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4.勇気ある我が弟

 



 城の庭園にある東屋で、アーヴァインは憂いに目を細める。


「近いうちに、戦が起こるよ。」


 悲しみの滲んだ声に、ティーテーブルを挟んだ向かいで菓子を摘まんでいたカリスタが瞬いた。

 確かに今朝がた、帝国との国境で小競り合いがあったと騎士団本部に報告が届いている。最近多いと隊長が舌打ちしていたが…。


「そう…なのか。」

 アーヴァインが言うならそうなんだろうと、カリスタは眉を顰めた。

 戦闘能力の高さを買われた彼女は敵の制圧を担う隊に配属され、僅か数か月で小隊長に任命される異例のスピード出世を果たしている。

 生意気で嫌われているから配属が決まらないというのは周りの嫉妬から出た嘘で、実際はアーヴァインの言う通りカリスタの取り合いが起きていたのだ。

 戦争になるなら、彼女もまた戦場へ行くだろう。


「カリスタ、僕は君の強さを誰より信じてる。」


 促すように手のひらを差し出され、カリスタは少しだけ頬を赤らめながら手を乗せた。

 滑らかな白く長い手指が、剣だこのできた手を大切そうに撫でる。視線を泳がせつつも頑張って空色の瞳を見つめれば、アーヴァインは甘やかに微笑んだ。


「もし君が戦に出る事があっても、絶対に無事で僕のところへ帰ってきて。」

「当たり前だ。アーヴァイン、その時は貴方も。私が戻るまで絶対に無事でいてくれ。」

「…うん。わかっているよ」

 いつもの笑顔がどうしてか寂しげに見えて、カリスタは胸が痛くなった。

 大丈夫だと伝えたくて、力加減に気を付けながらアーヴァインの手を両手で包み込む。彼は嬉しそうに握り返すと、穏やかな声で言った。


「誰に何があったとしても、君は憎しみに囚われないでね。」

「わかってる。激情が力になる時もあるが、自制を失うようでは大勢を見誤るからな。」

「そう、とても大事なことだ。だから僕と約束しよう、カリスタ。恨みや憎しみで前がよく見えない時は、自分が冷静かどうかをきちんと考えるって。」

「なんだ、アーヴァイン。私の強さを信じてるんだろう?」

「あはは」

 わざと少しだけ拗ねた調子で言えば、アーヴァインは明るく笑う。

 彼の手は温かかった。


「君の強さと優しさを信じてるからこそだよ。どうか誇り高いままでいて、愛しい人」

「いとッ――!?わ、あ、わっ、わかったからっ。ややや約束するっ!」

「ふふ、顔が真っ赤だよ?」

「くっ…そうやって私をからかって……!いつか絶対にやり返してやる……」

 ぎりぎりと悔しい心地で呟くと、アーヴァインは金髪をさらりと揺らして小首を傾げる。

 そして花咲くように微笑んだ。


「いつか君の口から、僕を愛しいと言ってくれるの?嬉しいなぁ」

「な!?ちっ違ッ……う、うううう!!」

 逃げ出そうとしたものの手をぎゅっと握り込まれ、アーヴァインなど容易に振り払えるくせにカリスタは動けない。

 赤くなった顔を背けて立ち上がったまま、腕をぴんと伸ばしてできるだけ距離を取った。






 二十歳になった第四王子アーヴァインは相変わらず美しい。


 特筆すべき技能を持たない彼だが、ごく一部の者はその人脈の広さに気付いていた。

 今も夜会に参加する彼をじっと観察していたなら、直接話しに来る者だけでなく、遠目から視線だけで挨拶を交わす者達もいるようだとわかっただろう。


 今夜の彼は艶のある金髪を落ち着いたブラウンのリボンでまとめ、紺色に淡い青色を合わせた銀ボタンの軍服を着ている。兄王子達と揃いの正装だ。

 隣に連れている婚約者カリスタは背が高く、ダークブロンドの髪は大人っぽくまとめ上げてうなじを見せ、両耳にはアクアマリンのイヤリングが揺れている。


 半年もない短期間で圧倒的な戦績を上げた彼女は、諸事情から近衛である一番隊には入らないまま特例でアーヴァインの護衛を務めるようになっていた。

 深い青のマーメイドドレスは肘までスリットが入った長袖で、逞しい二の腕の筋肉をそっと覆い隠している。もちろん装飾品や靴も合わせてアーヴァインが贈ったものだ。


「………。」

「どうかしたのか、ヴィクトリーヌ。」

「陛下…何でもありません。子の成長は早いなどと、普通の事を。」

 小声で話しかけてきた国王にそう返し、側妃ヴィクトリーヌは微笑みを浮かべる。

 隠しきれないだろう顔色の悪さはあらかじめ化粧を厚くしてごまかしていた。国王は気付かなかったらしく、彼女の視線を辿ってアーヴァインとカリスタの姿を認めて満足げに頷いている。


 ヴィクトリーヌは莫大な持参金や有益な権利書を携えて突然押しかけて来たとんでもない王女だった。

 元から親友だという王妃もさすがに面食らって混乱する中、一体何をどう説得したのか見事に王妃公認で側妃の座についた。「子が一人いればいいそうよ。よろしく貴方」と王妃に言われた国王はむしろ悲しかったものである。もうちょっと嫌がってくれてもいいのに。


 最後まで反対していたのが国王の母である先代王妃だが、彼女は産まれた赤子が自分と同じ空色の瞳をしていると見てコロッと態度を変えた。もう儚くなってしまったが、分け隔てなく孫を溺愛する良き祖母だった。


「男爵令嬢とは何事だと最初は思ったが……お前の言う通りにしてよかった。あの娘はいずれ英雄となろう。王家に取り込んでおいた方が良い」

「えぇ。彼女ならきっと…」


 アーヴァインが誰かに気付いたように視線を向け、にこりと頷く。

 その先には妻のシャーロットを連れた王太子シオドリックの姿があった。ヴィクトリーヌは僅かに目を見開き息を詰まらせる。アーヴァインは目を細めて歩き出し、シオドリックは軽く手振りをして他の者達に道を空けさせた。異母弟を迎えるために王太子夫妻の周りが空く。


「やぁ、アーヴァイン。楽しんでいるか?」

「はい、兄上――…」


 空色の瞳が見開かれた。

 抜き身のナイフを持った男がシオドリックに向かって飛び出したのだ。シオドリックはまだ気付いていない。押しのけられた客達もまだ状況を把握できていない。護衛騎士が止めようとするが、最初から騎士を警戒していた男は火の魔法を放って騎士の手を焼く。

 どよめきに振り返ったシオドリックは咄嗟に身を引きながらもシャーロットを庇い、迫る刃と、


 自分の前に飛び出したアーヴァインの背中を見た。



 絶叫と悲鳴が混ざりダンスホールが騒然とする。


「貴様、畏れ多くも王太子殿下を狙うなど!」

「ぐっ…くそ、離せ!」

「黙れ下郎が!!」

「うぐっ!」

 さして高くないピンヒールで男の腕をギリギリと踏みつけ、カリスタは床へ押さえつける手を緩めないまま反対の手でナイフを取り上げた。何か毒が塗布されているのだろう、その刃は不気味に汚れている。

 他の騎士がすぐに駆け付けて男を気絶させ、ナイフを回収して引っ立てて行った。炎を向けられた騎士も手を火傷しただけで済んだらしく、治癒の魔法を受けるためにこの場を辞する。


 シオドリックの手を借りて立ち上がったアーヴァインは、いやお恥ずかしいところを、なんて言いそうな照れ笑いだ。蒼白な顔で駆け付けたメイナードが彼の服をはたきながら、怪我はないのかとぐるぐる見回している事も気にしていないらしい。


「やぁ、兄上。ご無事でよかった」

「俺の前に出るなど馬鹿な事を…!カリスタ嬢がいなければお前がどうなっていたか」

「アーヴァイン!」

「カリスタ、ありがとう君のお陰で――」

 言い終える前にアーヴァインは鬼のような形相をしたカリスタに詰め寄られ、怒らせてしまった、と思った瞬間には抱きしめられていた。メイナードは邪魔しないようサッと身を引いている。

 ざわめいていた客達が彼らの周りだけ静まり、誰かがピュウと口笛を吹いた。


「わ、私がいるんだから貴方は動かないでくれ!心臓が止まるかと思った、貴方に何かあれば私は……!」

「……うん、心配させてごめんね。でも、兄上が襲わ」

「私が守るから!貴方は!動くなっ!!」

「う~ん、あはは……わかった、わかったよカリスタ。ありがとう」

 ぎゅうとしがみついてくる婚約者を抱きしめ返し、アーヴァインは宥めるように優しく背中を叩いた。国王や騎士団の所属である第三王子は警備を改めるよう指示を飛ばしている。

 未だ騒々しいダンスホールにシオドリックの声が響いた。


「皆、勇気ある我が弟アーヴァインと、華麗に討ち取ってみせたカリスタ嬢に拍手を!」


 シャーロットも率先して手を叩き、会場は拍手の音に包まれる。

 国王にそっと背中を押されたヴィクトリーヌに皆が道を空け、彼女が震える手で息子とその婚約者を抱きしめると一層大きな拍手が響いた。





「どういう事?」


 その夜、密かに騎士団長室を訪れたアーヴァインは冷たい目で吐き捨てる。


「僕はシオドリックの護衛を固めろと言ったはずだよ。事前に聞いていた配置と違ったよね?いるはずの騎士が三人も足りなかった。」

「…申し訳ありません。」

「何があったの?」

「一人は客が持っていた宝石を盗んだと言いがかりをつけられ、やむなくお傍を離れたそうです。結局勘違いで客のポケットにありました。一人は怪しい男が庭へ行くのを見たと聞いて、出入口の警備担当へ伝令に。正体は痴話喧嘩でバルコニーから財布を投げられた客でした。一人は……まだ見つかっておりません。」


 騎士団長は疲れたようにため息を吐き、深く皺のできている眉間を揉んだ。

 最後の一人は近々死体として見つかるかもしれない。シオドリックもアーヴァインも無事だったとはいえ、これは騎士団の失態だ。

 カリスタは護衛騎士ではなく王子の婚約者として参加していたのだ。本来、彼女に頼る事なく警備担当が捕まえていなければならなかった。


「シオドリックほど王に相応しい人はいない。そうだよね」

「わかっています、殿下。我々も王となったあの方に仕える未来を見据えている……お守り致します。必ず。」

「本当に頼むよ。……いずれまた、帝国と戦になるんだから。」

「……避けられないでしょうな。」


 強さこそ正義だと掲げるアクレイギア帝国は、常にこの広大なツイーディア王国を狙っている。

 ツイーディアから攻め込む事はなく、戦が長引く事もあるが何百年もずっとこちらの勝利でおさめてきた。しかし、終わらない。帝国は力を蓄えたら再び襲う事を繰り返している。


「戦況が厳しくなれば、モーガンスにも前線に出てもらう事になるかと。」

「覚悟の上だよ。彼女は強い」

「……よろしいのですか?貴方の婚約者を…」

「戦力を惜しめる状況が続けば良いけど、それは前線にいる騎士達の負担を増すだけでもあるからね。」


 アーヴァインは目を伏せ、長い睫毛が空色の瞳に影を作った。

 騎士団長が深く頭を下げる。今夜のような失態はもうしないと固く誓って。






 戦争が始まった事による国民の不安を吹き飛ばすように、アーヴァインとカリスタの婚儀が行われた。


 民に人気のある気さくな第四王子と、正義感の強い男爵令嬢の騎士。

 二人の仲は夜会を機に一気に広まっており、身分差の恋が成就したんだと女性を中心に祝福の声が多く上がった。


 男爵夫人や教育係から「初夜は身を任せていればよい」と言われたカリスタはよくわからないまま力強く頷き、アーヴァインがベッドで彼女の髪を梳きながら「今日は疲れた?」と聞くものだから、それもまたしっかりと頷いた。


「あはは、そう?ならゆっくり寝ようか。」

「うん、そうだな。おやすみ、アーヴァイン」

「おやすみ、僕のお嫁さん」


 アーヴァインは蕩けるような甘い瞳でそう囁き、カリスタの額に一つキスを落とす。

 ふわりと良い香りに包まれたカリスタはピシッと固まり、眠気と動揺が混濁した結果――即座に意識を失った。目を覚ますと朝で、驚くほど美しい王子が横ですやすや寝ている。


 弱いはずの彼は時として理不尽なほど強いと学んだ。

 あるいは、カリスタがアーヴァインに弱いだけなのかもしれない。






 幸福はほんの一か月ももたなかった。



 帝国からの交渉依頼に応じた王太子シオドリックが帰らぬ人となったのだ。



 外で警備していた騎士が爆音に振り返ると、会場となった建物は一瞬で炎に埋め尽くされていた。

 次々に水の魔法を放ったところで炎の勢いが強過ぎる。シオドリックの側近や護衛数十名、そして帝国側の人間も同様に、中にいた者は誰一人として生き残らなかった。


 死体は焼け焦げ、どれが誰かもわからない。

 立派に作られた空っぽの墓を前に、幼子を抱えたシャーロットは泣き崩れた。





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