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02

 貴族のタウンハウスが立ち並ぶ区画の中でも、周囲と比べてひと際大きなこの屋敷が私の住処である。


 常駐するのは、家令のセバスチャンと数人の使用人の他は、王都で事業を営む私とチヨ姉さんと姉さんの夫のイアンくらいである。

 その二人も今は、イアンに伯爵位が授けられ新たな領地が与えられたので、お父様と共にその視察に行っている。


 私ひとりでガランとしていた屋敷だが、つい先日、妹マーシュリーが社交界デビューのため、領地からなかなか出てこない兄のレイに付き添われてやって来た。


 兄は二十四歳だが、まだ結婚しておらず婚約者もいない。せっかくお母様譲りの綺麗なブルーの瞳を持ち、鼻筋の通った黒髪の美男に生まれたのに女性不信なのだ。

 彼の前世は、食品加工会社に勤めるサラリーマンだ。食べることと格闘ゲームが大好きで、小さい頃からぽっちゃり気味だった容姿を揶揄われていたという。どうやら生まれ変わっても、そのトラウマから抜け出せないらしい。


「兄上、太りますよ?」


 さっきからポテトチップスの袋を抱えて離さないレイ兄さんの肩が、私の言葉でぎくりと跳ねた。

 私がポテチを皿に盛って、一枚ずつ上品に口に運んでいるのはクリスの前だからである。

 遠回しに客人の前であることを指摘すると、兄はようやくポテチの袋を置いた。


「クリス君、妹のサラがいつもお世話になっています。暴漢に襲われるなんて大変だったね。しばらくこの屋敷にいるといい。足りないものがあるなら家令のセバスチャンに言ってくれ。彼がこの屋敷を取り仕切っているから」


 家令のセバスチャンが恭しくクリスに頭を下げる。


「クリス様のお部屋に、当面のお着換え等、必要な物をご用意させていただきました。ご要望がありましたら、遠慮なさらずおっしゃってください」


 着いたばかりだというのに、さすがスメラギ家の家令、仕事が早い。

 クリスが恐縮し、兄と家令に頭を下げる。


「お世話になります。突然、押しかけたのに、お気遣いいただき痛み入ります」


「顔を上げてくれたまえ。さ、ポテチでも食べて寛いで………」


「レイ兄さん、太るってば! マーシュリーの舞踏会デビューを前に、衣装が入らなくなったらどうするの」


 挨拶は済んだとばかりに、再びバリバリとポテチを食べ始める兄を私は急いで止めに入った。

 この菓子は彼の大好物である。前世の記憶に目覚め、この世界にポテチがないと知った彼が、いの一番に着手したのはポテチ作りで、二番目がインスタントラーメン作りだった。

 こんな調子で常に食べたいものを追い求め、試行錯誤を繰り返しているので、ぜんぜん社交に出てこない。

 貴族令嬢の間では「幻の貴公子」と呼ばれている。兄はまだ太ってはいないが、そのうち「貴公子」から「ブタ」になるんじゃないかと心配になる。


「今朝も剣の稽古で体を動かしたし、少しくらいは大丈夫だろう?」


 ぽっちゃり体型になる人にありがちな「少しぐらいは」などという言い訳を口にしながら、レイ兄さんは食べることを止めない。

 そこへ仲裁に入るのが、我が家の天使マーシュリーなのだからお手上げである。


「まあまあ、サラ姉さま、クリス様の前ですわよ? それにポテチは美味しいです。わたくし、大~好き!」


 マーシュリーもパリパリとポテチを食べ始め、私は負けた。

 妹は金髪に近い明るい茶髪、ブルーの瞳、バラ色の頬で、異世界人のハーフとは思えないお母様似の可憐な少女だ。おっとりしていて、スメラギ領の屋敷でいつも幼馴染の庭師ロイと庭いじりをしている。


「…………今日だけですわよ? 兄上」


 そんな私たち家族のやり取りを眺めながら、クリスは笑っている。ポテチも気に入ったようだ。

 騎士ではない兄が剣の稽古と言ったので不思議に思ったのだろう。クリスが口を開いた。


「レイ殿は剣を嗜まれるのですか?」

 

「ああ、祖父が剣士だからね。父と私は小さい頃から剣技を叩きこまれているんだ」


 過去形ではないのは、祖父がまだ健在で領で剣の師範を務めているからである。彼は元の世界でも、幼き日より剣道に勤しむ剣士だった。伝説の聖女と剣士はまだまだ元気だ。

 ただ、矍鑠(かくしゃく)としすぎていて時々困る。二人は今、可愛い孫娘マーシュリーの婚約のことで臍を曲げている。


 チヨ姉さんが男色の第二王子に婚約破棄された後、どうしてもスメラギ家と縁を持ちたかった王家は、第三王子とマーシュリーの婚約へと挿げ替えた。

 陛下の懇願とマーシュリー本人が「わたくしがスメラギ家の役に立つのなら」と言ったことで成立したのだが、祖父母はお冠だ。

 彼らは元いた世界から強制召喚されたとあって、もともと王家に良い印象を抱いていない。

 どうにかせねばと思うが、今すぐにという訳にはいかず頭が痛い。この件の解決を領に引きこもりの兄に期待しても無駄だろう。


 前世の時、時代劇でよく見ていたのとそっくりな()を持ってきて、クリスに見せているレイ兄さんを尻目に、私はため息を吐いた。

 

「ところで犯人の目星は付いているのかい?」


 兄さんに尋ねられ、クリスは「まあ、大体は……」と決まりの悪い顔をしながら、襲われ、毒の話を聞いた時から、ずっと抱えていたであろう罪悪感を吐き出す。


「妹君を巻き込んでしまい、申し訳ありません」


「ん? ああ、いいんだ。巻き込まれたのも、守るためにここへ連れてきたのも妹の意志だ。君は気にしなくていい。誰の仕業かわかっているなら、私が言うべきことは何もないよ。それより君は………」


「はい?」


「いや、いい。私はその辺りのことには詳しくないから」


 私は彼らの会話を聞きながら意外に思っていた。クリスが私に近づいたのは、てっきり身の安全の確保が目的だと考えていた。

 しかし彼は、私の力を知らなかった。では間諜なのかと疑うものの、スメラギ家には探るほどの秘密はない。私たちに異世界人の血が入っていることは周知の事実で、やる事成すこと大っぴらだからだ。

 彼はいったい何のために、私の出版社()()()でくすぶっているのだろう。


 そんなことを考えていると屋敷の結界に反応がある。窓からそっと様子を窺うと、敵襲だった。数が多い。どうやら私たちは跡を付けられていたようだ。


「レイ兄さん、敵よ。ちょうどいいから、その刀で追い払ってきてよ。ほっといてもいいんだけど、このままじゃ近所迷惑だわ。殺しちゃだめよ? 後始末が面倒くさいから」


 私の言葉に兄とクリスが窓の外を窺う。


「う~ん、こりゃいかん。屋敷の外に護衛を置いてないから()()()()()んだな。ここは()()()()シメておかないとダメだ。ちょっと行ってくるから、君たちはここにいなさい」


 貴族は舐められたら終わりだ、とレイ兄さんが呟き、刀を手に部屋を出て行く。クリスも後を追おうとするが私が引き留める。


「いや、しかし一人じゃ……」


「かえって邪魔になるからいいのよ。それにポテチ分、きちんと運動してもらわないと」


 マーシュリーもやって来てふわりと笑う。


「わぁ、お兄様の剣技、ひさしぶりですねぇ」


 使用人たちの安全を確保してから兄が出陣すると、私は屋敷とは別に、近隣住民の迷惑にならないよう周囲に防御結界を展開させる。

 兄は警告を発すると意識を集中させた。引かない敵兵たちに向けて、素早く鞘から刀を引き抜くと衝撃波が襲う。立っている敵は一人もおらず、皆吹っ飛んでいた。

 誰とも刃を交えない、一瞬の出来事である。


「何だ、あれは?!」


 びっくりするクリスの横で、マーシュリーは無邪気にパチパチと拍手をしている。


「何って……祖父直伝の抜刀術よ。兄さんは異世界剣士のスキルが使えるの。大丈夫、ちゃんと手加減してるわ」


 なにせ祖父はあの技で、ゴブリンのスタンピードを一撃のもとに葬り去った。防御結界を展開せずに本気を出せば、周囲の建物ごと破壊されている。


「あれで手加減って……すごいな」


「骨折はしてるだろうけど、死んでないわよ、たぶん」


 刺客としてもう使いものにならないと平然とする私に、クリスは絶句している。


 それよりも大事なのは、我が妹マーシュリーだ。


「ねえ、マーシュリーは、デビュタントのドレスはもう決まったの?」


 本来ならば、婚約者である第三王子から贈られるべきドレスだが、未だに届いてないと家令のセバスチャンがぼやいている。

 たしかに婚約者とはいえ、妹は領にいるため、二人の交流は手紙のやり取りくらいのものだろう。

 しかし、この扱いはない。単に遅れているだけならよいけれど、もし届かなかったら…………。


「それが困ってしまって。チヨ姉様がプレゼントしてくれたのですけど、三着もあるの。どうしましょう?」


 マーシュリーが可愛らしくキュッと眉を寄せる。

 私は思わず声を上げた。


「何ですって?! それは一大事だわっ。明日、早速、試着して一番似合うドレスを選びましょう」


 きっとチヨ姉さんも一着に絞り切れなかったのだ。我が家の天使は、誰よりも可憐に美しく着飾らなければ。

 

 それを聞いたクリスがドン引きしている。


「君は屋敷が襲撃されたことより、妹のドレスの方が大事なのか」


 私はクスっと笑い、呆れ顔の彼に向かって、さも当然のように言い放つ。


「悪いわね。私たちにとってマーシュリーは特別なのよ」


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