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インテリマフィアのオルゾさんとエキーノの沈黙の誓い

 イタリアのマフィアと日本の(ジャポネーゼ)暴力団ヤクザには類似点が多い。

 例えば日本の暴力団において、ある男が組織に所属するときに、組織の首領ボスと親子や兄弟の盃を交わすという儀式がある。マフィアにおいてもまた入団の際に沈黙の掟(オメルタ)の誓いという儀式を執り行うのだ。

 では逆に最も大きな違いは何であろうか。

 それはマフィアが秘密組織であることである。暴力団がその事務所を公然と構えているのとは違い、伝統的なマフィアというものは所属員各々が個人事業主であり、構成員が一堂に会するようなことは基本的にないのだ。

 よって組織に入団する儀式も秘された場所で行われる。


「ここ、か……?」


 エキーノは自信なさげに呟いた。

 彼はオロトゥーリアファミリーの若き幹部カポ・レジームであるオルゾの鞄持ちをしている男だ。

 今、彼がいるのはオロトゥーリア組の縄張り(シマ)である海辺の町から海岸沿いにずいぶんと歩いてきた岩場である。

 漁港からも海水浴場からも離れ、かつ入り江となっていてどちらからも見えない。30年近くをこの町に住み続けていた地元民であるエキーノでも知らない場所であった。

 そしてここにはぽっかりと口を開けた洞窟があった。

 自然の洞窟に見えるが、よく見れば中には電球がぶら下がっている。間違いない。

 近づくとセンサーがあるのか白く明かりが灯った。それに驚いたのか足元ではフナムシがナマコやらヒトデの上を走って逃げていく。

 奥へと進めば錆びかけた扉があった。慎重に力を込めれば、手応えは軽く扉が開く。

 思ったより広い部屋には机が一つぽつんと置かれ、他は闇の中に沈んでいた。机の中央には火のついた蝋燭の立つ燭台と、聖書が一冊、そしてイタリアの守護聖人であり動物たちの守護聖人でもあるアッシジのフランチェスコの絵が置かれていた。


「来たか」


 部屋の奥の闇の中から、低く、だがよく通る声が響いた。エキーノの最も敬愛する男の声、オルゾのものである。

 銀縁眼鏡がきらりと輝き、碧の瞳が浮かぶ。見えてくるのは海辺には似合わない高級仕立服オートクチュール。フェラガモの革靴トルメッザがコンクリートの床を叩く。


「オルゾさん……っ!?」


 エキーノは驚愕する。この場にオルゾがいることは分かっていた。だがその後からさらに現れたのがオロトゥーリア組古参の武闘派幹部であるグラーノと、副首領アンダーボスであったからである。


「やあ、エキーノ」


 初老の男たちが言う。


「まさかお二人に来ていただけるとは……」


 暑くもないのにエキーノは額に汗を感じた。

 オルゾ以外にいるのは彼の部下の構成員ソルジャーで、床屋であり殺し屋(キラー)でもあるサルディーナか、酒場の店主であり高利貸し(ローンシャーク)でもあるスクアーロあたりだと思っていたのだ。

 オルゾは言う。


我が友(・・・)、エキーノよ。お前を組に迎え入れるというのにその立会人を俺の部下だけで済ませようとする訳はねえだろう」


「オルゾさん……、お二人もありがとうございます」


 これはオロトゥーリア組に所属するものの大半も勘違いしていることではあるが、実のところエキーノはまだ組の構成員ではない。準構成員アソシエーテなのだ。

 エキーノはオルゾの鞄持ちであり、本来は組織の一員ですらない下っ端である。だがオルゾが極めて有能で30代にも関わらず幹部となり、エキーノもまたその多忙さを支える秘書のような立場をこなしていたために名が知れてしまったのだった。

 そこで今日、改めて入団のための儀式、沈黙の掟を行うことになったのである。

 儀式とは3人の立会人の前で誓いを立てるというものだ。


「独りで他の組織の者と会ってはならない。組の仲間の妻に手を出してはならない、警察官と友になってはならない……」


 オルゾが十に及ぶ戒律をエキーノに伝える。そして問うた。


「誓うか」


「はい」


「では利き手をだせ」


 エキーノが右手を差し出す。オルゾは手にした針で彼の手をぶすりと刺した。

 エキーノはその血を聖人フランチェスコの絵に垂らす。絵は紅に汚れ、エキーノはそれを燭台に翳した。橙色の火が端から絵を燃やしていく。


「独りで他の組織の者と会ってはならない。組の仲間の妻に手を出してはならない、警察官と友になってはならない……」


 エキーノは燃える絵を手にしながら、オルゾの伝えた誓いの文言を一語一句違えず口にした。

 オルゾは言う。


「お前がこの誓いを破ったとき、我らがお前を殺す」


「はい」


「そして死後の魂はアッシジのフランチェスコが地獄に連れていき、終末の日まで炎で焼き続けることとなる」


「はい」


 聖人の絵を持っての誓いとはこういう意味であった。


「それでは我が友、エキーノよ」


「はい」


 オルゾは言う。


「今やお前は我らが友(・・・・)、エキーノとなった」


「……はい」


 答えるエキーノの声は掠れた。この『我らが友』という表現が、組織の正式な構成員にのみ使われる呼びかけなのであった。


「オロトゥーリア組にようこそ、我らが友よ」


「名誉ある男の加入を歓迎しよう」


 副首領とグラーノが口々に告げる。今や彼は三下ではなく、名誉ある男となったのだ。

 オルゾは彼の肩を抱く。


「俺はもうお前を馬鹿だと殴ることはない」


 エキーノは愕然とした表情を浮かべてオルゾを見た。彼は重々しく頷いた。

 エキーノが副首領を見る。彼もまた重々しく頷いて言った。


「構成員に危害を加えることは許されない罪である」


 マフィアという社会において、構成員への侮辱や暴力は決して看過されることはない。そういうものなのだ。


「お、オルゾさん? 俺を殴らなくて大丈夫なんですかい?」


「……なんとかする」


 オルゾはどこか苦渋を滲ませた声でそう言った。

 キレやすい性格であるオルゾは、その怒りをエキーノへの暴力という形で解消することが多々あったのだから。

 エキーノはそのためにわざと失敗してオルゾの暴力性をコントロールしているところもあったのだ。

 オルゾはエキーノに向けて手を出す。


「ほら、煙草とライターを返せ」


 エキーノの懐にはオルゾのものであるシガローネ・ロイヤル・スリムス・ブラックとデュポンのライター(シュート・ザ・ムーン)が入っているのだ。

 だがエキーノは胸を押さえてこう言った。


「いえ、俺は名誉ある男となりましたが、オルゾさんの鞄持ちまで誰かに譲る気はありませんよ」


「……勝手にしろ」


 オルゾは憮然とした声で、だが薄い唇の端を僅かに持ち上げてそう答える。

 男たちは笑い合った。


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