笑わば笑え、こちとら真剣な葛藤なんだ
ディヴァンドワーズ州第二王子であるザッハー様は、当然ながら国内において最上階級、王族の生まれだ。ザッハー様の実兄である第一王子殿下も異母兄である王太子殿下も、既に弊学園を卒業されて久しい。
つまり学園に入学した時点で学園の生徒会執行部、最高位の生徒会長にザッハー様が任命されることは必然といえる。いかに優秀な人材が他にいようとも、貴族社会の縮図に等しい学園内において王子様を差し置いて自ら生徒会長にと立候補するような恥知らずは当学園にはいない。そしてザッハー様の側近である私もまた生徒会執行部に所属することは免れず。
新入生でありながら選挙すらなしに生徒会長と副会長の座につくこととなったザッハー様と私、そして側近補佐の三人は、三年生の先輩方からの業務引き継ぎのため放課後を下校時間のギリギリまで生徒会室に籠もること二週間。さらに二週間を経て、殿下も私達もようやく本格的に業務に携われるようになってきた。生徒総会の準備は順調に進み、特に急ぎの仕事もない。
そんな少しばかりの時間の余裕を何に費やすかというと。諦めの悪い私は、読み返しすぎて端がめくれ始めてすらいる資料をもう一度舐めるように読み込んでいる。
「プラリネさん、もういないですってこれ」
「シャラップ」
「聞かないフリやめましょ。いないですって」
「聞きたくない」
「了解、はっきり言いますね。プラリネさんの言うところの銀魔力の聖女さん、いないんじゃないですか?」
「いやだ」
「もう積んでますってこれ。絶対いないです」
「やめて本当にやめて。それ以上は私のメンタルに効く、最悪の方の意味で」
「だって実際いないですもん。天真爛漫で貴族教育サボってる未熟な男爵令嬢の新入生、ほんっとにゼロですもん」
「嘘だ」
「現実見ましょうよプラリネさん。もうこれ以上調べるもん無いですって」
「嫌だよぉおおおおおおおおお」
憑依してからこの学園に入学するまでの九年間、色々あった。それはもう色々だ。何せ側近を決めるための試験自体が行われないことに始まり、プラリネの幼少期に本来起こるべき誰か死ぬイベントは全回避、前世の知識フル動員でシュクルドリュージェ領は本来の設定よりもかなり発展してしまいましたので。
そんな前世知識容赦ゼロ反映なチート解決を重ねる日々の末に来たる本日。一ヶ月前に入学式を無事に迎えられたどころか無事に生徒会に所属し、そのまま何のトラブルもなく学園生活において勉学部活動ともに精を出していられるだけでありがたいといえばそうなのかもしれない。最推しザッハー様の心の闇こそゲームのシナリオ通りヒロインたんとの邂逅後に解決してほしいがため私からは敢えて触れずにここまで来たものの、正直言うとザッハー様のキャラ変の速度も歴史変えに比例してだいぶ加速しつつあるのは否めない。
「あーあ始まった、プラリネさんの理想令嬢発作」
「いるの。絶対いるの、いない訳ないの! いてくれなきゃ困る! 認めたくないほんっとに認める訳にいかないのよザッハー様とヒロインたんの相思相愛成長大団円エンドを見届けるまで死ねないのよ何でいないの……嫌だ……!」
「いやー、毎日凄いなって思ってますけど擬態が流石っすね。生徒会以外の全校生徒まだプラリネさんのこと理想の貴族令嬢って疑ってないの鼻で笑いたくなりますもん」
「当たり前よ真のオタクはパンピーに擬態してこそでしょうが」
「そこは僕相手にも擬態して欲しかったんだよなあ」
「側近補佐相手に化けの皮キープは無理。やだほんとにやだヒロインたんどこなの……会いに来てよ私じゃなくてザッハー殿下に……そのまま足がもつれてザッハー様の胸板にダイブからのラブストーリーは突然に始まれ私じゃなくてヒロインたんで」
「一生ブレないなこの人」
先程から私の心を抉りに抉る童顔系美男子は、現実を嘆く私の横で生徒会の承認書類を淡々と精査し執務机の上を整頓する手を止めずにからから笑う。
ザッハー殿下の側近についた日から私の補佐を担い続ける彼は、ディヴァンドワーズ州のカダワイフ辺境伯三男、タトゥルスだ。原作ゲーム「スイプリ」において、攻略対象に嫌われたうえライバル令嬢を溺愛する攻略対象の権力によってヒロインが没落もしくは追放はたまた死亡という完全敗北エンドの場合にのみ活躍したサブキャラである。
ゲームの展開通りなら、側近を決める最終試験においてプラリネと彼が残り、忠誠心の差を理由に彼が落とされたという苦い経歴だ。三男の生まれや先述の経歴からくるコンプレックスを昇華するために、ヒロインたんを言葉巧みに惑わしプラリネを失墜させるよう画策。からの最後は気まぐれでやっぱあんただけ幸せになるの癪だわ俺もろとも不幸になれと手のひら返しで裏切り共に堕ちる、何とも器の小さな男だった筈だ。
まあ、私が彼を本来の立ち位置にさせないためにそれはもう身も心も粉になるまで性格の矯正を頑張りに頑張った訳です。だってヒロインたん絶対不幸にしたくない。あとこの愛くるしいワンコ系くりくりおめめイケメンに「僕だってあの女と同じ三種持ちのブラウンアイなのに! あんな人形よりこの僕が劣っているだと?! 出しゃばるなよ殿下のお隣は僕のものだ僕だけのものだ僕こそが殿下に死ぬまでお供するんだ死ね売女!」なんてクズ野郎台詞を言わせるのは実際に会ってみて想像だけでしんどかった。守備範囲外すぎるザッハー殿下とタトゥルス君の病んデレBLが一部界隈で沸きに沸く妄想スレとかうっかり見てしまい苦しんだ記憶で頭が痛い。
私の個人的解釈でしかないのだが、タトゥルス君は病むだけならまだしも暴言方面の発狂させていい顔立ちじゃない。彼のコンプレックス払拭にはそれはもう頑張ったんだ、御家族とのしがらみあれやこれやの仲介に領地への援助、交易のための馬車道開通に業務提携エトセトラ。私そろそろ何かしら名のつく賞を頂いていいと思う。
……まあ。ヒロインたんと確証をもてる令嬢がそもそもの設定通りに現れていない時点で、この努力すら今では無駄になってしまった訳ですよね。泣くぞ。
「そもそもですけど、実際に場所状況立場弁えてない常時天真爛漫な男爵令嬢さんが存在してる時点でいかんやつですからね。言葉だけなら聞こえはいいけど、貴族社会では感情を表に出さないように訓練できてないと何かにつけてつけ込まれる隙にもなる訳だし。家名の恥でしかない礼儀ゼロ令嬢が殿下と恋に落ちて玉の輿はどう足掻いても無理ありますって」
「ぐうの音も出ませんわ」
「男爵令嬢教育ですらまともに身につかないのに第二王子妃教育なんか耐えられる訳ないし。庶民からしたら夢のハッピーエンドでも、殿下付きの僕達からしたら結婚後が地獄でしょう。結ばれたとして殿下が余程の人見る目ないバカですね。ディヴァンドワーズ王家が一夫多妻制じゃないのが救いですよ、後宮があったとしてそんな令嬢が正妃になった日には殺し合いになってます」
「ごめんなさいってば! もう愚痴りません!」
「誰がバカって?」
「ア゜っっザッハー殿下! 違います仮定の話です! 何でもないです!」
「不敬罪ざまあ」
「うっわ、プラリネさんほんっとそういうとこある!」
私とタトゥルスの語らいを時折吹き出しながら聞いていたザッハー殿下が、静かに突っ込みを入れた。また顔をくしゃくしゃに笑う殿下尊い。
こうして年相応に屈託なく声を出して笑えるのも、あとたった四年。嫌でも心を殺す責務に死ぬまで全てを捧げることになる学園卒業後を考えると、爵位の垣根を超えてたくさんのイケメンと美女と円満エンドに至ったヒロインたんに殿下の心の拠り所としての未来を託したくなる気持ちくらいはわかって欲しいものだ。
「でもまあ、流石に調書からこれ以上の新しい発見は無理だと思うよ。予言とここまで違うなら、そもそもこの世界が予言の平行世界って可能性に定義するしかないんじゃない?」
「わかっては、いるんですけども……」
「殿下の仰る通りですよ、諦めましょうプラリネさん。さーて、俺の入学式前まる一日張り込み待機業務について。特別給の話そろそろちゃんとしませんかね」
「それについては本当に無駄足にさせてごめんなさいとしか」
「向こう一ヶ月、学食アフタヌーンティーセット俺のもプレミアムランクに上げて下さい」
「二週間」
「一ヶ月。譲りません、あーあ! 小雨止まない寒さのなか立ちっぱなし! 現れる兆しゼロの男爵令嬢さんを見逃さないよう平民の格好で一日中周辺をウロウロ! 脚が棒になったなあー! その後休む間もなく入学式、二日がかりで疲れたなぁー!」
「一ヶ月分の申請出しておきます。私のポケットマネーから全額払わせて頂きます。その説はご協力ありがとうございました」
「ありがとうございます!」
ガッツポーズを取るタトゥルスにそもそもかなりの迷惑をかけていたのは会話通りの事実だ。前世のアラサー人生で培ってきた知識によりシュクルドリュージェ領だけでなく国の復興スピードやら文化作りのスピードを爆上げしまくった結果かなり歴史が変わった自覚はあったため、ヒロインたんがゲーム通りに現れない可能性を考え念には念をとタトゥルスに張り込み待機を頼んでいた。私と殿下より二歳年下のタトゥルスは幼い頃から天才少年と名高い飛び級同学年であるものの、成長途上の細い身体に一日中纏わりつく冷たい小雨はそれなりに辛かったはずだ。
諦めろと諭しながらも、彼の手元は国内全貴族の調書をまた開いてくれている。来月に行われる年度初めの生徒総会と決まったタイムリミットまでにヒロインが見つからなければ、捜索を打ち切る。ここまで手がかりがないままの調査だというのに、期限まで粘って下さる二人には感謝しかない。
ふと柱時計を見やると、ザッハー殿下は書類を脇に置き私とタトゥルスを手招いた。
「今までとは少し違うけど、俺もちょっとしたものが届いたんだ。二人とも、こっちに来て」
歩み寄ると、殿下は指を鳴らして召喚魔法を発動した。王家の紋章が金彩で施された深い盆、銀の水差し、魔晶石がいくつかと、無色透明の水晶玉。順に執務机に並ぶ物からして、「領域記憶晶射鏡」を発動なさるのだろう。
「そう言えば、殿下仰ってましたよね。新しい黄色レンガの魔力が土に馴染んでからの方が精度が高いって」
「そう。学園長に仲介を依頼して、ドゥルマー男爵令嬢から魔力が安定したってお墨付き貰ったんだ。他に洗える情報考えたら、あとはもう入学式のときの会話くらいかなって」
この世界に録音機はまだ存在していない。正確には、私も前世で知っていたその便利さから録音機や映像録画機材をこの世界でも開発し普及するつもりだったのが、企画書を用意するまでもなく頓挫したのだ。
その理由がこの「領域記憶晶射鏡」にある。ざっくり言うと、指定した場所の記憶を水鏡に転送して再生できるという魔法だ。
十二本の伸縮機能をもつ木の棒を八個の魔晶石を組み込んだ接続具につなぎ、スカスカのキューブ状態に組みあげる。記憶を見たい場所に組み木を広げて設置し、底面の中央に水晶玉を置く。別の場所では、盆に水を注いだ水鏡に当時の記憶を辿りたい対象の遺伝子情報を含んだものを入れて、対となる水晶玉に呪文を唱えてからその水鏡に沈める。2つの水晶玉が呪文によってリンクし、組み木内部の領域記憶が水鏡に転送され音声で再生される。
キュネフェル男爵令嬢と学園長の髪の毛、私と殿下の髪の毛を一本ずつ。殿下手ずから水鏡に浮かべ、杖で中身をかき混ぜながらもう片手で水晶玉を掴み呪文を唱え始めた。
はァ~たまらんなこの美声。日頃からストイックに鍛えていらっしゃるだけある太くて低いお声が良すぎる。うっかり耳が妊娠したらどうしてくれるけしからん。キス手前の近さで呪文唱えてもらえるあの水晶玉になりたいってSNSで騒いでた限界オタク達の気持ちが今ならわからんでもない、眼福に耳福。
『第二王子殿下とシュクルドリュージェ小伯爵様が州内全ての貴族家の内情を改めてあれほどこと細かく調査し各家に払って下さった配慮と多大な労力に、州内の全ての貴族が感謝しております』
「いいですね。組み木陣の座標ドンピシャ」
新装されたレンガに驚いた当時の領域記憶が、水鏡から鮮明に再生される。学園長もいい声なんだわこれがまた。亀の甲より年の功を地で行く、落ち着き払った中低音。つとめて穏やかな語り口。
おじロリ性癖のオタクが学園長も攻略対象にとエグい厚みの署名を送り付けたニュースに納得のいい声だ。
『表に見えてはおりませんが、新しいレンガには全て、ひとつにつき出資者一人の氏名が刻まれております。歩道の再舗装における出資者は在校生や卒業生だけではなく、結果的には州内ほぼ全ての貴族となり、抽選までしたほどです。惜しくも落選された方々からせめて学園の施設管理費としてでもと余分に頂いた出資金も多く、そちらは全て温泉施設への費用に回しております。一人も取り零すことなく州内の貴族を慮る御二方への我々からの感謝のしるし、受け取って頂けますでしょうか』
『寧ろ感謝をするべきは私達の方です。こんなに素晴らしいサプライズプレゼントは今まで受け取ったことがありません。すべての民の幸福のために生きるのが王家の役割です、これからも心して公務と勉学に励みます。お互いに学友として切磋琢磨していければ幸いです。これから三年の間、この歩道を王子としての責任をともに踏み締め、温泉の恩恵に与る度に皆さんからの温かく強い忠誠心への感謝を胸に刻みます。シュクルドリュージェ小伯爵も同じ思いでいることでしょう』
殿下のお言葉に添えるものがある訳もなく、是と頷いてみせた記憶が蘇る。学園長直々に特進科の教室へ案内して頂けるとのことで、校舎へ向かい歩き始めた学園長の後ろについていった。王族とはいえ生徒である以上教諭の後ろを歩くのが校則、その後ろには側近である私が続き最後にキュネフェル男爵令嬢が私より少し離れた後ろを歩いていた。
『キュネフェルさん、とお呼びしてもいいですか』
『どうぞ、シュクルドリュージェ小伯爵様のお望みのままに』
『建築科と特進科では、あまり一緒になる講義がありませんね。同好会活動のご予定はおありですか?』
『いくつか候補はございますが、まだ決めてはおりません』
『受験生の身でこんなに大掛かりなサプライズ計画の中心を担われていたなんて、本当に凄いわ。私は他国との外交の知識を詰め込むのに精一杯で、建築についての知識とまではまだまだですから』
『第二王子殿下の側近とあらば、限られた人生のなかで蓄えられる知識量にはどうしても偏りができるものではないでしょうか。そこをカバーするのが我々下流貴族の役割でございます。私も実家の建築業らしく責務を果たしたに過ぎません、どうかお気に病まれることの御座いませんよう』
私の前を歩くザッハー殿下は、私とキュネフェル男爵令嬢を気にかけ少しだけ歩みを遅めて下さっていた。ザッハー殿下の左手指が私とタトゥルスにしかわからない指文字で『本当に』『外れた』『?』と動き、サインを送り終えた殿下は再び学園長に歩調を合わせ先を歩き始めたんだっけ。
キュネフェルと私の取り付く島もないやりとりを同時に聞いていた殿下は勿論、私もこれには完全に同意だった。何やかんやで予言もといゲームストーリーの歴史がここまで変わったとなれば、そもそもヒロインたんが現れないのも仕方ないのかもしれない。目星をつけていた彼女が天真爛漫な性格ではないどころか、そもそもヒロインたんと邂逅するきっかけになった筈の老朽化躓きレンガも既に一個残らず撤去済。フラグ全折りもいいところだ。
「なんて言うか。最低限の極みって感じの会話ですね」
私達とは違いこの時の会話を初めて聞いたタトゥルスも、やはり同じ印象に相違なかった。この会話からキュネフェル男爵令嬢を天真爛漫に結びつけるのは極めて難しい。特進科の教室に案内された後どころかその後講堂で科ごとの席に別れる入学式までの音声も、組み木移動に協力して下さっている生徒会執行部の先輩方に通信魔法で頼み、何度も何度も場所ごとの会話記憶を聞き直した。やはりゲームのヒロインたんには程遠かったし、そもそも校内に入ってからの移動中の会話自体がほぼ一言二言の社交辞令で終わらせられたものばかり。
私とキュネフェル令嬢の間には、貴族なら誰でも言える言い回しでの会話しかなかった。
「俺たち四人分だけに遺伝子情報を集中した分、再生される音声記憶もより鮮明だからね。雑音がないだけに余計冷たく感じるのかも」
「それにしたって、あんまり長いこと会話したくないオーラはなかなかですよ。格上貴族の伯爵令嬢に話しかけられて取るべき態度の理想とは違いますよね。ましてやこれだけ人気のプラリネさん相手にしては興味なさすぎません?」
「やっぱり、そうよね……」
ゲーム通りのライバル令嬢をなぞっていれば会えてたかもしれないヒロインたんがいない。そんな夢も望みもない推し攻略対象しかいない王立学園ライフを、いったい何を楽しみに過ごせばいいのだろう。待ち侘びた入学式当日は原作ゲームを完膚なきまでに改変し、もはや完全オリジナルストーリーと化していた。オリジナルストーリーを差し込むにしても許容範囲というものがある。私にとって許せるのはキャラの原作に基づいた生育歴に矛盾しない範囲の補足ストーリー、許せないことは明らかに声が合っていない中の人を合わせたキャスティングとキャラ自身の性格改変。
ザッハー様と結ばれて欲しいヒロインたんがいないなら、第二の人生になど何の意味も無い。こんな残酷な話があってたまるか。
まさか、前世で叶わなかったザッハー様とプラリネたんの合同誌という夢を私自らの人生の形で叶えろというのだろうか。
親友であるあの子には大変申し訳ないが嫌だ。それだけは本当に嫌だ。私にとって推しはどこまで美声で美しい筋肉でイケメンでも推しでしかなく、推しと自分の組み合わせは最大の地雷なのだ。そもそもがザッハー殿下の側近になった以上は生涯独身を貫くつもりだし、前世のしんどすぎる失恋経験のトラウマがまだ心の傷として癒えきっていないこともある。
生徒会のあれこれで自由な時間がほぼほぼとれないままの学園生活において、特進科と建築科ではそもそも校舎棟も寄宿舎も違う。キュネフェル令嬢とは移動教室の合間にすれ違ったことこそ何度もあるが、校舎が広すぎて引き留めて話をできる時間はなかった。朝食アフタヌーンティー夕食そのどれも、複数ある食堂どこに行っても彼女の姿は見えず。全ての同好会名簿を見ても、今日まで彼女の名前は見ていない。
下級貴族や庶民は家業の手伝いを理由に無所属許可証をもらえるのだ。そこまでいくとかなり深いプライベートに関わるため、生徒会の管理義務から外れてしまう。無所属許可証は担任教員のみが発行し名簿を管理することになっているため、これ以上の詮索は叶わない。
諦めなければならないのだろうか、ザッハー殿下とヒロインたんの紆余曲折ラブストーリーを生で拝めるというファン最大の幸福を。
いよいよ逃避しようのない現実に向き合う時がきたと頭を抱えていた私の耳に、突然ノック音が響いた。