よりも少し塩気とスパイスの香りが強いのは、滋養強壮を目的にしているのだろうか。
プラリネの記憶や『かつての世』で元婚約者に仕込まれたマナーから判断すると、次は前菜なのだろう。だが伯爵夫人は指で伯爵の皿を指したあと、続きの転送術を使うのをやめて手を握りこんだ。伯爵もセムラも、伯爵夫人に続き私を見詰める。一日かけて固まった私の決意を言うのは今だ。
「私がこの世界でしたいことを、ゆっくり考えました。保志野 苗としての私は、第二の人生をこの身体で生きるつもりはありません」
驚愕の表情で狼狽え始める三人にとって、私の答えはよほど予想外であったらしい。かつての母や父のような大声を上げないまでも、しばらくの間は誰も声を上げられずに静寂だけが続いた。
「私は……保志野 苗は、もう保志野 苗の人生をプラリネを乗っ取ってまでやり直したりはしません」
「ナエさん……それは、本当に、君の本心かね」
「紛れもない本心です。私は、前世で親友が憧れたプラリネの中で、記憶同士を共有しながらプラリネの人生を追体験していきます。プラリネが今後の人生でしたいことを叶えるのに、誰より早く誰より傍で手を貸したいんです。前世の文明には魔法がありませんでしたが、その代わりに魔法に関わる技術を必要としない機械や電気、蒸気などを利用する文明が発達していました。プラリネの未来に『この世界の常識だからこそ』起こりうる障害を、私の人生経験でしか助けられない時が来ると思うんです。その時はちょっとだけお願いして身体をお借りするかもしれませんが、明日からはちゃんとプラリネに身体の主導権をお返しします」
「ナエさん、あなたは。そこに何の諦観も譲歩もなく、本心から『苗の人生をやり直さない』というの?」
「はい。私はプラリネです。異世界人である保志野 苗の人生経験と記憶をいち特殊能力として身体に宿した、プラリネ・シュクルドリュージェです」
伯爵も伯爵夫人も、セムラも、信じられないと言わんばかりの表情で私を見詰め続ける。流石にここまで居た堪れない空気に晒されてしまうと無性に喉が渇き、ワインの代わりに注がれていた山葡萄のジュースを口に含んだ。
これだけ濃厚ならばもっと酸味も強かったはずなのに、プラリネの幼い舌に辛くないよう渋みの成分がある程度まで取り除かれ水飴を溶かし込んでくれている。部屋を出ていった出る前に控えていた使用人達に私を拒んだり見下したりするような視線は何一つなかったことから、苗の件は本当にこの四人の中だけに留めておいてくれているのだろう。
「君は、本当にそれでいいのか」
「いいんです。保志野 苗の人生はもう終わったんです。この身体はプラリネのもので、プラリネはプラリネの人生をプラリネの心に従って謳歌すべきです。そう思っている私の、苗の気持ちに、何一つ偽りはありません」
「残酷な経験ばかりの前世で得られるはずだった幸福を、いくらでも取り戻せるのよ。その権利が欲しくないと本気で仰るの?」
「ちゃんと幸福でした。取り戻すも何もないんです。私は、保志野 苗は、前世でちゃんと幸福に生き抜きました」
保志野 苗という一人の異世界人に対してここまで存在を尊重してくれる三人の姿勢は確かにありがたい。けれども私は、時間をかけてちゃんと私自身の後悔や悲しみの本質に気付くことができたのだ。
「昨晩お話した通り、私は前世で物語小説の作家をしていました。そのきっかけは、親友が急な病で植物人間になる直前に二人で作った自費出版の本です。その親友とは二冊目も出そうと計画を立てましたが終ぞ叶わず、私自身も過労で死にました」
「……その挫折した夢は、ここでは叶わないという訳だね」
「はい。『彼女』との合作でないなら何の意味もありません」
「……あなたは幸せだったと、そう言いたいのね?」
「はい。私は私なりの全力で前世を謳歌できました。親友と彼女の家族に苗と呼んで愛してもらえたのは、苗だけの誰にも譲れない宝物なんです。プラリネに、ただ苗を取り込んだだけのプラリネとして生涯を全うしてほしい。プラリネの幸福のために、誰より傍で助けさせてください。お願いします」
隣で顔を覆っているセムラがどんな心情なのかはわからない。苗として話している私がその震える肩に手を置くことが、慰めになるのか追い詰めてしまう逆効果なのかわからない。今は不用意に触れない方がいいだろう。
実の両親や元婚約者、職場の仕打ちは確かに酷かった。でも、その苦しみを補って余りある慈しみを親友と彼女の家族が惜しみなく与えてくれた。私は確かに、前世でちゃんと幸せだった。私がこの世界で苗としての人生をやり直してしまったら、彼らが私に注いでくれた愛を否定してしまう。