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最終話です。

 キスの場所には意味がある。

 手の甲は「敬愛」を、指先は「感謝と賞賛」、髪は純粋な「思慕」の気持ちを表す。なかでも最も強い愛の意志がこもる掌へのキスは「求愛」であり、プロポーズだ。

 人の体の身近な部位でありながら、滅多に人前に晒さない手の内側の柔らかなその場所は、繊細で温かく、そのうえ敏感だ。

 クリスの唇に触れられるとくすぐったくて、体がビクッと反応する。

 日頃、紙を扱っているせいでカサついた肌に、貴族令嬢にあるまじき小さな切り傷が所々についていて、自分のすべてをさらけ出したような気分になり、恥ずかしくなる。


「てっきり帝位が夢なんだと思ってたわ」


 体の熱を逃したくて、つい可愛げのない言い方をする。クリスは目を丸くして顔を上げた。


「だから少しは疑ってたの。あなたが邪な目的で私に近づいたんじゃないかって。ごめんなさい」


「サラの考えは妥当だ。謝る事じゃないさ。この国に留学したての頃は、帝位を狙っていたのは事実だ」


「今は? 帝位はもういいの?」


 私の疑問に、クリスは大きなため息を吐き「君が変えたんだよ」と言う。


「サラと出会って異世界の話を聞いてたら、どうでもよくなったんだ。命がけで皇帝になったって、帝国は衰退していく運命なんだろ? おまけに好きでもない女を政略で何人も娶らなきゃならない。皇帝なんて、権力はあっても自由はないし窮屈なもんだ」


「異世界の歴史や常識が、この世界でも通用するとは限らないわよ」


 実際、この世界は教科書で習った中世ヨーロッパとは、似て非なるものだ。

 印刷技術がすごく進んでいるかと思えば、縫製用ミシンがまだ普及していなくて服は手縫いが主流だ。電話はある。しかし貴族社会で重用しているのは手紙だ。戦いも銃ではなく剣だし、なんだか、ちぐはぐな感じがする。

 獲れる作物だって、小麦やコメ、ジャガイモと馴染みのものがある一方、チヨ姉さんが化粧品に使おうとして『はと麦』を方々(ほうぼう)探したけれど見つからなかった。

 やはり前世とは全く違う世界なのだ。


「いいんだ。どちらにせよ、君はこの国を……スメラギ家を出ないんだろう?」


「ええ」


「ならオレがこの国にいるしかない。だからそのための方法を考えた」


「それがこの前の陛下との会話ってわけ?」


 クリスはこの国に住むにあたり、爵位を貰えるよう陛下の確約を得ている。


「それもあるけど……その前にオレが国を出られなきゃ意味がない。君は学生時代、興味深い話をしてたじゃないか。異世界では、領土を持たず金で世界を支配する一族がいるって」 


 彼が異世界の話をよく聞いてくれるものだから、調子に乗って話したかもしれない。

「赤い楯」の意味の名を持つ、金融業から成りあがった世界を動かす大富豪の存在のことを。いくつもの戦争や革命を乗り切り、石油やダイヤモンドなどの幅広い事業で多くの利権と巨万の富を得、時には国に融資し、通貨発行権すら手中に収めていると言われる、長い間、秘密のベールに包まれていた一族の話を。

 彼らは国のトップや戦争の行く末を決める力を持つと噂され、数々の陰謀説がまことしやかに囁かれている。


「は? まさか、あれを目指すつもりなの?!」


 私は頭がクラクラし始めた。

 金融による世界支配ならば国籍は関係ないし、帝位に代わる野望として不足はないだろう。


「爺に話したら、面白そうだとノリノリだったよ。しかし、目指すとしても一代では無理だな。急ぎ爺に暗躍させたが、帝位争いを制して兄上に貸しを作るのが精いっぱいだった。だが、目的は達したからそれでいい。あとはゆっくりやるさ」


 次期皇帝となる第一皇子はクリスと母を同じくする兄弟だ。クリスは最大派閥である第二皇子派を蹴落とし、皇太子の座に据えるのと引き換えに、この国で暮らせるよう取り計らうことを約束させたという。

 劇場でクリスの命を狙い、この屋敷を襲撃したのは、第二皇子派の主力の精鋭部隊だそうだ。それがたったの一撃で全員戦闘不能となり、彼らはパニックに陥った。その隙をついて腹心である爺に指示して資金の流れを止め、攪乱し、派閥の解体に成功したとかなんとか。


「サラの兄上には感謝だな。あれで決まったようなもんだ。先日、皇太子に内定した兄の取り成しもあって、皇帝である父上からこの国に住む許可が下りた」


「えっ、もう?」


「ああ、サラが聖女の孫なのが大きかった。父上世代の人間にとって、この世界を救った聖女と剣士は、オレたちが考えるよりもずっと身近で憧れの存在なのさ。その孫と結婚できるなら、八人いる皇子の一人くらい気ままに外国で暮らすのも良かろうって、ね」


 そういうものなのだろうか。この国の王も執拗に婚姻関係を結びたがっていた。王子たちが愚かなせいで実現しなかったけれども。


「とりあえずこの国にも銀行の支店を作る。将来有望な事業に投資して――――」


「ねえ、本気なの?」


 我がスメラギ家は平和主義だ。前世や異世界の知識を役立てはするけど、好きなことして稼ぎたいだけで、世界を支配したいとか大それた野望はないし、その器もない。私たちの前世は、ただの一般人なのである。陰謀蠢く、ダークな裏社会なんてまっぴら御免だ。


「心配するな。一代じゃ無理だって言ったろう? 金融支配とやらは次世代の好きにさせるさ。オレには君たちみたいにやりたい事がないからね。出来ることはせいぜい投資して応援することくらいだ」


 不安げな顔をする私の頭をそっと撫でながら、クリスは微笑みウィンクする。


「それに『女性だけの歌劇団』をサラと一緒に作るのも楽しそうだ」




 私の婚約の話を聞いて、一足先にチヨ姉さんが帰って来た。私に結婚願望がないのを知っている彼女は余程驚いたらしい。到着するなり、堰を切ったように話し出す。


「婚約したんですってっ? おめでとう! レイ兄さんから知らせを貰って、びっくりしたわ」 


「落ち着いてよ、チヨ姉さん。ほら、ショコラでも摘まんで」


 ぴょんぴょんと体を跳ねさせ興奮気味な姉は、可愛らしい子犬のようだ。

 私は彼女を座らせ、クリスを紹介すると、王都で美味しいと評判のショコラが詰まった箱を開けた。宝石のようなショコラは、チヨ姉さんの好物だ。

 そして金融による世界支配の話を聞くなり、チヨ姉さんはケラケラと笑う。


「さすがロベッタ帝国の皇子ですよね。夢は大きくなくちゃ!」


「チヨ姉さん!」


 私はギョッとするが、チヨ姉さんは意に介さない。


「あら、私の夢だって、世界中にエステのお店を作って『美容界の女帝』って言われることなのよ?」


 そう言えば、前世にはそう呼ばれたエステ界の女社長がいたような気がする。


「初めて知ったわ」


「サラだって、ファッション誌を刊行して特権階級の影響力を抑えたじゃない。これからファッション界の流れが変わるわ。あ、そうそう、伯爵領の綿花栽培の土地は予定通り確保できそうよ。第三王子も()()()()()()()なんてありがたいわ」


「君たちは、なんで綿花栽培に力を入れようとしているんだい?」


 マーシュリー婚約破棄騒動の時から、度々綿花の話が出るので疑問に思ったのだろう。クリスが首を傾げる。


「ああ、これから綿花の需要が増えるからですよ。今後、一般市民がシーズンごとに流行ファッションを楽しむようになれば、貴族のようなオーダーメイドはあり得ません。時代はプレタポルテです。大量生産、大量消費の波が押し寄せる前に、他領に先んじて綿花を栽培し、生地と縫製工場の一大拠点を作る。幸いミシンの普及が遅れているので、機械の発注はかけ放題。スメラギ家の独占も夢ではありません!」


 意気揚々と語るチヨ姉さんの説明に、私は補足する。


「シルクは高価で手入れが大変だから綿がいいのよ。手ごろな値段で洗濯しやすいし、最先端のデザインを人気女優に着てもらって、彼女たちの休日ファッションとして特集記事で掲載すれば良い宣伝になる。雑誌の売り上げもあがるわ」


 クリスは一瞬、驚きの顔を見せた後、クツクツと笑い声を立て始めた。


「クリス?」


 あまりに楽しそうに笑っているものだから、心配になり呼びかけると、差し伸べた手を握られドギマギする。


「君たちはやっぱり痛快だな。皇帝なんかよりずっと面白い」


 そんなクリスの様子を見たチヨ姉さんが、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「お義兄さん、いいこと教えてあげましょうか」


「何だい?」


「我が家の……スメラギの名前の意味ですよ」


 ああ、と私は彼女の言わんとしていることを察した。


「クリス、(スメラギ)って言うのはね、君主を表す異世界の言葉で『皇帝』って意味があるの」


 つまり、臣下でありながら皇家(こうか)を名乗っているのだというと彼は吹き出し、ハハハッと豪快に笑った。


「不敬罪になるから、内緒よ」


 強制召喚された祖父母のささやかな意趣返しである。

 念を押すと、彼は握っていた私の手の指先に、それから掌にキスを落とした。



 私たちは四度目の婚約破棄……とはならず、無事に結婚した。公爵となった彼は、誓い通り重荷を分かち合い、時には守り、力になってくれる良い夫だ。

 そして前世では得られなかった、かけがえのない生まれたばかりの小さな宝を胸に抱き、私は幸福感に満たされてゆく。


「う、う、生まれたかっ」


 ふだんは頼りがいがあるのに、安堵と嬉し涙でぐちゃぐちゃなクリスの顔を見上げ、「女の子よ」と答える。

 こちらも泣き笑いの表情になりながら、しみじみと思う。


 ああ、人生は、こんなにも愛おしい、と。


読んでいただき、ありがとうございました!

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