2.女たらしの腰抜け野郎
カリスタは豪勢な客室で直立不動の姿勢を取っていた。
城に着いてさっそく「では失礼します」と騎士団本部へ去ろうとした所、アーヴァインがパチンと指を鳴らしただけで侍女軍団が現れたのである。
あれよあれよという間に連れ込まれ、抵抗も虚しく脱がされ、洗われ、もみくちゃにされ、ダークブロンドの髪はすっきりとまとめ上げられ、なぜあるのかわからないサイズぴったりのドレスを着せられた。
可愛げのない事に、カリスタの身長は百七十八センチもある。
――なぜサイズの合うドレスが?空色のリボンが特に気に食わない。
愛らしいフリフリぴらぴらドレスではなくエレガント路線なのは良かったが、差し色が誰かさんの瞳と非常に近しい色なのはどうかと思った。まるで彼に合わせたようではないか。
部屋の中には世話係の侍女が控えていて、男爵令嬢の自分をどう思ってこの場にいるのか考えたくもなかった。
ドレスに文句を言って地団駄を踏むわけにもいかないし、大粒の金ぴかの宝石をあしらったペンダントを外すわけにもいかない。つけているだけで怖いのに。
ノックの音にカリスタがぎこちない返事をすると、甘やかに微笑むアーヴァインが側近を従えて姿を現した。学園の廊下だったら何人か失神者が出ている。
「やぁ、そのドレスよく似合っているよ。それじゃ行こうか?」
優しく促しているように見えて、実際には有無を言わせぬ強制命令だ。
カリスタはきつく唇を引き結んで彼の後に続いた。馬車の中と違ってアーヴァインには近衛である一番隊の騎士も付き添っている。カリスタにしてみれば同職とはいえ挨拶すらした事のない大先輩達だ。あらゆる意味で今後を考えると大人しくするしかない。
「……どこへ行くのですか?」
入団したとはいえ、城内の地図など知らされない下っ端である。
どんどん奥へ進んでいく事に不安を覚えて問いかけると、アーヴァインは振り向きもせずに「行けばわかるよ~」などと言う。
カリスタは苛立ちを覚えた。行ったらわかるのは当たり前だ。先に知りたいから聞いたのだ。眉をギュッと顰め、後は無言で歩き続けた。
高位貴族の出身である護衛騎士の一人もまた、眉根を寄せてカリスタを見やる。
いくらアーヴァイン王子が温厚で懐の広い方だとはいえ、新米騎士の男爵令嬢ごときが許可なく気軽に話しかけるとは。ここは黙って追従し、王子に話しかけられた時のみ口を開くべきだった。
しかし事の経緯を知っている以上、また王子が許している以上、彼がこの場でカリスタを咎める事はない。
「着いたよ。」
両開きの扉を騎士が開け、到着したのは小さな庭園のようだった。
ピカピカに磨かれた通路には土のかけらも見当たらないのに、円形に作られた花壇には目に優しい花々が色取りを考慮して配置されている。天井は高く、壁の一面はガラス張りでまだ明るい空が見えた。
中央のテーブルセットに女性がいる。
深い森を思わせる緑青色の長髪、明らかに身分の高い豪奢なドレスに、宝石のように輝く緑の瞳。既に四十歳を超えているのに白い肌はきめ細やかで、嫋やかに微笑む姿はぞっとするほど美しい。
カリスタは息を呑んで慌てて拳を胸にあて、背筋を伸ばし頭を下げた。
説明もなしに何て事をするんだとアーヴァインを殴ってやりたくなったが、心の中で罵倒するに留める。そして自分のドレスが目に入り、騎士の礼をしてどうするのだと顔を歪めた。
「ご機嫌よう、母上。」
息子であるアーヴァインは何て事ないように彼女に近付いていくが、護衛騎士は警備の配置につき側近の男は静かに脇へ控えた。どうしていいかわからないのはカリスタだけだ。
側妃ヴィクトリーヌはアーヴァインに挨拶を返すと、固まったままのカリスタを見やってくすりと笑う。
「そこの娘、面を上げなさい。こちらへ。」
「は……」
騎士団の演習なら「はっ!承知致しました!!」と声を張り上げているのに、カリスタの喉からはか細い声しか出なかった。顔は青ざめている。
僕の時とはえらい違いだなぁ、と思っていそうなアーヴァインの頬をつねり上げてやりたい。
「お…お初にお目にかかります。モーガンス男爵が次女、カリスタと申します……」
「ふふ……可愛いお嬢さんですこと。座りなさい」
「はい」
用意された椅子は三つ。
側妃ヴィクトリーヌ、第四王子アーヴァイン、そしてなぜか貧乏男爵令嬢カリスタだ。意味がわからない。さては現実ではないのかもしれない、そう思いながらカリスタは侍女が手際よく紅茶を注いでいくのを眺めた。
「――…。」
ヴィクトリーヌはカリスタをじっと見つめ、息子に視線を移すと小さく頷いてみせる。アーヴァインは僅かに目を見開き、カリスタをしげしげと眺めた。
そんなやり取りに気付いていないのはカリスタだけだ。
腰抜けだの何だのと怒鳴った事をちょっと後悔しながら、紅茶に映る自分の顔を見ている。喉がカラカラだが飲んで良いのだろうか。わからない。
マナー教師を雇えない令嬢のために、王立学園には礼儀作法の授業を作るべきではないだろうか。
「では彼女と婚約します。」
「なんッ、え゛、あ……!?」
何でそうなるんだ!!――と叫びそうだったところを全力で堪えたが堪えきれず、潰れたカエルのような声を出しながらカリスタはアーヴァインを凝視した。
澄み渡った空のような瞳がカリスタに向けられ、いいよね?とばかり小首を傾げている。そのまま折ってやろうかと思ったのは内緒の話だ。
「こほん。」
「っ!!」
見かねた護衛騎士の咳払いで、カリスタは開きっぱなしだった口を閉じシャキッと姿勢を正す。
アーヴァインは確かに馬車の中でそういう話をしていたが、まさか即日で側妃殿下に報告するとは思わなかった。カリスタは拒否権が無いとは聞かされたものの、了承した覚えもない。しかしこの場で自分から「断る」と言い出せるはずもない。
だらだらと冷や汗を流しながら、そもそも許さないだろうヴィクトリーヌに視線を移した。ヴィクトリーヌが駄目ですと言えば、アーヴァインも考え直さざるをえないはずだ。
彼女はカリスタではなくアーヴァインを見ていた。
少しだけ微笑みをなくした、真剣な顔で。
「本当に良いのですね?」
「はい。」
まるでティータイムの菓子を決めるような軽さで、アーヴァインはにこやかに頷いた。
ヴィクトリーヌは白く細い指をティーカップに絡め、静かに紅茶を喉へ流す。沈黙の中で僅かな音も立てずにソーサーへ戻し、カリスタへと微笑んだ。
「貴女とアーヴァインの婚約を認めます。」
――なぜだーッ!!!
こぼれんばかりに目を見開き、カリスタは心の中で絶叫した。
男爵令嬢だ、それも貧乏な。第四王子アーヴァインとは二年ほど同じ学園にいたが、まともに会ったのも言葉を交わしたのも今日が初めてである。女たらしの腰抜け野郎とさえ思っている――事はヴィクトリーヌは当然知らないだろうとはいえ、到底認められないはずだ。
「ありがとうございます、母上。」
「…守ってやりなさい。」
「もちろんです」
側妃殿下は騙されている、カリスタはそう思った。
アーヴァインはカリスタを守るどころか、自分が弱いから「お嫁さんは強い子が」とかほざいていたのだ。とてもそうは見えない爽やかな笑顔を浮かべているけれど。
ごくりと唾を飲み込み、勇気を振り絞ってカリスタは口を開く。
「お、おおとこば、お言葉、ですが。わっ私は男爵家で……釣り合わな」
「どうとでもするから大丈夫だよ。」
「…国王陛下の許可も」
「あの人なら、わたくしが言えば認めてくださいます。」
「ち、父が驚くかと」
「呼んでおいたから、そろそろ来るんじゃないかな?」
「えっ」
呆然と聞き返したところで庭園の扉が開いた。
くたびれたジャケットを着たモーガンス男爵が蒼白な顔で歩いてくる。
先導して堂々と向かってくるのは輝く銀髪の美丈夫。彫像めいた完璧な顔立ちに金色の瞳をした彼は、アーヴァインと五歳差で二十四歳の王太子シオドリックだ。なぜ来た。
「まぁ。貴方は呼んでいませんよ?シオドリック。」
「そう仰らずに。ふわふわしていた弟が令嬢を連れ込んだというのです、兄としては気になりますよ。」
ヴィクトリーヌの物言いにも驚いたが、シオドリックが意外にも気さくに笑うのでカリスタは目を丸くした。
金の瞳を向けられて慌てて立ち上がり挨拶をすると、可哀想なほど震えている父、モーガンス男爵もヴィクトリーヌとアーヴァインに挨拶をした。いつの間にか用意された椅子にそれぞれが座る。
「こちら、婚約の書類でございます。」
アーヴァインの側近が男爵の前に紙とペン、インク壺をてきぱき準備した。
シオドリックはそれを眺めながらテーブルの上で手を組み、誰もが見惚れるような笑みを浮かべて言う。
「メイナード、お前そろそろアーヴァインの横に飽きていないか?俺のところはどうだろう」
「お気持ちをありがたく思います。」
「まだ駄目か。はは」
「兄上、勧誘は僕のいないところでやるものでは?」
「許せ許せ。それだけ疚しさが無いという事だ」
婚約の話はどうしたのだ。
王家にギスギスしてほしいわけではないが、和やかに交わされる会話にカリスタと父親はどういう顔をしていればいいかもわからない。
いや、むしろ談笑の間にさっさとサインしろと言われているのかもしれない。男爵の額には脂汗が滲んでいる。
「で、サインはまだか?」
そうだったらしい。
笑顔とはいえ王太子に聞かれ、危うく男爵の心臓が口から飛び出るところだ。ハンカチを取り出して激しく汗を拭っている。
「あ…!いえ、その……!く、詳しい状況と言いますか、どどっ、どうしてカリスタをお選びになられたかなど、おお聞かせ願いたく……」
「うん?」
シオドリックが訝しげに眉を顰めて涼やかなヴィクトリーヌを見た。
次いで唇をぎゅっと閉じているカリスタ、最後にあっけらかんとしたアーヴァインを見る。
「兄上、彼女には今日会って今日婚約を決めたんです。」
「それはまた……急だな。モーガンス男爵、急かしてしまったか」
「ととととんでもない、だだだ大丈夫ですッ!!娘が、その……娘が納得しているなら良いのですが…」
正直そうは見えないんです。
と後に続いているだろう尻すぼみな声だった。全員の視線が集中してカリスタが身を強張らせる。学園の剣闘大会や騎士団の試合とはまったく違う緊張感だ。
「カリスタ、僕と婚約してくれる?」
王太子と側妃も同席した場で、第四王子は初めて彼女の名を呼ぶ。
誰にでも振り撒いているだろう甘やかで美しい微笑みを見つめ、カリスタは奥歯を噛みしめた。何を言っても不問にすると言われたのはあくまで馬車の中での話だ。
『僕が望んで、君や男爵に拒否権があるとでも?』
腹の立つ声が脳内で再生される。
心配そうにこちらを見る父親の視線を、まぁ断らないだろうと思っているだろうシオドリックの視線を感じた。ヴィクトリーヌはアーヴァインを見ている。
カリスタは深呼吸し、引きつった笑顔で呟いた。
「……もちろんです、殿下。」
それ以外、言う事を許されなかった。